後付けの言語化だけで満足してはいけない
成果物の言語化をするような評論家的な活動のことを「後付けの言語化」と呼ぶことにする。
これはあんまり意味がないと思っていて、なぜなら重要なのは作者がどんなプロセスでそれを創造したのかを考えることにあるから。
成果物は長い積み重ねの氷山の一角に過ぎず、それを言語化することも同じ。
作品を要素分解して、「この条件を満たせばヒット作がつくれる」みたいな公式を作ってもうまく扱えないのは、作者の思考回路、視点に着目していないから。
で、その視点というのが世間に共有されないのは、