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バンドをしている2 (ヒロナ)

【ヒロナ】

 照明が暗い間にステージに上がるのが好き。お客さんが暗がりの中で、私たちに気付いてくれるのが分かる。目を凝らしているのだろう。自然と静かになっていく。それが客席全体に広がっていく。
 あっという間にザワザワが凪いでいった。
 ドラムセットの前に座って軽く音を鳴らすと、客席は逆に盛り上がりを見せた。前に立つ3人も、それぞれの楽器をチューニングしている。ドンドンという音。ボーン。ビーン。ポーン。これから演奏するどの曲よりも離れた、つまらなそうな音を出している。
 それなのに、客席は安心したかのような空気が流れた。文化祭という日が背中を押してくれたのかもしれない。誰かが一言、声を上げる。女の子の声だ。続くように、また誰かが。今度は野太い声。笑い声が上がる。
 あっという間に元のザワつきに戻った。

 「ヒロナー!」「アキちゃーん!」「アキマキー!」「アキー!」「アーキちゃーん」「マキコー!」「マキコちゃーん!」「マキコ様ー!」「アキマキー!」「マキコさーん!」「ミウー!」

 私たちの名前が呼ばれている。想像以上の声の数に、お客さんの期待値を感じる。メンバーの数よりも多い人名が聞こえた気がしたが、たぶん気のせいだ。
 マキコちゃんは今年からバンドに参加したはずなのに、誰よりも熱い声援を浴びている。さすがだ。ライブ前の不安定だった彼女はどこへやら。彼女はお客さんのエネルギーを吸収していくように、背中がドンドン大きくなるのが分かった。

 準備が終わりアキちゃんとマキコちゃんがそれぞれのスタンドマイクの前に立つと、二人の姿が浮かび上がってくるようにゆっくりと青色の照明がついた。薄闇の中に立つ彼女たちの姿は、さぞ美しかろう。

 「こんにちは。「HIRON A’S BAND」です」

 アキちゃんの静かな声が響き渡る。天から授けられた透き通った声。誰の心にも寄り添ってくれそうな優しい声。抱きしめたくなるような声。
 彼女の放つ空気とは反するように、客席はさらに盛り上がった。予想外の反応に、思わず無造作に楽器を鳴らしてしまう。空気で会話をしているみたいだった。

 初めてライブをしてから一年。
 色々なことを思い出すと、単純に「あっという間」とは言えないのかもしれない。この一年、私たちはとにかく練習していた気がする。来る日も来る日も練習、練習、練習。大人たちには無駄な時間に見えてしまったかもしれないけど、この時間こそが私たちに意志の力を与えてくれた。
 バンドをしている時、アキちゃんに吃音の症状は全く出ないようになっていた。普段の谷山アキとは別人を見ているかのように、マイクの前に立つと変身する。

 「今日は、よろしくね」

 アキちゃんはまるで私たちに語りかけるような口調だった。いや、きっと、私たちに言っていた。この後にマキコちゃんが一言だけMCを入れると言っていたが、客席はアキちゃんの言葉に煽られるように、さらなる盛り上がりを見せたので、私は思わずスティックを鳴らして曲に入ってしまった。

 練習の成果はこういう時に現れる。段取りをすっ飛ばしたことに、誰も戸惑うことはなく、同じタイミングで曲に入った。息を合わせるというのは、圧倒的な練習の上にこそ成立するんだ。私が「あ」と言えば、みんなが当然のように「うん」と応えてくれた。
 曲と同時に灯るはずの照明だけが、遅れるようにステージを明るくしたが、誰も気付いていない。
 イントロの間にMCを入れられなかったマキコちゃんが客席に語りかけた。

 「「HIRON A’S BAND」初のワンマンライブ! 最後まで楽しんでいってねー!」

 最高だ。タイミングも、マキコちゃんのテンションも、客席の空気も。全てが一体となっている。一つの生命体のように、呼吸をしているのが分かった。
 マキコちゃんの歌が始まる。客席からは手拍子が聞こえてきた。彼女は、今、どんな顔をしているんだろう。

 普段は、私が走り回り、みんなを引っ張っていた。
 バンドがしたい。ライブがやりたい。曲を作りたい。あれしたい。これしたい。
 振り向くと皆が必死でついてきてくれる。無理難題を押し付けても、文句を言いながらついてきてくれる。
 それがステージの上では逆転し、みんなは常に、私の前を走っている。
 みんなの背中とお客さんの表情が見える特等席に座って、エールを送るように、ドラムを鳴らす。

 ドン、ドン、ドン、ドン。届け、届け、届け、届け!

 客席上手側の最前列に気品ある女性がポツンと座っているのが見えた。
 周りは席を立ち、目一杯楽しんでいるのに、一人、表情を変えずにこちらをじっと見つめている。

 マキコちゃんのお母さんだ。

 何を考えているのか分からない。人前で光り輝く娘の姿は、どう映っているのだろう。
 マキコちゃんは根っからの女優気質だ。お客さんを前にした時にパフォーマンスが向上する。強い敵を前にするとレベルが上がる少年漫画の主人公といってもいいと思う。
 ペース配分という言葉はどこにも見当たらず、爆発したようにエネルギーを発散する姿に、女性の生命力の強さを感じるほどだ。
 アキちゃんと同じく、普段の凛としたマキコちゃんとはまるで違う。

 みんな同じだ。

 誰もが、何者かを演じながら生きている。
 演じる劇場が「バンド」なら、「アーティスト」を演じる。
 劇場が「学校」なら「生徒」を演じるし、「家族」なら「娘」を演じる。
 それが当たり前なのだ。

 私たちは、バンドをしている。

 1時間41分 2200字

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