薫風日誌について

マガジン『薫風日誌』について

ifname_i交換日誌です。
本記事の下部に目次を掲載しています。

つれづれなるまゝに、日暮らし、硯に向ひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。我を知らずして外を知るということわりあるべからず。されば己を知るものを知れる人というべし。ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ夜の貴君を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。

マガジンの説明文は、徒然草の序段・第百三十四段を引用し、第十三段を拝借し書き換えています。

序段は有名な一節

つれづれなるまゝに、日暮らし、硯に向ひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

なんとなく一日中硯に向かって、心に浮かんでは消え、消えては浮かぶ想事をとりとめもなく書き留めてみると、不思議と次々に言葉が連なって出てきて、思わぬ感興におのずと筆がすすんでゆく
感慨について、解釈の幅がある箇所ですが、こんなところではないかと思うことにしています。

第百三十四段

賢げなる人も人の上をのみ計りて、己をば知らざるなり。我を知らずして、外を知るといふ理(ことわり)あるべからず。されば、己を知るを、物知れる人といふべし。貌(かたち)醜けれども知らず、心の愚かなるをも知らず、藝の拙きをも知らず、身の數ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病の冒すをも知らず、死の近き事をも知らず、行ふ道の至らざるをも知らず、身の上の非をも知らねば、まして外の譏りを知らず。たゞし、貌は鏡に見ゆ、年は數へて知る。我が身の事知らぬにはあらねど、すべき方のなければ、知らぬに似たりとぞいはまし。貌(かたち)を改め、齡を若くせよとにはあらず。拙きを知らば、何ぞやがて退かざる。老いぬと知らば、何ぞ閑にゐて身をやすくせざる。行ひ愚かなりと知らば、何ぞこれを思ふ事これにあらざる。

[現代語訳]賢そうな人も他人のことばかり気にかけて、自分のことを知らないものだ。自分自身を知らずに、他人のことを知るというような道理はあるはずがない。だからこそ、自分を知る人を、物の道理をわきまえた人だと言うのだ。容貌が酷くともそれを知らず、心が愚かであることも知らず、芸事が下手であることも知らず、身分が大した高さでないことも知らず、年老いてしまったことも知らず、病気が身を侵していくことも知らず、死が近づいていることも知らず、仏道の勤行が至らないことも知らない。それゆえに自分自身の非を知らないので、他人が自分を悪く言っていることも当然知るはずがない。

最後は第十三段

ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするこそ、こよなう慰むわざなる。

書物を通して古人を友とするのは、このうえなく心を慰めるものだという一節を拝借・改変して

ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ夜の貴君を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。

としています。「見ぬ夜の貴君を友とするぞ」私たちの交換日誌にこれ以上ない言葉です。

兼好法師先輩がこれほど言い得て妙で、それでいてとても美しい表現を遺してくれたように、私たちもまた「つれづれなるまゝに、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」であります。

不思議なもので、書き言葉と話し言葉では、なんだか出てくるものがちがう。おまけに私たち ifname_i は、書き言葉のほうが饒舌な人種で。喫茶店談議でよしなし事を語らうのですが、メールや手紙やブログで目にするお互いの文章にはっとさせられることがあるわけです。
日記をつけようとしたけれどどうしても続かない、というような性の集いですので、好きなときに好きなことを書いて、好きなときに読み合いましょう(読まなくてもいいけれど)という日誌をつくることにしました

内なるよしなし事を言葉に転写することは、それらを丁寧に、実直に行えば、自分を知ることになります。それゆえ、文章を外部に明かすことは照れくさい。
また、言葉に気持ちや出来ごとを転写をすると、その過程ではこぼれ落ちてしまうものがあります。どれだけ丁寧に掬おうとしてもどうしたってこぼれ落ちてしまうのですが、文章を外部に明かすとなると、わざとこぼしてしまった方がよいものたちが少なくない数で存在するわけです。これがまた難しい。
されど照れくさく難しいことは気にせず考えず、書きたくなったときに C'est la vie の調子でつれづれなるまゝに書きつくろう、というのがこの日誌のモットーです。

目次(随時更新)

オッと思ったお気に入りを、リストにします。

憎しみと不義とは即ち、愛と正義とである。
  ・世界を広げるには2つの方法がある
花束
蒸し暑い雨にすずやかな魔法を
もしも化石になれたなら
暮れのはじまりの坂
いつか、野草がカーネーションに変身することもあったらいいなぁ、なんて。
街に立つ顔
ぼんぼりの森
描き抜けなかった輪郭の曖昧
家仕事
大丈夫。
レジ
どの場所もすべてが誰かにとってのふるさとだ
じいちゃん、あのね、
泣くな。呵々大笑し強く走れ。
伝える難しさ
めでたすぎる事件
生きづらさを感じるあなたへ
ガザの郷土手料理をいただいてきた
マホメットのサインがイケている件
花薫るプレゼント
花畠をかきわけて
賑やかなお墓の、静けさが好き。
10011001、1515 が並んでいた。
苦悶の貴女へ、ドクダミを摘みながら。
みさととまゆちゃんの結婚式
  ・from 美里: 美しい明日を作る彼女は、輝いていた。
  ・そういう意味で自分に自信があったことは1ミリ秒もないけれど、
  ・from 美里: 人は本当は弱い。けど、強いんだ。

第百三十七段

せっかく徒然草から引用したので、結びとして、なかでもお気に入りの第百三十七段を、原文と現代語訳とで紹介します。冒頭は有名ですね。私たちも何度も口ずさんだものです。

 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を戀ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころおほけれ。歌の詞書(ことばがき)にも、「花見に罷りけるに、はやく散り過ぎにければ」とも、「さはることありて罷らで」なども書けるは、「花を見て」といへるに劣れる事かは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊に頑なる人ぞ、「この枝かの枝散りにけり。今は見所なし」などはいふめる。 

 萬の事も、始め終りこそをかしけれ。男女の情(なさけ)も、偏に逢ひ見るをばいふものかは。逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明し、遠き雲居を思ひやり、淺茅が宿に昔を忍ぶこそ、色好むとはいはめ。

 望月の隈なきを、千里(ちさと)の外まで眺めたるよりも、曉近くなりて待ちいでたるが、いと心ぶかう、青みたる樣にて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、またなくあはれなり。椎柴・白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらむ友もがなと、都こひしう覺ゆれ。

 すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いと頼もしう、をかしけれ。よき人は、偏にすける樣にも見えず、興ずる樣もなほざりなり。片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。花のもとには、ねぢより立ちより、あからめもせずまもりて、酒飮み、連歌して、はては大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手・足さしひたして、雪にはおりたちて跡つけなど、萬の物、よそながら見る事なし。

 さやうの人の祭見しさま、いとめづらかなりき。「見ごと いとおそし。そのほどは棧敷不用なり」とて、奧なる屋にて酒飮み、物食ひ、圍棊・雙六など遊びて、棧敷には人を置きたれば、「わたり候ふ」といふときに、おのおの肝つぶるやうに爭ひ走り上がりて、落ちぬべきまで簾張り出でて、押しあひつゝ、一事(こと)も見洩らさじとまぼりて、「とあり、かゝり」と物事に言ひて、渡り過ぎぬれば、「又渡らむまで」と言ひて降りぬ。唯物をのみ見むとするなるべし。都の人のゆゝしげなるは、眠りて、いとも見ず。若く末々なるは、宮仕へに立ち居、人の後(うしろ)にさぶらふは、さまあしくも及びかゝらず、わりなく見むとする人もなし。

 何となく葵(あふひ)かけ渡して なまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する車どものゆかしきを、其か、彼かなどおもひよすれば、牛飼下部などの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さまざまに行きかふ、見るもつれづれならず。暮るゝ程には、立て竝べつる車ども、所なく竝みゐつる人も、いづかたへか行きつらん、程なく稀になりて、車どものらうがはしさも濟みぬれば、簾・疊も取り拂ひ、目の前に寂しげになり行くこそ、世のためしも思ひ知られて、哀れなれ。大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ。

 かの棧敷の前をこゝら行きかふ人の、見知れるが數多あるにて知りぬ、世の人數もさのみは多からぬにこそ。この人皆失せなむ後、我が身死ぬべきに定まりたりとも、程なく待ちつけぬべし。大きなる器(うつはもの)に水を入れて、細き孔をあけたらんに、滴る事少しと云ふとも、怠る間なく漏りゆかば、やがて盡きぬべし。都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。一日(ひ)に一人二人のみならむや。鳥部野・舟岡、さらぬ野山にも、送る數おほかる日はあれど、送らぬ日はなし。されば、柩を鬻(ひさ)ぐもの、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり。今日まで遁れ來にけるは、ありがたき不思議なり。暫しも世をのどかに思ひなんや。まゝ子立といふものを、雙六の石にてつくりて、立て竝べたる程は、取られむ事いづれの石とも知らねども、數へ當ててひとつを取りぬれば、その外は遁れぬと見れど、またまた数ふれば、かれこれ間(ま)拔き行くほどに、いづれも、遁れざるに似たり。兵の軍(いくさ)に出づるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。世をそむける草の庵には、しづかに水石(すいせき)をもてあそびて、これを他所(よそ)に聞くと思へるは、いとはかなし。しづかなる山の奧、無常の敵きほひ來らざらんや。その死に臨めること、軍の陣に進めるに同じ。
[現代語訳]桜の花は満開のものだけを、月は満月だけを観て愛でるのだろうか。そうではあるまい。雨空に向かって見えない月を恋い焦がれ、簾を垂れた部屋に引き籠って、春の移ろいを知らずに過ごすのも、やはりしみじみと趣がある。 開花寸前の桜の枝や花が散り萎れた庭などは、ことに見所が多いものである。和歌の前書きにも「花見に出かけたが、早くも散ってしまったので」とか「障りがあって花見に出かけずに」とか書いてあるのは、「花見をして」と書いてあるものより劣っているだなんてことがあろうか。 花が散り、月が沈み傾くのを惜しむ風習はもっともなことではあるけれども、特に愚かな人というものは「この枝もあの枝も花が散ってしまった。もう見る価値もない」などと言うようだ。

あらゆることは、その始めと終わりこそが特に情趣があるものだ。男女の恋愛も、ただ逢って交際を深めることだけを指すものだろうか。深く交際する前に終わってしまった憂いを想ったり、叶わなかった約束を嘆き、長い夜を独りで明かし、遠くの恋人を眺める雲に想いやり、昔、逢引きした朽ち屋を思い出したりすることが、恋に浸ることなのだ。

陰りなく輝く満月を遥か遠くにまで眺め通すよりも、明け方近くになってようやく姿を見せたのが、ことさら情趣たっぷりに青みを含んで山深くの杉の枝にかかって見えていたりとか、木の間の月光や、しぐれを降らせる群れ雲に隠れた月は、またとなく趣がある。
椎の木の繁ったところや白樫の濡れた葉の上に月が煌めいている様子はまさしく身に沁みるほどに、この風情を判ってくれる友がいればと、都を恋しく思う。

おおよそ月や花は、そのように目だけで観るものだろうか。春は家から出ずとも、月夜は寝室の中からでも心のうちに花と月を思い描くことが、非常に確固として風情豊かなものなのだ。
教養ある立派な人は、花や月をやたら愛でる様子を見せたりはしないし、愛でる姿も淡白なものだ。片田舎から上京したような人が、なんでもしつこく持て囃すのだ。
桜の木の下に身をねじるように立ち寄り、脇目も振らずじっと見つめ、酒を飲んで、連歌をして、挙句には大きな枝を心無く折ってしまう。湧き出る泉に手足を浸したり、新雪に下りて足跡をつけたりなど、なんでもかんでも遠くから眺めて楽しむと言うことをしないのである。

そういう人が祭りを見物する姿は、まことに異様だった。
「行列が来るのが遅いから、それまで見物席にいても無駄」
とか言って、奥で酒を飲んで物を食べて、囲碁やスゴロクで遊んで、見物席には見張りを置いておく。
見張りが「行列が来ました」と言うと、おのおのがビックリした様子で先を争って見物席に走り上り、転げ落ちてしまいそうになるまで簾を押し広げて押し合いへし合い、一切を見落とすまいと目を凝らして「ああだこうだ」といちいち言って、行列が通り過ぎてしまうと「また次の行列が来るまで」と言って下りてしまう。彼らはただ単に行列を見ようとしているだけなのだ。

都の人で立派な人物なら、眠ったままで大してよく見もしない。若い末席の者は上役への奉仕に立ち振舞っているし、貴人の後ろに控える者は不格好にも前の人にのしかかったり無理やり行列を見ようとすることもない。

祭りの初日は、場所取りの葵の葉を良い位置に何となしに懸け渡しておく。夜が明けないうちにそっと牛車を寄せておくので、その牛車は誰が乗るのだろうか、あの人かこの人かと考えてしまう。中には牛飼いや下僕に顔見知りがいることがある。
風情たっぷりに煌びやかに飾り立てた牛車が行き交うのを眺めるのも退屈しなくてよい。
日暮れには立ち並んでいた牛車たちも、立錐の余地がないほどに居た人たちもどこへ消えてしまったのだろう。だんだん数少なくなっていって、行き交う牛車のけたたましさも掻き失せてしまうと、見物席の簾や畳も取り去られ、眼前がさびしげになっていく。これぞ栄枯必衰の世の習いを思われて風趣がある。行列の通る大通りの有り様を見ることが、実は祭りを見ることなのだ。
あの見物席の前を大勢行き交う人たちの中に、顔見知りがたくさんいる。これにて世の中の人の数もそれほど多くはないのだと悟る。これらの人たちが皆死んでしまった後に自分も死ぬのだと決まっているにせよ、ほどなくしてその時が来ることは間違いない。
大きな器に水を入れて小さな穴をあけた時、滴り落ちる水はごくわずかだと言っても、絶え間なく滴ればそのうち中の水は尽きてしまう。同様に、都にたくさんいる人たちが全く死なない日などない。一日に一人か二人だけということがあろうか。鳥部野(とりべの・京都市東山区の火葬場、墓地)や舟岡(ふなおか・京都市上京区の火葬場、墓地)、そのほかの野山の墓地にも亡き人を送る数が多い日はあっても、まったくない日などないのである。
なので棺桶を売る者は、棺桶を製造してそのまま置いておく暇もない。

若かろうが強靭であろうが、思いがけずやって来るものは死である。今日まで死を免れて来れたことこそ、珍しくも不思議なことなのだ。わずかな時間でもこの世が永遠に続くようだと思っていて良いものだろうか。

継子立て(ままこだて・人を環状に並べ、いくつか決まった数にいる者を順に抜き出し、残った者を決める遊び)をスゴロクで使う石で環を作って並べている間は、どの石が取られるのかまだ判らない。そして数を決めてひとつの石を取り去れば、他の石は取り去られるのを免れたかのように見える。しかし、次々と数を決めて、あれもこれもと取り去って行けば、結局どの石も逃れられないのと似ている。

兵が戦に出るとき、死の接近を知り、家のことを忘れ、自身のことも忘れるのである。俗世に背を向けた草庵で、のんびりと自然にたわむれ、死の到来を自分に無関係なことだと思って聞いているようではなんとも頼りない。静かな山奥に無常という名の死の敵が、勇んでやって来ないことがあろうか。草庵で死に臨んでいることとは、つまり、兵が戦地に出るのと同じことなのである。

原文は(http://www.geocities.jp/rikwhi/nyumon/az/turezure_zen.html)から、第百三十四段、第百三十七段の現代語訳は(http://tsurezure.choice8989.info/index.html)からいただきました。自分で現代語訳をするつもりでいたのですが、こちら大変素晴らしい訳出をされており拝借しました。こちらのかたがご自分でされている訳なのかしら、素敵な現代語訳です。他の段も読み返したいな。

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