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僕達はもっと祝われたっていいーー祝祭の選択肢について

ライブに行く時の服装は正装だと思っている。その日観に行くミュージシャンの作風や雰囲気、テーマになっている音源のイメージに合わせて選ぶので、何週間も前から考えて決めることも少なくない。

ゴリゴリのロックバンドをライブハウスで観るならツアーTシャツにラババンは基本のキ。流石にもういい歳なのでカラフルなディッキーズの短パンを穿く勇気はないが、ジーパンにドクターマーチンを合わせて、フェイクレザーのチョーカーを首に巻く。シューゲイザーやポストロックのバンドをホールで観る時には立ち襟のシャツにジャケットを合わせて、ちょっとフォーマルにキメる夜もある。母親からお下がりに貰った、ちょっといいアクセサリーを身につけたりすることも。

そのミュージシャンが最近リリースしたアルバムのジャケットがブルーなら爪まで青にするし、好きなソングライターのイメージカラーが紫ならどぎつい紫の靴下で見えないお洒落も楽しんだり。冠婚葬祭、祝いごとやセレモニーの種類に合わせTPOを意識して、ドレスやスーツの着こなしを選ぶのとおんなじだ。




幼稚園の頃から仲の良い幼馴染みが結婚した。結婚式が挙げられたのはコロナ禍ド真っ只中で、やっとのことで開かれたその祝宴の真ん中には、真っ白で細かい装飾の施されたドレスを身に纏った彼女が、世界一幸せな人物とはこの子のことなんじゃないかと思ってしまうような笑顔を咲かせて立っていた。

隣に最愛のひとがいるというのに、彼女は僕の姿を目にするや否やドレスの裾を翻して転がるように駆け寄ってきて、僕の手を握り「ありがとう」と更に笑顔を深くした。

一方その頃、当の僕には浮いた話などここ数年一切ない。しかもそのことを寂しいとも思っていないからたちが悪い。普段は女性として生活しているわけだが、どちらかというとどちらともいえない、いわゆるノンバイナリーというやつだ。

というのはあくまで前提としての予防線。最近自分が「そうである」と公表してくれた偉大なミュージシャンがそうであるように、ノンバイナリーでも素敵な家庭を持つことができたひともいるし、当然恋人がいるひとだって少なくはないだろう。

僕の場合、一番多感な時期に両親がかなり仲が悪く、父親が『誰のおかげで食っていけてると思ってるんだ』タイプだったせいで結婚に良いイメージを持てなくなってしまっただけの話だ。

とはいえまだまだ、この世には“オトコ”と“オンナ”以外の性別はいないという考え方の方が一般的なこの世界では、自分の性自認を理解してくれる相手を探すだけでも一苦労な気もする。好きになる相手の性別にこだわりはないが男性を好きになることが多かったから、今まで出会いの機会を得てきた数少ない殿方から、イイカンジになる度に“女の子扱い”され、都度都度幻滅してきたのが現実だ。

更に加えて持ち前のオタク気質も強く、いわゆる“推し”が健やかに良い作品を世に放ち続けてくれればそれだけで充分幸せ♡ という有様なので、正直今自分が置かれている現状に大して傷ついてはいない。そのおかげで幼馴染みのことも素直に祝うことができた無邪気な僕は、厳粛なお式に張り切ってパンツスーツで乗り込み、「○○をよろしくお願いします!」と保護者のような言葉をパートナーの方に投げかけて、優しげな苦笑を引き出すことに成功した。


しかし、である。

その日の夜、一緒に参列した学生時代からの友人達とも別れ、会場のホテル近くから出るバスに乗り込んだ瞬間、言いようのない淋しさが僕を襲った。耐え切れなくなりイヤホンを装着、バスの後ろの方の席、真っ黒な夜空に映えるホテルの窓の明かりを遠くに眺めながら、少しだけ泣いた。

早いところ泣き止まなければ。家に帰ったら、決して若くない母がひとりで待っている。

母は今でもパートでささやかながら家計を支えてくれており、自他ともに認める豪胆な性質ではあるが、寄る年波には勝てないのか最近はいろいろなところに故障が出てきているのが否めない。介護は必要にならずとも、近い将来病院のお世話になることは今以上に増えるだろう。


人間の人生の中にはいわゆる祝祭が必ず訪れるものだ。この世にオギャーッと生を受けた時には出来るだけ多くのひとから祝福を受けるべきなのは当然だけれど、それ以降も進学や就職、出世、結婚、出産といったいわゆるライフステージごとに誰かから公に祝われ、そして歳を重ねていく。

だけれど、それらの“祝祭カード”を使い切ったあと、僕達の手の中に残るのは“弔い”ばかりだ。そして、一般的に言われる“普通の人生”の中に身を置いていれば手に入るはずの“祝祭カード”のいずれかを、そもそも持っていないひとだっている。僕はきっと、現状ではそちら側。出世はともかくとして、結婚や出産のカードは今、手元にない。

今は一緒に酒でも呑んで馬鹿笑いしてくれている未婚の友人達も、近い将来次々とカードをドローして、祝われる側になっていくかもしれない。既にオギャーッとこの世に生を受けてしまった、これから学校に入ることもない、出世も正直アリかナシか目途すら立たない、そんな僕のこれからの人生に、祝祭は待っているのだろうか。自分でない誰かを祝い、自分でない誰かを弔い、そして自分が主役になれるのは、死んだあとの葬式だけなのかもしれない。


昨年末、2年ぶりにPlastic Treeのライブに行った。毎年恒例の年末公演だ。毎年一緒に観に行っていた遠方に住む友人とも2年ぶりの再会だったので、いつも以上に気合の入った正装を施す。慣れない山高帽など被ってみたりして、舞踏会に向かう貴族にでもなったのだろうか僕は。

(この時のテーマは「おれなりのロリヰタ」。)

友人と共に久しぶりに足を踏み入れたパシフィコ横浜には、相変わらず気の早い門松が飾られていて、SE代わりに高砂が流れている。来る前に立ち寄ったショッピングモールの一角の水族館ではまだクリスマスツリーが飾られていたというのに、気分はすっかり正月だ。

ライブはもちろん素晴らしかった。彼らのライブ自体が2年ぶりだったから、決して若くないバンドメンバー達がただそこで愛する音楽を鳴らしてくれているだけでも最高の気分だ。

敢えて詳しくは書かないが、この日の公演の前に、ボーカルの有村さんにとって、とても悲しい出来事があった。しかし舞台の上にいる彼はそんな憂いなどは微塵も感じさせないほどパワフルで、一方、祈りを紡ぐように、ひとつひとつ丁寧に言葉をなぞる彼の歌声には、やはりどこか鎮魂歌めいた響きがあるように思えた。

(いや、彼らは今まで数えきれないほどの“さよなら”の歌を歌い続けてきているバンドだから、この日が特別「そう」だったわけでもないのかもしれない)

終演後に見たみなとみらいの夜景は2年前よりもずっと綺麗に見えた。この日のために僕はこの2年を生き抜いてきたんじゃないかと、本気で思った。

年明けには別の友人とビレッジマンズストアのライブに行った。彼らは真っ赤なスーツがトレードマークのバンドだ。年末に高砂や春の海をSEに使うバンドを観に行き、年明けに紅白幕もかくやなバンドを観に行く、やたらめでたい我が音楽ライフ。この日は日本一のロックンロールバンドたる彼らに敬意を表し、革ジャンに買ったばかりの真っ赤なサコッシュを提げて赴いた。

(サコッシュはリュックの中。)


ボーカルのギイさんはいつもの二人称単数形で、まるで大事な友人や恋人に語りかけるように、「お前の隣にいつもいてやるよ」と甘い言葉を吐く。その言葉は彼らの歌と同様に、決して表層的な耳心地の良い言葉ではなく、太い太い心柱が通った恐ろしいまでの優しさ故の言葉であることを僕達リスナーは知っている(ーーと、思い込んでいる)。

終演後に食事する場所を求めて向かった渋谷はやたらと猥雑で騒々しかったが、夢の中のように全ての音が遠く聞こえて、街のネオンは滲んで見えた。

(これはまだ恵比寿。)


ライブの後の街の景色はまるで映画のワンシーンのように綺麗で、怒涛のような情報量とエモーションにいっぱいいっぱいになった脳に相反して言語中枢は虫の息を吐き、ほとんど呆気に取られている。友人と一緒に過ごす時間も大して実のある感想を交わせている自信は全くないのだが、それでも青春小説の一ページのようなエモさを湛えた想い出として、記憶の中にぼんやりといつまでも残り続ける。

感想を文章に綴る時も、まるで文学作品を手掛けるような気持ちだ。仕事でレポートを書く時も一緒。今この指先からは、立派な文学が生み出されるのだという高尚な責務を感じながらキーボードを叩いている。

このやたら崇高な“気分”は、多分、ミュージシャンの生の演奏に込められた感情にシンクしてしまうからだと思う。身も蓋もない言い方をすれば単なる自己陶酔だ。冴えないいちオタクが無理して喚き散らし、暑苦しい美辞麗句を書き散らしているだけだと笑われたら反論出来ない。勘違いだと馬鹿にされても仕方ないと思う。

何故僕はライブに行く時の服装を正装だと思っているのか、その理由がわかった。きっと僕にとってライブは、単なる娯楽ではなく、結婚式や入学式と同じ、祝祭だからだ。


進学おめでとう。結婚おめでとう。出産おめでとう。誰かが誰かに祝われる時、そのひとはその場の主役になれる。いつもより少し綺麗な服を着て気取って、美味しい食事に舌鼓を打って。飾りつけられた空間で、何人ものひとに囲まれて眩い言葉を投げかけられる。

しかし、それだってその日限りだ。進学も就職も、学校や会社という組織の一部になるというだけの話だし、お姫様のような花嫁さんだって、王子様のような花婿さんだって、衣装を脱ぎ捨てれば次の日にはただの奥様と旦那様へ変身解除。僕達は、祝祭が終わればただのいち生活者の姿に戻らなければならなくなってしまう。祝祭という数限られたカードが持つ効果の、なんと儚いことか。

祝祭の中に身を置けばその場の主役になれるだなんて、勘違いに過ぎないのだ。それで何かが解決する訳でもないし。結局、さっきまで長い長い尺を使って書き散らかしてきた、僕の勘違いオタクっぷりとおんなじである。

しかし、僕達にとってその勘違いが、自己陶酔が、生きる糧になるのだ。何故なら祝祭に身を置いている間だけでも、自分自身がかけがえのない人生という名の物語の主役であると、再確認することができるからだ。

ミュージシャンの憂いは所詮他人の憂いだし、ミュージシャンの「隣にいてやる」なんて甘い言葉も所詮自分“だけ”のために投げかけられた言葉ではない。そんなことはわかっている。しかし、それでいいのだ。その勘違いの自己陶酔が僕に魔法をかけ、自分自身をかけがえのない存在であるかのように思わせてくれる。

祝祭は自己陶酔という魔法をかけるためのカードだ。そしてそれがないと、僕達は学校や会社という組織の、そしてもっともっと大きな大きな社会という仕組みの一部になってしまう。確かに今、呼吸をし、心臓を動かし、誰も肩代わりしてくれない色々な心配や不安が積み重なる自分自身の毎日をなんとかやり過ごしている自分という存在が、途方もなく大きな“世界”というひとかたまりを作り上げるための小さな小さなパーツでしかないだなんて思い知らされてしまったなら、僕は心細すぎて日々をこなしていける自信がない。

だから、もっと僕達の人生には祝祭が必要だ。誕生、進学、就職、出世、結婚、出産。そんな数少ない選択肢だけでは足りない。僕達の人生における祝祭の選択肢はもっともっと、たくさんあったっていい。


(ファーストフード店のトレイの上すら世知辛い。)

アラサーにもなると、結婚や出世を焦るオタク友達も少なくない。大好きな推しを追いかけ、同好の士と親睦を深める毎日はとっても楽しそうなのに、それも永遠のものではないと悟ったような顔をする。

僕はそのことに関して、決してネガティブな想いはない。彼女/彼の人生だ、口を挟む権利も義務も僕にはない。でも、なんだか釈然としない。

誕生、進学、就職、出世、結婚、出産。世間一般でそれっぽく横行する数少ない“祝祭カード”から、自分の年齢、キャリアや生活ぶりにあったものを世間体を気にしながら選び出してドロー。親きょうだいや親戚にも白い目で見られない、社会から浮かない“まともな人生”を召喚することだけが、幸せというやつなのだろうか。それらのスタートデッキ(完全版)を手にする機会への見通しが現状ない僕は、もしかしたら周囲から“可哀そうな子”だと思われているのかもしれない。

そりゃ僕だってパートナーが欲しい時もある。出世だってしたい。でも今の僕にとってはどれも雲をもつかむような話だし、そういう欲求がそもそもないというひとだってこの世には存在しているのだ。では、そのようなひとは“可哀そうな子”なのだろうか?

そんなはずはない、と僕は思う。

思うだけなら自由だと言われるかもしれないし、僕の考え方が最も唯一正しいと言いたいわけでもない。人生における最高到達点が、さっき挙げたような“祝祭カード”のうちのひとつであると胸を張って言えるひとだっている。それはそれでとっても誇らしいことだ。どうかたくさんのご家族やご友人に祝われて、幸せな主役として人生を歩んでいってほしい。

しかし、それはそのひと個人の価値観だ。たとえ世間一般で認められている“祝祭カード”を手にしていなかったとしても、幸せでないわけじゃ決してない。

今、手の中に“祝祭カード”がないなら、自分で新しく作ればいい。自分オリジナルのカードを手作りするのだ。

僕にとってはライブが一番身近な“オリジナル祝祭カード”だったけれど、なんだっていいのだ。観劇でもいいし、サウナでもいいし、アフタヌーンティーでスイーツ爆食いでもいい。同人誌即売会だっていい。いつもより少し綺麗な服を着て、好きな空間に身を置いて、大好きなものやひとに囲まれて少しだけ胸を張れば、そこが何処だって自分だけの祝祭の場に変わる。


一昨年は流石にあまり行けなかったけれど、昨年はライブに行ける機会がまた戻ってきた。今まで通りとは決して言えないが、敬愛するミュージシャン達に僕というかけがえのない存在を、たくさん祝ってもらうことが出来て幸せだった。

今年は何回、祝ってもらえるだろうか。

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