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「自分のことは自分で…」と、子どもには言えなくなる。

家事代行サービスの業界が活気づいている。忙しい現代人が、より多くの余暇を確保するために、家事を外注するようになった。言わば、お手伝いさんに頼むようなもの。そんなことは金持ちの世界の話であって、我々庶民にはまったく関係のない話だと思っていたが、そうでもないようだ。近頃のちょっと小金持ち庶民は、気軽に家事の代行を頼むらしい。

何とも羨ましい限りである。換気扇やガスコンロ、エアコン、風呂場など、考えただけでもウンザリするような掃除を人に頼めるなんて。我が家も金があれば、頼んでいるだろう。残念ながら金はないので、自分たちでやるしかないが。

金で貴重な時間が買えるのなら、それは払う価値のあることだとは思う。だが、心の奥底に、何かモヤモヤッとしたものが残る。本当に、そんなことをして良いのだろうか、と。子どもの頃から親に言われてきた言葉を忘れはしない。「自分のことは自分でしなさい」。

自分が汚したものを人に掃除させる。相手は、それが仕事だから。ちゃんと対価を払っている。新しいビジネスとして、経済がまわる。もちろん、そんな理屈はわかっているが、何かいけないことをしているような気分になるのはなぜか。

私がいま書いていることは、バカげている。時代錯誤でもある。こうしたビジネスがどんどん登場して、快適な暮らしが広がっていくだろう。経済にとっても良いことかもしれない。なのに、どうしても引っ掛かる。

やはり、良くないことだと思う。自分で出せば、自分で片づける。自分が汚せば、自分で掃除する。自分のことは自分でするのが、人間の基本ではないか。自分でできることが、人間として最低限のことなのではないのか。

炊事、洗濯、掃除ができてこそ、一人前の人間。家庭で役割分担があったとしても、基本的にはできなければいけないと思う。仕事ができる。スポーツができる。そんなことより、家事をこなせる人間の方が、尊敬できるのではないか。

家事を人に頼んでしまっては、「自分のことは自分でしなさい」とは、子どもに言えなくなる。「おもちゃを片づけなさい」と言ったら、「人に頼めばいいじゃん!」と、口答えする子どもも出てくるだろう。これは、間違いない。「それとこれとは別だ」と言っても、わかりはしない。

そんなことで、良いのだろうか?

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