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【小説】 旅行 (ヒロナ)

【ヒロナ】

 家族旅行のことを考えていた。
 10年以上前の記憶が、どうしてこのタイミングで頭の中に浮かんできたのかは分からない。

 文化祭。初のワンマンライブ。最初の曲でギターの弦が切れた。アキちゃんがアコースティックギターに切り替える。初めての楽器編制。今までの練習はなんだったのかと思うほど曲の印象が全て変わり、そして、それが素晴らしかった。
 知ってる曲のはずなのに。セッションをしているような自由さがある。
 ステージに立つという非日常性のさらに奥まで旅をしているような感覚になり、私の脳内はトリップした。

 一番古い記憶は私が3歳の頃だと思う。
 どうして3歳なのかは分からないが、たぶん、あの時は3歳だった。
 別れる前の両親と私の3人で箱根旅行に行った。
 車好きの父が「渋滞は嫌いだ」という理由で、電車を何度も乗り継いだことを覚えている。父の手を握りながら人の海を航海するのが面白かった。すれ違う巨人の大人たちは、皆、お尻を振りながら怒ってるみたいに歩いていたから、「大人って大変なんだなあ」と幼心にも思っていた気がする。それに比べて父は、家にいることは少なくても、いるときは私と全力で遊んでくれるし、怒ることもなく、大人なのに大変そうな顔をしたことがなかった。旅行中もずっと父は私と手を繋ぎ、時には抱っこをしてくれた。

 父は演芸が好きだったこともあり、車内や散歩中はずっと話をしてくれたし、私の話を聞いてくれた。オモチャや絵本で一人遊ばせるようなこともしない。
 ロマンスカー、登山鉄道、ケーブルカー、ロープウェイ、遊覧船。
 目的地がどこにあるのかも分からず、ひたすらに乗り物に乗って、流れていく景色をじっと見ながら父と会話をしていた気がする。全てが新鮮で、ただ、みんなと一緒にいるだけで楽しかった。両親と私。知っている人と旅する、知らない環境。温泉の地である箱根は、私にとっては冒険の地であった。

 私と話していることが多かったせいか、父と母は会話をすることが少なかった。声も低くなり、「うん」とか「わかった」とか、短い言葉ばかり話していた。仲が悪いようには見えなかったし、喧嘩をしているワケでもなかったのに、どこか二人は噛み合っていないように見え、私はことあるごとに「ママとパパと一緒に遊ぶんだー!」なんて言っていた気がする。私なりの“仲良く過ごしたい”というメッセージだった。

 結局、両親が手を繋ぐような行為を見ることはできなかったが、初めての旅行は知っている人と未知なる世界へ踏み出す、安心感と緊張感のある、楽しい記憶として心の引き出しに収められた。
 その後の旅行の記憶を思い出しても、父がいなかったり、母がいなかったり、そこにお婆ちゃんがいたりと、3人だけで旅行に行った記憶がない。色々な場所に連れて行ってもらったが、どこか物足りなさを感じる旅行だった。そして、ついには両親が離婚してしまい、私たち家族から「旅」の言葉が消えてしまった。
 でも、私にとっての旅行とは、あの箱根の冒険のことなのだ。

 目の前で演奏する私以外の3人。
 その奥には楽しそうに手を振ったり、叩いたり、楽しそうな顔を見せる観客の姿があった。
 ここを私は知っている。

 アキちゃんとマキコちゃんが、私の作った曲を歌っている。
 マキコちゃんは山道を走るように歌い、アキちゃんは彼女を包み込む森のように優しく歌う。姉妹が野に解き放たれ、あっちに行ったり、コッチに行ったりしながら、虫や動物、植物と戯れているように見える。使える言葉を一生懸命駆使して、彼らと会話して、自然と対話をしているようだ。
 私は、彼女たちが転んだ時に、手を差し伸べることが出来ない歯痒さよりも、見守ることができる喜びを感じていた。

 父も母も、こんな気持ちだったのだろうか。

 目の前に広がるライブシーンには、会場こそ違えど、共通する安心感があった。この場所でなら胸を張って生きることができる。汗だくになりながらも、自分たちの音楽を楽しむことができる。終わりというゴールが待っているから、限界を越えることができるのだ。
 そして、トラブルに見舞われ折れかけた心が再び立ち上がる時に、未知なる世界に踏み出す緊張感が生まれた。汗を握り締めながらも、知らない音楽の場所へ歩みを進める。冒険に出かけた。

 行く先々で色々な発見があり、それを懸命に吸収するために沢山の道具を使い、脳内や身体を空っぽにする。吸収するために、発散をしているような感覚が共有されている。限界まで遊んで疲れ切って眠る子どものようだ。

 初めて、音楽の旅に出た。
 私とミウとアキちゃんとマキコちゃんの4人で。
 知っている人たちと一緒に、知らない土地へ、旅をする。
 今度こそ、最初で最後の旅行にはしない。
 もう、バラバラになるのは嫌だ。

 私たちは、いつまでも、冒険に出かけるんだ。


 2時間45分 1980字

 

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