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獣としての僕の肉体とビレッジマンズストアとの再会について~疫病撲滅祈願note2020~

■獣と化しそうな夜半

肉体さえなければ、と思う事がある。生身の身体から魂だけがデータに変換され、自分だけのDIYの島に移住するゲームが流行った。世界がどんどんオンラインに移行していく。このまま世界中の事柄が電脳上に移動してしまえば、この世界にもいつか平和が訪れるのだろうか。

母親の愚痴や想い出話ばかり聞かされ続ける自宅待機の毎日にもそろそろ飽きてきた深夜0時14分、細く窓を開け、夜の風の匂いを肺一杯に吸い込む。Vapeを咥え、空を仰いだ。吐き出したバニラフレーバーの煙が幾分透き通って見える夜空をいつも通りの色合いに染め、僕はVapeを左の指先に挟んだままドクターペッパーのペットボトルを開け、ひと口含む。

眩暈が止まらない。貧血と低血圧の最強コンボには既に慣れっこだが、陽が高いうちに身体を布団から引きずり出すだけでもフルマラソン完走からの胴上げ程度のパワーが必要なのはマジ勘弁。今は勤め先の事業縮小に伴い出勤しなくて済むだけまだマシだ、と言いたいところだが、ずっと自宅にいるのもそれはそれで自家中毒を起こしそうだ。家だけに。街を歩けば自動的に手に入った刺激がない、文化との出会いがない、いつもより食事もおやつも規則正しくたっぷり口にしていても、いつまで経っても腹が減る。誰かおれに餌を与えてくれ、でないと遠吠えしちゃうぞ。アオーーーーーーン。

こんな夜には音楽にしか心を許せない。受動的な時も能動的な時もすんなりと五臓六腑に染み渡るのが音楽だ。まるで粥のように、愛するミュージシャン達の尊い感性が僕の空虚に溜まる。シティポップを聴けばたとえ片田舎のボロマンションの一室にいても夜の街の匂いで酔えるかもしれないけれど、今日みたいな叫びだしたくなるような夜にはやかましいロックンロールが聴きたくなるもんだ。イヤホンを耳に挿し、煙をもう一度吐き出す。さあ爆音よ、僕の魂を一瞬で荒野へ引きずり出してくれ!


■理性が肉体に振り回される“獣”に過ぎない僕

思い返せば、世界が疫病騒ぎの渦中に放り込まれ退路をオンラインに見出す前から、僕はこんな夜を幾度となく迎えてきた。雄叫びを上げながら駆けだしたいような夜。君もない?

そもそもニンゲン、ホルモンバランスに左右されすぎでしょ。何のために理性や感情なるものを手に入れ、社会や文化を築いて高等生物ぶって繁殖してきたのか甚だ疑問である。身体は重く熱く澱のような精神に棘のような感情、一番厄介なのはお前だよ、性欲。お前が一番めんどくさい。

ネットの海をどれだけクロールしても身体の渇きは一向に去ってゆく気配がなく、布団にしがみついて息を止め咽び泣くばかり。眠気と疲労に従って下半身に滞った血が段々と全身へ散っていき、気を失うように眠りに落ちる日が月に5日から1週間はあるのだった。

肉体さえなければ、と思う。繁殖のためだけに性欲があるのなら、生まれてこの方今の今までセックスがしたいとも、愛するひとの子供を産みたいとも思った試しがない――そもそも自分自身を“女性”であるとも言い切れない性的マイノリティである!――僕なんぞが、どうしてこんなにも肉体の欲望に振り回されなければならないのか。

僕がしたいのは、生殖行為なんかよりももっと濃密な交わりだ。胸を掻っ切って顔を埋め、血肉の味で胸をいっぱいにするような、グロテスクな快楽だ。その身を切り刻み与えてくれるあなたの味をみっともなく味わったなら、その糧を余すことなく言葉にして実らせてみせる。もしもあなたが心臓まで与えてくれたなら、それはすぐには食べてしまわず大切に取っておく事にする。いつかあなたの臓物にまみれて腹上死するのが僕の夢。

当然皆さん充分おわかりかとは思いますが、今長々と書き綴ったのはあくまでも比喩ですよ。まじでこれやったら完全に犯罪だしそもそも相手が死ぬのでね。フィクションの世界でならこれまたお話が違ってくるが、リアル世界でのカニバリズムの趣味は流石にない。
でも、これぐらい濃密な体験がしたい、貪り合うような感情に飲まれてみたい。これって獣の本能なんじゃなかろうか、と思う。僕のリビドーはまるで食欲と性欲の魔的合体だ。

オスとメスしか存在しない、煩わしい“獣”としてのヒトの肉体から解放されたい。常にそう思い続けているのに、そう思うほどに僕の欲望は“獣”へと近づいていく。オスかメスかに分類されうる“普通のひとたち”なんかよりも、もしかして僕の方が“獣”としての肉体に縛られ続けているんじゃなかろうか。


■ビレッジマンズストアという真っ赤な獣との再会

ビレッジマンズストアというロックバンドが好きだ。

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僕なんぞのような文章を読んでくださっている奇特なあなた達ならご存知かもしれないが、形式上ひと通り基本情報をご説明させて頂く。名古屋を拠点に全国で活動する5人組バンドである。インディーズバンドながらキャリアは10年以上、昨年は結成15年を記念したワンマンツアーを1年間続けると言う大衆演劇の一座もびっくりの企画を立ち上げるも各地ソールドアウト、来年1月にはゼップ名古屋でのワンマンも決まっている知る人ぞ知る実力派、と言う感じのバンドだ。誰が呼んだか人呼んで“名古屋の暴れ馬”、常に真っ赤なスーツを身に纏い、ロックバンドというよりは「ロックンロールバンド」と言う呼称が相応しいゴリンゴリンのギターロックを鳴らす尾張の伊達男たち。少々マニアックな手合いだが、ファンダムの盛り上がり具合を見るにつけ個人的にはPlastic TreeやLACCO TOWERと並び“日本三大「もうちょい売れねえかな」バンド”だと思っている。


ご覧の通り、メンバー全員スタイルが良い。特にボーカルの水野ギイ氏の美貌は別格だ。メンバーと揃いの真っ赤な三つ揃いのスーツに白い羽根のショールを優雅に纏い、すらりとした手脚をこれでもかと誇示した佇まいはマネキンか彫刻のよう。艶やかな黒髪に白皙の相貌、自信ありげにくっと口角を上げた形の良い唇に、鋭く涼しげなまなじりの下がったアーモンドアイ。バンドの楽曲の芯を担うその歌声も剛強でグラマラスな唯一無二のハスキーボイスで、僕のなかでは先程もちらっと触れたPlastic Treeのボーカル有村竜太朗氏に並び、国宝級の美男子として国を挙げての保護対象とみなしている。

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(ファッションブランドのカタログでモデルさんもやってる。美)

僕が彼等の音楽に出会ったのは実は5年近く前である。
インターネットで出会い、今でも長く付き合いが続いている絵描きの友人が、初めて一緒に行ったカラオケで歌っているのを見たのがきっかけだった。僕の音楽の趣味を熟知している彼女による「おぬしはきっと好きなはず」とのレコメンドを受け、YouTubeで上記の『夢の中ではない』という楽曲のMVを観たのが最初。爆裂の爆音とドスの効いたボーカルにカルチャーショックを受けたものである。

でも実はその後、とても好きだったギターの加納靖織氏が脱退してしまった事をきっかけにあまり聴かなくなってしまったのだった。別に関心がなくなったわけではなかったのだが……常連だった店のスタッフが変わったのをきっかけに、なんとなく足が遠のいてしまうような……そんな感覚で、あまり熱心に彼等の新譜を追わなくなってしまった。
そんなある日、仕事でレビューの執筆の相談を受けた。ラインナップの中に彼等の新譜を発見した僕はふたつ返事で着手し、ここぞとばかりに職権乱用。えっやだなにこれ、めっちゃカッコイイじゃん。



そのままの勢いで、たまたまその時期に行われた配信スタジオライブも視聴。その時は世界中がまだまだ今程疫病の脅威にも切迫感を抱いていなかった頃合い。少しずつ進行するライブイベント延期・中止の波に彼等も例外なく呑まれてはいて、新譜のリリースツアーはとっくに中止になっていたが、そんななかでも出来る限りのかたちで新しい音楽を届けようとしてくれていたのだろうと思う。

おそらく普段利用しているレコーディングスタジオであろう場所に集まった5人は、いつものユニフォーム――あの派手な赤いスーツすら纏わず、完全に私服姿。しかしそこで鳴らされた音は完璧にライブのそれだったし、その音を鳴らす彼等は全力で躍動し、汗をかき、心底楽しそうに笑っていた。何より驚いたのは編入メンバーであるギタリスト荒金祐太朗氏の存在を、僕自身がごく自然に受け入れられた事だ。彼はあの愛嬌ある笑顔で彼にしか鳴らせない音を鳴らし、時折加納さんの面影すらも漂わせ、4人に圧倒的に信頼され、僕はその様子に違和感も淋しさも何も抱かず、彼と言うギタリストを素直に愛しく感じてしまった。

3月。誰もが平和を脅かす何かが迫っている事を感じながらも、さも何事もないかのように過ごしていた。ツアーが潰れた時点で、彼等は誰よりもその、やんわりとした緩やかな脅威を感じていたことだろう。自分達が愛した世界が音を立てて変容してゆく。そんな薄ら寒い不気味さのなかで知恵を絞り、最大限の音を聴かせてくれたのだと思うと、まだ全然彼等の事なんか詳しくもないのに、自然と涙が溢れた。仕事場からの帰り道、真夜中の終電の中。乗客が少なくて良かった。今までの人生の中で出会い、愛し続けている数々のミュージシャンたちの姿まで次々と脳裡を過る。

マスクに隠れて人知れず泣く僕の耳に、ギイ氏の言葉が響く。


「ロックンローラーってのはさ、天邪鬼なぐらいが良いんだよ、みんなが楽しそうにしてる時は斜に構えてカッコつけてさ、みんなが暗い顔してる時には『おれ達最高だぜ、楽しいぜ』って笑ってるぐらいが良いんだよ!」


腹の底から絞り出されるような彼の熱い声は、涙ぐんだような水っぽい熱を孕んでいたように感じられた。僕は、2016年に中野サンプラザで見た中田裕二氏の涙を思い出していた。その年、彼の故郷である熊本は震災に見舞われた。その災禍の真っ只中である4月の、彼の誕生日に行われたライブで、彼はかつて組んでいたバンド椿屋四重奏の解散前のツアーでさえも絶対にオーディエンスの前では見せなかった涙を、その大きな目に浮かべていたのだった。

強く強靭な、バキバキのロックヒーローだと思っていた。中田裕二も、ビレッジマンズストアも。誰もが不気味な不安に苛まれるなか、汗と涙を蹴散らして口角を上げ、瞳をぎらぎらと輝かせる彼等の姿はいっそ狂気のようだった。そこにいたのはただの、その牙ひとつで獲物を捕らえ続けてきた丸腰の5頭の獣達だった。


■「おれ達の仕事はお前を部屋の隅で獣にする事、そして、部屋から出られた時に、帰りたくねえなあと思わせてやる事」

その後、ビレッジマンズストアは人知れずワンマンツアーを決行した。勿論実際に大所帯引き連れて各地を巡りツアーを敢行したわけではなく、いわゆる最近主流になってきた“無観客ライブ”の形式で、潰れてしまったツアー3公演をフルで敢行したのだった。

“3密”回避のためにドラムスの坂野充さんをステージから追い出し(因みにMCではギイ氏より「対策のために、ウチの“みつ(みつるさん)”を回避しました」とのアナウンスがあった)、本来お客さんが入るはずのフロアにドラムセットを配置。最低限のスタッフとカメラマンを入れ、その他は通常のライブと同様の照明、演出、音響でのパフォーマンスが行われた。チケット制を取り、その価格はなんと破格の500円。ワンマン尺の本格的なライブ映像を初体験のリスナーも手を出しやすい価格で販売する事で、僕のような浅めのリスナーだった層まで取り込める戦略的な取り組みだ。リアルスペースで対面ライブが出来るようになってからの観客流入まで視野に入れているのか、抜かりない姿勢にただただ感服する。

ツアー完走後の今は、毎週金曜日にリモート通話アプリを使用した、メンバー同士の雑談をYouTubeライブで配信している。内容としては人生相談やギター講座、ライブのコメンタリーなど色々な企画を視野に入れているらしい。これは流石にディープなファンじゃないと楽しめないかもだけれど、僕は少なくとも週に一度の生き甲斐になっています毎週有難うございます仲良しは正義。

これらのきめ細やかな企画力とライブシーンへの執着にも近い情熱はもしかしたら、10年以上のキャリアとインディーズバンドならではの機動力の賜物なのかもしれない。大きすぎる後ろ盾がない代わりに、見切り発車でもどんどん前に進める強さ。
(因みに今回の完璧な配信ライブツアーの最大の立役者は、「ギターとデジタルガジェットを振り回している」と自称するギタリスト、ベビーフェイスの岩原洋平先生である。彼の豊富なデジタルシステムへの知識と抜かりない準備なくしてこの取り組みは成功しなかっただろう。天晴れ)

そもそも彼等の神髄はライブにあるのだ、疫病ごときに妨害出来る余地はない。

僕、実は元々ギイ氏みたいなタイプのドスドスしいボーカルはあまり好みではなかった。カッコイイとは思う。a flood of circleのリョースケササキも好きだし、幼少期にミッシェルは例外なくすり込まれた。でも、元々の好みの傾向としては、甘めのうっすら濡れた色気のある声が好き、出来ればハイトーンが良い。彼の歌声はハスキーなノイジー系ボーカルの中では比較的じっとりと濡れたような色気のある声ではあるが、その甘さは甘露ではなく愚かな獲物をおびき寄せ一網打尽にするための疑似餌、食虫植物が出す花蜜のそれだ。つよい。ひたすらにつよい。圧倒されちゃう。


そんな僕が彼の事を“ギイ様”と呼ぶ程までに夢中になってしまったきっかけは、何を隠そう先述の、500円の配信ライブだった。おそらく名古屋の休業中のとあるライブハウス、最高のシチュエーションのなかで彼はパリッと糊のきいた真っ赤な衣装に身を包み、仲間達の爆音を背負って尚ゲイン最大の大声で叫び、朗々と歌い、舞っていた。あの時、彼には間違いなく、そこに存在しないはずの観客が「見えて」いた。艶めかしく動く指先、音源以上に大ボリュームでありながらピッチは絶対に乱れない歌声、トレードマークの羽根ショールは生き物のように揺らめき、客席があるはずの場所へ思い切り身を乗り出し、画面の向こう側にいる僕達を踏み台にし、画面の向こう側にいる僕達の手を握り、星を宿した眼を見開いて口角を上げる。


「おれ達の仕事はお前を部屋の隅で獣にする事、そして、部屋から出られた時に、帰りたくねえなあと思わせてやる事」


彼等が2016年にリリースした、『正しい夜明け』というミニアルバムがある。彼等のテーマカラーである“赤”が印象的に配されたこのアルバムでは、1曲目を飾る『ビレッジマンズ』で浅川マキの1970年代の楽曲『赤い橋』が引用され、田舎町で生きる閉塞感とそこから何かの力によって引きずり出してほしいという渇望が描かれている。この1曲と対を成すように、最後に収録されている楽曲が『PINK』だ。
2ビートのパンクソングでありながらシンガロングが讃美歌のようで神々しいこの曲について、作詞を手掛けたギイ氏はタイトルの「ピンク色」を「肉の色」と表した。赤が薄まったピンク色は、彼にとって生々しい人間の象徴。真っ直ぐで戯画的なロックヒーローではない、いやらしい人間の象徴。とあるインタビューでそう語った彼は、「でも、」と続けた。

「冷静に考えたら、優しい色になったんだなと思うようになりました」


白皙の美男子である彼もかつてはコンプレックスまみれで、今でも醜形恐怖症のような感情に苦しむ事もあると言う。

(このことは『ビレッジマンズ』の歌詞にも鮮明な言葉で綴られている。)

アルバム『正しい夜明け』は、生々しい獣としての自分自身を受け入れられず、戯画的なロックンローラーとしてカッコつけていた青年が、獣としての自身を受け入れ、狂気を味方につけるまでの成長譚だ。メインコンポーザーのメンタリティの進化はバンドのメンタリティの進化に直結するわけで、これはまさしくバンドの成長譚そのものと受け取っても良いだろう。

その後2018年にリリースされた1stフルアルバム『YOURS』のラストに、件のアルバムと同名の『正しい夜明け』という楽曲が収録されている。若々しい青臭さを感じる『PINK』とはまた違う、ストレートで洗練された神々しさがあるこの曲が僕はとても好きだ。

30人弱の観客席で40センチ高い滑稽なステージから見ててね/矛盾を含んだ爆発音をロックンロールと名付け 唱えてくれ
(『正しい夜明け』サビより引用)


同名の前作アルバムのタイトルについて、ギイ氏は「ビレッジマンズストアを好きになってくれる人にとって“正しい”は、嫌いな言葉なんじゃないかと思うんです」と語っている。

「だから、あえて『正しい夜明け』というタイトルにすることで、その言葉に対して持ったみんなの感覚を救ってあげたい」


『YOURS』収録の『正しい夜明け』は、元々同名ミニアルバムのリリースツアーで会場限定シングルとして販売された曲だった。画一的な「正常さ」を「正しい」と思えない天邪鬼な気持ちを音楽を通して肯定し続けてきた彼等の心意気が、歳を重ねる程にピンクに薄まってもなお赤く燃え続ける獣の直感が、この1曲に結実しているように思えてならない。
平和ボケして感性の鈍った、肉体を捨てたニンゲンにはわからない第六感を、彼等は爆音と咆哮でもって祝福してくれる。


■世界がどんなに変わってもおれは獣の自分を愛してやるぜ

肉体さえなければ、と思う事がある。生身の身体から魂だけがデータに変換され、自分だけのDIYの島に移住するゲームが流行った。世界がどんどんオンラインに移行していく。このまま世界中の事柄が電脳上に移動してしまえば、この世界にもいつか平和が訪れるのだろうか。

窮屈な獣の肉体から解放されたいと、今でも思い続けている。思い続けている事には変わりはないのだけれど、でも、今、もしもこの肉体を捨ててしまわなければいけなくなってしまったならと想像すると、正直悔しくて仕方がない。

流石に今すぐにとは言わない。新しい生活様式とやらが一体どんなものになるかなんてばかな僕には漠然としかわからないけれど、本当は、出来ればこの肉体でもって彼等の胸に埋もれたいと思っている。岩原先生と祐太朗さんの荒々しくも様式美を感じるギターを、時に歌うように、時に地に足のついた落ち着きを持ったジャックさんのベースを、やかましさの裏に確かな技術力を感じるみつるさんのドラムを、そして水野ギイ氏のうつくしい感性を、胸いっぱいに吸い込みたい。画面越しじゃなく、この身ひとつで真っ赤な血肉に埋もれたい。

多分僕も例外なく天邪鬼な獣で、世界がこんな状況になってしまってから今、獣としての肉体を持った自分を、やっと愛する事が出来るような気がしてしまっている。そして、彼等が肯定し続けてくれる限り、この天邪鬼な元気は細々と小川のように続いていくのだろう。
折角やっと愛おしいと思えてきた肉体を失わないように、身ひとつで生きて幸せを感じられる世界を再び獲得しないといけない。確実な保証も何もない穏やかな地獄のようなこの国で、たとえか細く弱い遠吠えに過ぎなくても吠え続けるしかないんだろう。祈るように、まるで聖職者のように。だってまたライブハウス行きたいし、友達の顔だってオフラインで見たいじゃん? オンラインでどれだけ理想の島を作り上げたって、生身で覚えた想い出の鮮やかな手触りには敵やしないのだから。

僕の拙い言葉なんかじゃ締まりが悪いから、代わりに僕が今一番、すり切れる程聴いているビレッジマンズストアの楽曲から大好きな一節を引用して、そろそろまとめに代えさせて頂く事にしよう。


上も下もなくなって/前だけは分かんだって/目指す場所だけ 鳴らしてくれよサーチライト
(『サーチライト』)


ギイ様に服着たままシャワー浴びせようと思った監督、アカデミー賞あげたい。


イガラシ



参考文献:
https://tracks-live.com/interview/birejjimanzustore-4/
『正しい夜明け』リリース時のギイ氏のインタビュー。必読。

※文中のライブMCなどでのギイ氏の発言は、ライブ映像やアーカイブなどを僕自身が観て記憶していたものの意訳です。ニュアンス等が大幅に異なるかもしれませんが、アタマの湧いたオタクの耳コピだと思って予めご容赦くださいませ。


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