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『(まんがで読破)学問のすすめ』根底にあるのは? vol.480

今回の読書会のテーマ本は、『(まんがで読破)学問のすすめ』です。

本来であれば、古書の学問のすすめを読みたいところではあるものの、私も以前読もうと思い挫折したのを思い出しました。

いかんせん、書かれている言葉が難しいの何ので、内容どころではないのです。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」

そんな日本の学問体系を作り上げてきた福沢諭吉のお話です。

家系は引き継ぐもの

福沢諭吉の家系はとても恵まれたものではありませんでした。

武士でありながらも召使を雇うほどの財力はなく、早くに父と兄を亡くしてしまっていました。

そんな中で自らの学びを進めていくのはとても難しく感じますが、それ以上に諭吉の学びたいという欲求が打ち勝って機会に恵まれました。

詳しくはこの本では分からなかったのですが、どうやら父親も学者になりたかったようです。

しかし、自分の地位と時代というものに縛られそれがかなわなかったのでした。

まさにそんな父親の夢を追うように福沢諭吉は育っていきます。

それもごく自然とです。

そう考えるとやはり、親から引き継いできたものというのはなかなかなくならないのだなと感じます。

私も最近それを感じます。

知らぬ知らぬのうちに親と似てきている。

認めたくはないのだけれども、そうなっているのを自覚できるほどなのです。

原動力は知りたい分かりたい

なぜ、ここまで福沢諭吉は学び続けられたのか。

それは、ただ単純に「知りたい」「学びたい」に忠実だったからだと考えられます。

作中でも後半になるまで福沢諭吉の愛国心情緒は出てきません。

むしろ、前半部分は自分勝手というか、ただ単純に自分の感情に素直に行動しているだけのように思えます。

でも、これが最終的に日本にとっても重要な下地となっていったのでした。

それでは、福沢諭吉のような学びに対しての欲求はどのようにしたらできるのでしょうか。

家庭環境、自分の学ぶ環境、友達、いろんな要因が絡まっているかと思いますが、その中には自由と制限があるのではと思います。

福沢諭吉は次男ということで、兄と比較すると自由に過ごせていました。

家系に縛られることもなく、学びのみに舵を切れたのです。

そしてもう一つは、制限。

何でもかんでも学べる環境があったわけではありません。

金銭的な事由がなかったからこそ、そこをカバーするべく学びが必要になりましたし、自分の限られた環境の中で学ばなければなりませんでした。

この自由と制限のバランスが絶妙にからみ合って、福沢諭吉のような人物が生まれたのです。

発信し続ける

研究職として学び続けるだけの人生を歩むかと思いきや、晩年福沢諭吉は学問を教える道へとシフトチェンジしていきました。

そもそも、福沢諭吉はただ自分が学びたいだけのような行動が強かったのですが、海外に出向いてその考えを見事に打ち砕かれたのです。

そこにある感情は何なのでしょうか。

「日本はこのままではだめだ、あまりにも遅れすぎている。」

という考えから生まれた感情です。

「自分もこの日本人と同じ血が流れていると恥ずかしい。」

なのか、

「こんな奴らと同じにはなりたくない。」という憤りなのか。

ここのシフトを変えたきっかけが何だったのかは、それこそ私たちそれぞれの想いと関わってくるのかもしれません。

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