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【2/24Dannie Mayライブレポート】tossed coin~supported by Eggs~@渋谷HOME【疫病撲滅祈願】

その第一音、第一声を耳にした瞬間、筆者は、ここに棲んでも良い、とすら感じた。
 
渋谷の小さなライブバー、マンションの地下のような場所にある、地図に頼りながら足を運んだにもかかわらずもう二度と場所を突き止められなくなってしまいそうなアンダーグラウンドの現場である。右端には小さな、しかし仕立ての良さそうなバーカウンターがひとつ。バーとしては充分過ぎる程雰囲気が良いがバンドのオン・ステージとしては些か小さめなフロアには十人強のオーディエンス。殆どが常連客か、はたまた友人達か。ともかくその日はいわゆる“投げ銭イベント”と言うやつで、巷を席巻する流行病の猛威はまだそれ程感じられないなかではありながら、既に幾つかの大型ライブの中止や延期のアナウンスはよく耳にする時期だったので、今となっては貴重な機会だったように思う。
 
薄暗い照明が包み込む会場の、オーディエンスと殆ど距離も高さも変わらない舞台の上に、イベントのトリを務めるDannie Mayはほぼ時間通りに姿を現した。
 
見知らぬジャズのような会場SE以外に特別な出囃子もなく、あまりにごく自然に姿を現した三人に正直一瞬戸惑ったが、サポート・ドラム不在、ギターボーカル、DJ、そしてキーボードボーカルと言った、たった三人のメンバーのみのシンプルなバンド編成に、いかにもライブハウス然とした網膜に突き刺さるような照明のみの演出という無駄なものをすべて削ぎ落とした剥き出しのシチュエーションの中に身を置いた彼等は、まるでその身を守る術のない丸腰そのものの環境にもとより生まれついたかのように、何の気負いも緊迫感すらもオーディエンスに感じさせない程に威風堂々と、それでいて軽快なパフォーマンスを魅せてくれた。
 
一曲目の『バブ28』はユニークなタイトルとは相反して、三人の鮮やかでありながら優しげなコーラスワークと美しい旋律が印象的なミディアム・ナンバー。冒頭のサビから既にハモりがこれでもかと盛り込まれ、ストイックなまでに旋律の美しさにステイタスをガン振りしたオケがそれを豊かに底上げする。会場を温めるには些か静かすぎる感は否めないが、“神南系コーラスバンド”を自称する彼等のアドバンテージの高さを真正面から提示するには強力過ぎるブレイキング・ナンバーだ。圧倒的なグッド・メロディとメンバーそれぞれの歌の上手さ、根源的な声の良さにただただ身を委ねざるを得ない。
 
オーディエンスへの求心力としては、大いなる間口でありながら最大のフックとなるのはやはりマサ(Vo/Gt)のアジテーターとしての表現力の高さだろう。バンドのリーダーでありメインコンポーザーでもある彼は身を乗り出すように舞台の端に極限まで近付き、オーディエンスひとりひとりと目線を合わせ、時に語りかけるように、時に寄り添うように、時にその瞳の奥を撃ち抜こうとでもするかのような強い光を宿しながら、人懐っこく歌いかける。
 
特に顕著だったのが、去る3月18日よりストリーミング配信が開始したポップ・ナンバー『ユートピア』の演奏時だ。打ち込みのシンセが印象的な、サイケデリックでキャッチーなライブでは既に馴染み深いらしい楽曲なのだが、とにかくマサのバンドボーカルとしての表情の豊かさに脱帽する。ほぼファルセットとチェストボイスの違いのわからない、滑らかで健やかなハイトーンのミックスボイスを駆使する彼は、振り付けやシンガロングを柔らかな言葉で促し、間奏のあいだも謎のダンスで場を盛り上げる。その弾けるような笑顔から伝わるのは歌への、音楽への愛着そのもので、元々シンガーソングライターだった彼だからこその賜物なのかもしれないが、そののびのびとした立ち居振舞いは確実に“バンドボーカル”であるからこそ発揮出来るものなのではないかと感じた。
 
バンドのポップネスを体現するマサに対して、Dannie Mayのロックバンド然とした側面を担っているのは正しくYuno(DJ/Cho)だろう。彼等が今まで公開してきた楽曲MVの監督も務める、映像作家としての顔も持つ彼。バンドではコーラスと言うある種控えめなポジションを担う役回りだが、油断するなかれ。ひとたびステージに上がった彼はすらりとした長身を活かして意外な程にダイナミックなパフォーマンスを魅せてくれる。
 
特に現時点での彼等の代表曲である、R&Bの要素を多分に感じるキラーチューン『暴食(グラトニー)』のプレイには目を見張るものがある。フロアを縦横無尽に躍り狂うヒップホップ・ダンサーのようにシンセサイザーの上を跳び跳ねる指先、落ち着きある佇まいからは想像がつかない程軽快なステップを踏む足許、時に扇情的なムーブすら見せながらオーディエンスを挑発する仕草や視線……そのどれもが華やかで惚れ惚れする。そんな豪快な立ち居振舞いに相反して、柔軟性の高いコーラスワークでメインボーカルを彩る屋台骨としての役割は手堅く担う、強かで頼り甲斐ある側面も持っているのが彼の魅力の根源なのかもしれない。
 
Yunoの存在のみにフォーカスを絞らずとも、やはりこの日のライブのハイライトのひとつは確実に『暴食』だっただろう。
 
音源版よりも執拗に長く尺を取ったイントロ、そこで妖しく蠢く、大蛇が不気味に這いずるようなシンセ。音響の関係かギターが強めに聴こえるサウンドにやや走り気味のオケ、そして甘さとパンチを兼ね備えた三者三様の声が、吐息と揺れを含み、切羽詰まったように重なりあっては解れるようなスリリングなユニゾン。
 
有無を言わさぬ心地好さとその対岸に位置する得体の知れなさが絶妙な緯度と経度で交差した点に生まれる華やかさがDannie Mayと言うバンドの魅力そのものであり、正にその旨味がどこまでも凝縮されたパフォーマンスが観られた一曲だった。
 
そして、その絶妙な“得体の知れなさ”を最も体現していたのが、田中タリラ(Vo/Key)だ。先程触れた『暴食』の不気味で美しいシンセを奏でていたのは他でもない、彼の洗練された所作で鍵盤の上を滑る金の指輪を嵌めた指先だった。
 
淡い緑に染められた髪を悪魔憑きのように振り乱し、剣呑な素振りで鍵盤を叩いていたかと思いきや、次の瞬間には懐っこくぱっちりと目を見開いて愉しげに歌っている。癖なのかルーティンなのか、一音目を鳴らす直前まで舞台の隅っこで膝を抱えて座敷わらしよろしく座り込んでいたのも印象的だったが、その掴みどころのなさは振る舞いやプレイスタイルのみならず、歌にも通じているようだった。
 
そう、ひと度その歌声を聴けば、きっと誰もが彼を忘れられなくなるだろう。甘く柔らかくよく通るほかのメンバーふたりに対し、タリラの声音はまるでエフェクターでもかけたかのような独特な響きを持って聴こえるのだ。甘えたの英国の少年のようにも、酸いも甘いも噛み分けた老女のようにも聴こえる不思議なその声で、「あたしのことあげるからさ」なんて歌われた日にはすっかり参ってしまう。ずるい。
 
投げ銭方式である今回の公演に絡めて「皆さんの投げ銭の額によって今日の僕達の打ち上げのグレードが変わります!」と身も蓋もない事を言うマサにYunoが辛辣なツッコミを浴びせたり、「僕、ピアノ弾きながら喋れないんですよ」とタリラから謎の告白が飛び出したりといった茶目っ気たっぷりのMCを経て、最後に披露されたのは新曲、『アサヤケ』。既に何回かライブで披露もされているようだが、あくまでも三人の歌声を最大限に美しく存在させるために生み出されたかのようなシンプルなサウンドの上で奏でられる濃密で有機的な歌声の重なりは、どこまでもポップでありながらいっそ讃美歌のような神々しさすら垣間見える。
 
「赤い照明の似合うバンドは良いバンド」と言うのはよく耳にする構文であるが、橙色の夕陽のような灯りに包まれた彼等の佇まいは似合う/似合わないの次元を越えた絶景のような趣で、ああ、彼等はきっといつか近い将来、とんでもなく神聖であたたかい生命讃歌を歌い上げられるようなバンドになるぞ、と、根拠も何もないのに心底思ってしまった。
 
終演後、タリラが機材トラブルで音が出ない瞬間があった事を非常に悔やんでいる様子も見られたが、所詮は素人に過ぎない筆者には正直さほど気にならなかった。それ程までに、彼等のパフォーマンスのアドバンテージは非常に高かったのだ。しかし、ちょっとした――と一蹴するのは些か浅はかだろうが――機材トラブルにすらほぞを噛む程常に誠実に音楽に向き合っているからこそ、あのアドバンテージの高さに繋がっているのかもしれない。
 
この日の伸びやかなパフォーマンスや愛嬌あるMCの数々は、もしかしたらまだ常連客の方が多いために比較的リラックスしているからこそ観られるものだったのかもしれないが、誰よりも自分達が自分達の音楽の力を信じ、楽しみ、そしてオーディエンスを楽しませようと努める彼等の姿からは、眩いばかりのアサヤケに乾かされて身を奮わせる春の若葉の匂いがするようだった。
 
今月からは先述の『ユートピア』を含め、4曲連続ストリーミング配信も開始している。Dannie Mayの朝は、まだ明けたばかりだ。

 


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