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【小説】 ココアくん (マキコ)

【マキコ】

 「今日、来てたんだ」

 家に帰ってきてから、最初に着替えをする。制服をゴミでも捨てるみたいに洗濯機に投げ入れ、下着姿で自分の部屋に駆け込み、部屋着に変身。リュックの中の持ち物を全て自分に机にぶちまけ、教科書やノートをそれぞれの居場所の棚に戻す。それから、ちびた石鹸で丁寧に手を洗い、口全体に水が行き渡るように顔をブンブンと振るようなうがいをする。これでようやく、自分の中のリラックスモードに切り替わるのだ。

 一人がけソファに身体を埋めながら、作ったココアをゆっくり飲むのが好き。母が食事を作る音を聞きながら、その日一日を振り返る時間が好き。イヤホンを片耳だけにはめながら、アキさんに借りたひとまわり小さいアコースティックギターをポロンポロンと弾いているのが好き。
 昔は厳しいルールが敷かれている家にいることが苦痛だったけど、最近は家で静かな時間を過ごすことも好きになっていた。

 「初めての文化祭だったし、あなたがバンドバンド言うから、見ておかないとと思ってね」

 今日は一体なんのご飯なんだろうか。お肉の焼ける匂い、少し硬そうなモノをコトンコトンと切る音が聞こえる。
 私も母も、お互いに視線を合わせることはなく、それぞれがやるべきことをやりながら、あくまでも“ついで”という感じで会話を続ける。

 「ふーん」

 ズズズとココアを飲む。なんともいえない甘ったるさが好き。なにもかもリセットしてくれる気がする。私の大切なやるべきこと。

 「汗もかいたんだろうし、先にお風呂入っちゃえば?」

 「・・・今、入ろうと思ってたとこ」

 母はなんでも私の先回りをしようとする。人生の先輩だからかなんなのかは分からないけど。
 起床、ご飯、勉強、お風呂、就寝。これだけは私がどう足掻いても動かすことができないルールになっている。だからこそ、それ以外の時間は自由に使えるというメリットもあるんだけど。
 何年一緒に暮らしていても、やろうと思っていたことを先に言われるのは、やっぱりイラッとしてしまう。

 「そういえば、マキコが作った曲ってどれだったの?」

 「・・・え?」

 「ほとんど新曲だって、あなたと一緒に歌ってた子が言ってたから」

 ライブ前に客席に母の姿を見つけた時は、吐き気がするほど緊張したし、自分をコントロールできなくなってしまうくらい動揺した。だって、母はバンドを異様なほど毛嫌いしていたし、顔も鬼のように強張っていたから。一挙手一投足を見られて、ミスを嘲笑っているのではないかという被害妄想が始まってしまうほどだった。

 「ああ、そういえば、そんなMCあったね」

 「で、どの曲だったの?」

 しかし、想像とは違い、ステージから見る母の顔は驚くほど穏やかで、晴れやかな表情をしていた。しかも、保育園の学芸会を見守っているような顔だったことに、むず痒い思いをするほど。

 「どれだと思う?」

 「なによそれ! 私が聞いてるのに」

 自分の中の何かがパキンと折れる音がした。
 これまでの経験から、勝手に作り上げていた母親像に引っ張られていたのかもしれない。私が変化したり、夢を追いかけるように、母の中にも何かの変化があるのかもしれないと思った。
 学校では母親と仲良く会話をする姿を他の人に見られたくなかったけど、家ならライブの話ができる。母の気持ちを確かめることができる。

 「当てて見てよ?」

 「うーん。たぶん、あなたが凄い形相で『ドリーム・キラー』だっけ? って叫んでいた曲かなとは思ったんだけど」

 「え・・・、当たり。なんで分かったの?」

 「え? やっぱり? ほらね。何年あなたの親をやってると思うのよ」

 「え、え、なんで? なんで分かったの?」

 「あのね、ステージ上のあなたたちを見ていれば大体分かるのよ。それぞれの性格も。なんとなくだけどね」

 まさかここまで見透かされているとは思っていなかった。人に興味がなくて、自分の体裁のことばかり考えている人だと思っていたのに。
 純粋にライブのお客さんとして楽しんでくれたのかもしれない。

 「なにそれ! てか凄い形相ってなに? そんな顔してたの?」

 「あなたね、人前に立つ時くらい、自分がどんな表情してるか意識しなさいよ。せっかくの綺麗な顔なのに、獣みたいだったわよ」

 「違うし! それが狙いなの! ロックンロールなの! それがカッコいいの!」

 「なによそれ! ・・・でも確かに、あなたがあんな顔をすることが出来るなんて知らなかったわね」

 「でしょ? 友達からもおんなじこと言われたもん! それがギャップでよかったって!」

 「ふーん。そういうものなのかしらね。というか、一緒に歌ってた子とのバランスも良かったんじゃない?」

 手に持ったココアが冷めていくのが分かる。いつもなら、静かに一人で飲み干してしまうのに。今日は手元に残ったまま、チャプチャプと揺れている。
 私は身体をひねり、母の料理姿を見ながら話を続けた。
 母は手を休めることはないが、時折、視線が合う。

 「あー! なるほどね! あの人がアキさんっていうんだけど、凄かったでしょ?」

 「アキちゃんね。うん、正直驚いた。凄いね、あの子」

 「危ない人に見えた?」

 「ううん、むしろ、心配になっちゃうくらい文化系って感じ」

 「ほらほらー! 百聞は一見にしかずでしょ!」

 「もう、分かったわよ。続きはご飯の時ね。先にお風呂入ってきちゃいなさい」

 「はーい!」

 晩ご飯は一体なんだろう。

 ゆっくりお風呂に浸かりながら考えようと思う。

 ココアくん、残してごめんね。
 
 今日は、君の味が私には甘すぎたみたい。

 

 1時間50分 2200字

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