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自分の中の悪意を自覚する

自分の中の悪意に気づかないから、悪役が描けないのではないか

以前、勧善懲悪ものの悪役のリアリティがうまく出せないということを考えていたのですが、その答えらしきものを見つけました。


自分の中にどんな悪意があるのかということを考えてみています。

僕はなにかうまくいかないことがあったときに、自分が間違っていたり、能力が足りなかったりと、自分が悪いと考えるパターンが多いです。

そしてこれは他人に対しても同じで、他人が何かうまくいっていないことがあると、その人のやり方が間違っていたり、考え方が間違っていると思いがちですね。

実際そうなのかもしれませんし、環境要因などその人にはどうしようもできないことなのかもしれませんが、僕の思考パターンとしてはこれが多いです。自己責任論寄りですね。

なので、何か間違っている行動を他人がとっていると僕が思ったときに、その人は知識経験がなかったり視野が狭い人だなあという感想を同時に抱きます。
これに加えて、その人がいい大人の年齢である場合、知識経験視点を得る努力をしてこなかった無責任な人なんだなあという感想も心のどこかでもちます。
そして、その人のことが嫌いになり、期待しなくなり、距離をおきたいと思うことが多いです。

そしてそれを指摘したり改善を促したりしてみたときに、本人にその意志がなかったりするととても怒りを覚えたりします。

知識や経験があれば間違っていることをしないですむのに、どうしてそれを得ようとしないんだろう、となる。
そして、そうした人たちの気持ちがわからないから、怒ったり嫌ったりするのだと思います。

このときの僕の気持ちが「悪意」に近いと思います。

 仮に「努力したのにそれが実らないことで自分が傷つくのが怖い」のであれば、「あなたは自分が傷つくのが怖いから他人に迷惑をかけるのですか?それなのに無人島ではなく社会の中で生きるのですか?」と言いたくなってしまいます。

このへんをまとめると、僕の中の悪意というのは「見切りが早すぎるという悪」だったり、「人に期待しない悪」ということかと思います。

そしてこれを深ぼると、もしかしたら愚かかもしれない人と関わることで「自分が損をしたくないという自己中心的な悪」であり、「期待した人に裏切られる際に自分が傷つくのが怖いという自己保身的な悪」と言えそうです。
個人主義的な方向ですね。

その背景には、「やるべきことに集中するためにその障害となるものはなるべく排除したい」という欲求があるのだと思います。

そんな感じの悪役なら描けそう。

描いていて思ったのですが、悪意って「自分が悪だと思った対象に向けて抱く感情」のことだったのかもしれません。
なので、そのキャラのやりたいことを阻む存在に抱く感情が「悪意」になるんですね。

なんか当たり前のこと言ってますね。


結局勧善懲悪系の悪役って、大多数がこの人悪い、と感じる人のことなので、それって、大多数がこの人何考えてるか分からない、と思うことと同じ。つまり共感することがそもそも難しい存在なのだと思います。

なので、「異常者がなぜ犯罪を犯したのか?」ということを主眼においた作品でない限りは、あまり彼らに対して突き詰めて共感しようとせずに、「まあ、快楽殺人する人の気持ちは。。。たぶん自分が捕まって死んでもいいとそもそも思ってて。。そんでもって人を殺すときの感触とか血のビジュアルが好きで。。ノーリスクハイリターンだから罪を犯すのだろうな。。。うん」と浅い理解に留めておくのがよさそうです。



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