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地上の浄土と信仰のような何か-五月、Plastic Tree『doorAdore』東京公演を観に行った[2]

([1]はこちらから→地上の浄土と信仰のような何か-五月、Plastic Tree『doorAdore』東京公演を観に行った[1])

サブカル野郎としては憎たらしいぐらいベタに、僕は以下の街を愛好している。

下北沢、神保町、原宿、高円寺、そして中野。

いわゆるパワースポットと言うやつだ。

これらの街にはひとの思念が溢れかえっている感じがする。マニアックな個人経営のこじんまりとした雑貨屋、儲かってるのか売れてないのかよくわからないヴィンテージの洋服屋、くせの強いチェーンの本屋、生存が危ぶまれるレベルの純喫茶、そしてそんな店々に並べられた、個人の強すぎるこだわりが詰め込まれた商品。

本や洋服、作家ものの雑貨なんかが昔から好きだ。そう言うものにはある種の信仰の現れを感じる。仏像とか宗教画とか、曼荼羅とかそう言うやつに近いものを感じる。

正直本なんか読まなくたってニンゲンは生きられるし、洋服なんて量販店の大量生産着てれば間に合うし、ペンケースだってノートだって100円ショップの無地で足りるはずなのだ。でもそこに意匠を凝らし、相応の値段をつけて売るひと達が確かにいて、それを必要としているひと達もいる。そんな大いなる“無駄”が僕はとても好きで、それが溢れかえっている街がとても好きだ。ロックバンドを愛する気持ちと多分同種の感情だと思う。

渋谷とか新宿とか、ニンゲンの濃度が高い場所が僕はとにかく苦手で、仕事のために毎日通っていてもいつまで経っても慣れないのだけれど、そう言う思念体の密度が高い場所は何故か好きで、安心感すら覚える。自分の身体がスポンジのように、見知らぬ他人の信仰の結晶を吸い込んでいく感じがしてとても気分がいい。


でも、好きだと言う割には中野にはあまり行く機会がない。定期券圏内と言うわけでもないし。敢えて行く機会があるとするなら、中野サンプラザでライブを観る時ぐらいだろうか。

五月九日。僕は普段ならそうそう着ない銀色のプリーツスカートと黒いジャケットを身につけて父親の通院に付き添っていた。

最近容態が芳しくなく、腹水が溜まってきてしまっていたのを気にした母親が、「私もついて行くけどひとりじゃ何かと心配だから一緒に来て」と言ってきたのだ。その後夜からの予定を以前より楽しみにしていた僕は半ば嫌々承知した。

父親の病状は急を要する状態ではないようだったが、大事を取ってと翌日から入院になった。まじかよ明日も着替えだのなんだの持っていかなきゃじゃないか。午後から出勤するつもりだった予定は変更、終日お休みに。普段休みたい休みたい言っている割には、こう言う場合はちょっとシャクだ。

テーラードジャケット姿とは言えなかなかメットガラな雰囲気の出で立ちをした家族が診察室まで付き添ってきた時は、お医者も多分たいそうビックリしたろうと思うが、そんな事は構うものかサンクスモニカである。ミッションをクリアした後は時間を気にしつつ家族と別れ、急いで電車に乗り込む。身だしなみを整える暇もなかったため見知らぬ駅で途中下車、なにやら公民館のようなビルのトイレに駆け込みあまり見たくない鏡とにらめっこ。メンタルが根暗チキンなメンヘラヤンキーなので無論ピアス穴は空いていない。なけなしの反逆精神として鞄の中に隠し持っていたフェイクピアスを左耳につけまくる。安全ピンでインダストリアルピアスをキメたら一瞬でアヴァンギャルドなバンギャの出来上がりだ。ラフォーレ原宿地下一階がアタイを呼んでるぜ。勿論これもフェイク。うるせえな誰が根性なしだ、ただピアス穴のメンテが面倒くさくて穴空ける気がしねえだけだよ。なんか変な糸とか出てくるらしいじゃん?穴から。

今夜はこれからPlastic Treeのライブなのだ。魔界のひと達に恥じないような正装で挑まねばなるまい。


時間まで地上の浄土で時間を潰す。勿論中野ブロードウェイだ。ずっと欲しかった憧れのライターさんのフェテッシュな個人出版本をまとめて購入、一階のちょっとレトロな喫茶店で休憩がてら目を通す。

落ち着いた照明の中で上品な磁器のカップに入った美味しいカフェラテを飲みながら、誰がどんな本を読んでいようと誰も干渉してこない空間で過ごす時間が心地良くて、少し長居しすぎてしまった。開演ギリギリなので物販は終演後にしよう。全席指定だ、そう急ぐ必要もなかろう。とは言えちょっとだけ慌てながら、サンプラザの赤い大階段を駆け足で上った。


公演は十分程押し気味で始まった。意外と余裕が出来たのでゆっくり舞台の上を見回す。僕の席は二階だったので、舞台の上に設営されたセットの全体がよく見えた。

ドレープが幾重にもかさねられた白い緞帳に覆われた舞台は赤い照明をうっすらと浴びていた。いかついドラムセットの後ろには大きなスクリーンが設けられていて、バンドのロゴが投影されている。カミ手とシモ手にひとつずつ、アルバムタイトルに因んでかドアのオブジェが飾られている。

ジャズ喫茶みたいなSEをぼんやり聴いているうちに、会場の照明が暗くなった。遂に開演だ。何度経験しても、この瞬間の下腹がカーッと熱くなるような高揚感と緊張感には慣れない。観ているだけの僕でもそうなのだから、きっと演者はもっとだろうな、と思いながら座席から立ち上がった。


遠くから楽団が近づいてくるような静謐なイントロから、一曲目は始まった。

『遠国』と言う曲。

真夜中の砂漠に立ちのぼる蜃気楼をメロディにしたような曲に、不実の恋の歌が乗っかっている、もの悲しくもぞわぞわと昂奮する曲。その日の僕はこの曲を生で聴くために来たと言っても過言ではなかったので、既に絶頂、と言う感じだった。

モノトーンで統一した衣装がファッショナブルな四人は、いつものフォーメーションでいつものように、オーディエンスの期待を軽々飛び越えていく演奏をその日も見せてくれた。一曲目から、いや、一小節目から舞台の上はプラの世界に支配されていた。まるで、玉虫色の螺鈿を敷き詰めた小箱を開いたような感覚。青赤紫に照らす照明以上に強烈な、オーロラのような光を彼等自身が、彼等の音自身が放っているように見えた。

有村さんが歌いながらくるくると回る度に、長いプリーツスカートの裾がひらひらと幻のように弧を描く。舞台の上からこちらにまで怒涛のように溢れかえるオーロラの色を、そのまま蓋を閉めて彼等ごと持って帰りたいような気持ちになった。


プラのライブはいつ観ても美しくてエモくて、いつ観てもとにかく楽しい。彼等の曲をちょっと知ってる、ぐらいのひと達はもしかしたら「楽しい」ってのは意外だと思うかもしれないけれど、ところがどっこいなかなか暴れ甲斐があるんだなー、これが。

この日に披露されたここ数年の曲だと『念力』、『マイム』、『ユートピアベリーブルー』、そしてプラのファン=海月じゃなくとも知る人ぞ知るライブの定番曲『メランコリック』。疾走感とカオスチックな力強い音が融合した楽曲は身体を動かさずにはいられないし、跳ねるような縦ノリのダンサブルな楽曲では会場が揺れる揺れる。僕はプラにヘドバンも縦ノリも教わったと言っても過言じゃないし、時々夏フェスなんかにも出るバンドさんなのでその暁にはヴィジュアル系に明るくない邦ロック好きの皆さんにもサークルモッシュしてほしいと思うぐらい踊れるし騒げる。(勿論、周りに迷惑をかけない程度でね!)

炸裂する色とりどりのレーザービームに包まれた今年結成二十四年のおじさん達は、安定感ある演奏ながらもその辺の若手バンドにも負けないぐらい楽しそうで大変素晴らしい。
パフォーマンスこそ控えめなアキラさんの超絶テクニックギターはアドリブガンガン効かせて聴かせてくるし、今年ジャスフォーを迎えたばかりの最年少ケンケン氏のドラムプレイはクールながらも楽しそうに跳ねる跳ねる。ギュワンギュワン凶暴でありながら奥ゆかしいベースを弾き倒しつつ、合間にお手てを大きく広げて何回もコールアンドレスポンスを求めてきたりぴょんぴょん跳ねまくったり人一倍楽しそうなのは、作曲にも定評あるしっかり者のリーダー正さん。そしてそんな彼の肩に手をかけて寄りかかりニコニコ歌ったかと思いきや、ロングスカート姿にも関わらずお立ち台に大胆に寝そべってみせながら扇情的な流し目でアリーナを見回す有村さん。まさか四十代の殿方のスカート姿にこんなにドキドキハラハラさせられるとは思わなかった。鼻血吹きそ。


そんな感じでめちゃくちゃカッコイイパフォーマンスを見せて(魅せて)くれながらも、ひとたびMCに入ればアルバムタイトルが上手く言えなかったり、アンコールで有村さんが直々に買い物カゴに缶のお酒を大量に入れて運んできたり(そしてメンバーひとりひとりに配って回る)、その様をアキラさんに「デパ地下で買い物するおばちゃん」と評されたり。テンションが上がりすぎた正さんがマイクを派手に倒してしまうお茶目なアクシデントや最早恒例になりつつある「拡声器で歌う有村さん(めちゃくちゃヴィジュアル系っぽい)」など、やたら人間味溢れるチャーミングなところもポロポロこぼれてくるのでそれはそれでおいしいこと必至。いわばライブの時のプラは妖気と陽気の狭間で踊り狂う道化師のような……って、バンギャっぽい言い回し使ってみたんだけれど、伝わりにくいか。そうか。


プラのライブの楽しさを伝えきるには僕の言語野では心もとなすぎる。そして、この楽しさの根源には、ただ「踊れる!」「暴れられる!」と言ったフィジカルな楽しさだけでなく、もっとメンタルにじゅわじゅわと染み込んでくるような、そう、言うならばそれこそ宗教芸術のような美しさがある、と思う。

このキャリアになっても振り付けやペンライトなどオーディエンスを巻き込む新しい試みをどんどん成功させていく革新的さも含め、彼等のライブは音楽を超えている。決して某界のOWARI主催のイベントみたいな芸術的なデカいセットを使っている、とかではなく、いつもシンプルな最低限のセットと映像演出なのだけれど、そこから楽曲を超えた「物語」を醸し出すのがとても、とても上手い。

このライブの時は特に、本編終わりの三曲が凄かった。『ノクターン』『雨中遊泳』、そして『サーチ アンド デストロイ』と言う楽曲だ。

盛り上がった中盤の空気を一掃するように、静謐な印象のこの三曲。特に『ノクターン』はイントロの壊れたラジオノイズのような音からカタルシス感のある大サビまで、これでもかと切なくもの悲しい物語が一貫されている別れのバラードだ。僕はアルバムで初めてこの曲を聴いた時、今年一番じゃないかってぐらい泣いてしまった。その日も言わずもがなイントロの時点で既に泣いていたのだが、舞台の上では涙どころじゃない芸術が繰り広げられていた。

さっきまで舞台狭しと舞い踊りながら歌っていた有村さんが、スタンドマイクの前から微動だにしなくなった。青いレーザービームが森のように縦断する舞台の上で、時に指先を天へ伸ばし、時に苦しそうに胸を押さえながら歌う。

『雨中遊泳』になると、彼は黒い傘を持ち出して静かに開いた。スクリーンに映されているのは、しとしとと雨が降る都会の街角の映像。奥ゆかしくも奥行きを感じるディストーションの効きまくったアキラさんのギタソロに身を任せながら、彼はマイクの前を離れ、傘を振り回しながら優雅に踊る。まるで雨乞いのような、いや、これは寧ろ雨止みの祈祷だろうか。

自身の死生観が現れていると言う神々しいバラードがアウトロに差し掛かると、有村さんは祭祀を終えた司教のように厳かに傘を閉じた。呆気に取られたような静寂に包まれた会場に、シューゲイズしたギターベースの余韻と傘を閉じる音だけが響いていたのが印象的だった。

そして最後の一曲、『サーチ アンド デストロイ』。これはアキラさん作の曲で、凶暴そうなタイトルに似合わずしっとりとした静かな狂気に満ちた曲なのだけれど、これがまた凄かった。

照明がいささか過度に落とされた舞台の上。有村さんはお立ち台に腰をかけ、なにやら本のような紙束を片手にハンドマイクで歌い始める。背景に映し出された丘陵の景色とダリの絵のようなアニメーションがうっすらと見えるが、スポットライトは囁くように訥々と歌う有村さんだけを照らし出している。

演奏が終わりに差し掛かると、変拍子を刻む曲に合わせて有村さんが紙束をばら撒き始めた。手にした真っ白な紙を何枚も何枚も、天に向かって放り投げながらスカートの裾をひらひらと舞わせてくるくる回るフルメイクのボーカル。最後、数枚残った紙をまとめて頭上へ放り投げた彼は首を少しだけ俯けて動きを止める。スポットライトの下、舞い落ちる白い紙吹雪を浴びながら舞台に佇む有村さんの細いシルエットは、今まで見てきた彼の姿の中で一番美しかったかもしれない。


プラのライブでは、こんな感じのコンテンポラリーダンスとかひとり芝居か何かかよと思う演出がしばしば見られる。しかも、この間有村さん以外のメンバー三人は、決して動き回らず、ただただ静かに演奏に徹している。音は明らかに彼等のもので、存在感もあるのだけれど、まるで舞台装置の一部にでもなってしまったかのように、闇に溶け込み動かない。巧妙に作り込まれた楽曲と言う名の「物語」を演じる役者である有村さんを際立たせるための、生きた舞台装置。

メンバー三人の静かな狂気と、楽曲の物語そのものに憑依でもされたかのような鬼気迫るオーラを纏う有村さんの姿、歌声からはまるで神事のような凄まじさすら感じ、僕はいつも畏怖の感情を改める。彼等が抱いているのであろう音楽への、ロックへの信仰や執着を、音符と音符の隙間から勝手に感じ取って神々しさすら覚えてしまうのだ。


この時実はアンコールでゲストボーカルが呼ばれていた。なんと、プラと親交の深い黒夢やSADSで活躍されている清春様だ!

生まれて初めて見た生キヨハルの圧倒的オーラとか、それに気圧されてオロオロする後輩プラさんから初々しさすら感じた事とかまで詳しくここに記してしまうと流石に長くなりすぎてしまうので涙を呑んで割愛するけれど、『メランコリック』でアツいセッションを披露した後、狂喜の共演に感激した有村さんが仰った一言が、終演後になって何故かじわじわ怖くなった事は、書いておきたいと思う。

「今日のライブの映像、今後三十年は観ていられます」


はて、今から三十年後、彼等は一体何歳になるっけか?

([3]へ続く!→地上の浄土と信仰のような何か-五月、Plastic Tree『doorAdore』東京公演を観に行った[3])

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