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人口減少化での「第三の道」 -それでもよりよい暮らしを模索して (前編)

「出生数が初めて80万人を下回りました」
というニュースが最近ありましたよね。

国の見立てよりだいぶ早いペースだそうです。
生まれてくる子の数が減るということは、少し長めに見れば人口が減るということ。これから急激に人口が減少するこの国で、それぞれの地域はどうなっていくのか。何ができるのか、できないのか。今回はこのことについて考えてみたいと思います。

人口減少と近い未来

この国は少子高齢化が進み、人口も減っていきます。
2021年は一年間で、約65万人減少しました。
これはほぼ島根県の人口に等しいそうです。
たった一年で島根県がまるっとなくなるほどの減少の大きさ。

今後の人口減少予測をググると、2048年、今から25年後には1億人を下回るらしい。今が約1億2,500万人なので、ちょうど25年で2,500万人減少する予測です。約2割減る。5人のうち一人がいなくなる。

2割もの人口が減ったこの国はどんな感じになっているんだろう?
今この国には、約1,700の市町村がありますが、25年後、1,700の自治体のいくつが消滅してしまっているんだろう?
消滅はしていなくても、それぞれの町の暮らしは、学校の数や社会インフラはどうなっているんでしょう?

国や自治体が最近、急に「異次元の」少子化対策を謳いだしましたが、いきなり人口が回復することはないですよね。どうしても息の長い取り組みになならざるをえません。
一方、人が減り続ける中で、インフラを維持し続けたり、現在の「地方創生」のような移住や交流人口の獲得を目指す取り組みには限界が出てくると思われます。

だって、その財源となる税収も、単純計算で言えば2割減るんですもん。
少子高齢化がさらに進み、一般的に働き盛りと言われる世代が減り、これまた一般的には支えられる側とされる高齢者層が増えるので、おそらく税収も単純計算の2割の減収では済まないかもです。

ちなみに、これ、今の高齢者の皆さんを指しているわけではなく、今から25年後の話なので、現在45歳の俺はちょうど70歳。そりゃあ、70歳でも支えられる側ではなく、少しは支える側にいれるよう努めていきます。ですが一般的・相対的に見れば、70歳はどちらかと言えば支えられる側に入ると思われるので、俺自身が高齢者/支えられる側になっているときの話。

全国各地で「地方創生」の名の下の取り組みが続いています。観光や食、文化といったものだけでなく、地域おこし協力隊をはじめローカルへの「移住」などもひと昔前に比べたら、大きな流れと力になって全国各地へ活力をもたらしていると思います。

でも「地方創生」の文脈で、どこかの自治体や地域が頑張って人を呼び集めたとしても、国全体で人口が増えなければ、どこかが増えた分、どこかから人口が流出-減少するだけとも言えます。大きな視点で見れば、日本というパイ全体が縮小する中での「ゼロサムゲーム」に過ぎないです。

人口はなかなか急には増えない。
自治体ごとの取り組みにも限度があるし、所詮「ゼロサムゲーム」。
では、座して(地域として)死を待つしかないのか?
それも、人口や財政規模の小さな地域の順から苦しくなっていくものなのか?

前置きが大変長くなってしまったが、
これからの近い未来において、
指をくわえて人口が減っていくのを見続けるでもない、
(減りゆく税収という)身の丈を超えた焼け石に水的な無謀な取り組みや事業を展開するでもない、持続可能な「第三の道」があるのか。今回はこのことについて考えてみたいと思います。


福島県いわき市川前町!

わたしが暮らす福島県いわき市に「川前町」という地域があります。
32万人が暮らすいわきで、川前町の人口は約900人。
市の高齢者の割合(高齢化率)が30%なのに対し、川前は約50%。

いわき市は、東京23区のちょうど倍の大きさで約1,200㎢もあります。
そんなとても大きな市のなかでも、川前はもっともヘンピな地域です。
市の中心部から車だと50分。
磐越東線という電車でも30分かかる。
商業施設や飲食店があるわけでもない、医療機関や介護施設もない。

いわきは福島県という東北地方にありながら、ほとんど雪が降ったり積もったりすることはありません。朝、積雪があろうものなら、市全体がちょっとしたパニック状態になっちゃいます。
そんないわきにありながら、川前は雪が降り積もります。



俺と川前のものがたり

今から6、7年前に「地域包括ケア推進課」という部署に配属されました。

地域包括ケア(システム)とは、、、

高齢者の方が介護が必要な状態になっても、本人が望めば、住み慣れた地域で暮らし続けられらるよう、医療・介護だけでなく、行政やご近所の力なども合わせて、本人の希望を支えるネットワークや取り組みのこと。

「いわきの地域包括ケア igoku(いごく)」HPより

クリニックも薬局も介護施設もなく、人口も少なく高齢化も高く、冬は雪まで降り積もる川前で、それでも川前らしい「地域包括ケア」を探るべく、私は足繁く川前へ通い出しました。


居酒屋が地域包括ケア?!

「よし、イガリさんが言わんとしていることはなんとなく分かった」

川前のいろんな集会所や公民館などにお邪魔して、地域包括ケアについて話していくうちに、おばちゃんやおじちゃんたちからこんなことを言ってもらえるようになりました。

「今さら、わたしたちは道路をもっと広くしてくれとか、病院をつくってくれとか、役所でなんとかしてくれなんて言う気はない」

「大変かもしれないけど、川前で川前らしくこれからも生きていくために、私たちは一つやりたいことがある」

「なんですか?」

「居酒屋やりたい!」

・ ・ ・

? ? ?

・ ・ ・

「私の庭では、銀杏が大量にとれるでしょ」
「川前は、そば打ちが盛んだったから、そば粉を使った料理とかもいいな」
「小白井(※)きゅうりというこの地にしかない品種もあるから使いたいし」

「おーい、勝手に話を進めないでくれー。なんで居酒屋なんだー?!」

という私の叫びもむなしく、、、

公民館の調理室で、試作をどんどん重ねていくチーム川前w。

あれよあれよという間に、
2018年8月、川前駅前で居酒屋爆誕!

仮設のテントだし、飲食のプロではないし、外でベンチに座って待ってる方と中で調理にいそしんでるおばちゃんと区分けがつかないほどだしw。

だけど、いい時間が過ごせた。
いい場を持つことができた。

テント居酒屋に入りきれないほどのお客さんが来てくださり、夕暮れ時に、外のベンチで座って順番を待ってる間に、

「いやぁ、あんた久しぶりだね。元気してだのげ?」

なんてコミュニケーションが生まれた。

当然、目には見えないけど、この日、川前という地域に暮らす皆さんの気持ちが、ほんのちょっと、前よりさらに近づいた気がした。皆さんをつなぐ糸が、ほんのちょっと、前より太くなった気がした。

そんな気持ちや糸が、何もないかもしれないけど、これからも私たちは川前で暮らし、川前で生き、川前で最期を迎えるんだという覚悟につながっていったように感じました。

「どんな状態でも、自分が望む地域や住み慣れた地域で暮らし続けられる」とそれを支えるネットワークが地域包括ケアです。一見、関係がないように思える駅前居酒屋も、地域が気持ちを一つに暮らし続ける覚悟を持つきっかけになったと考えれば、こんな地域包括ケアもあるんだ、あっていいんだと当時も今も思っています。



noteの代表の方の「読まれるnote」記事で、一投稿あたり2,000-3,000字程度にとどめることと書いてあったので、今回の話は、前後編にわけてお送りしたいと思います。

詳しくは、「後編」に書きますが、こんな素敵な川前が現在クラウドファンディングに挑戦中です。一度、プロジェクトページだけでもご覧ください。お願いしまーす。

後編につづく。
後編の構成は↓

うまくいかなかった、川前流の「住まい方」
川前で新たなプロジェクトが爆誕!
 ・小さな拠点とは?
 ・古民家をリノベーション!
 ・名前は『おおか』
 ・挑戦とその想い
人口減少化でもよりよく暮らすを諦めないために


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