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描き抜けなかった輪郭の曖昧

思考の体系や生き歩んできた体験は十人十色なわけで、従って、言語化の趣向もまた千差万別だ。

自分では上手く言語化できなかったものを、他人が上手く形にしてくれることがある。

「人は説明する前から既に分かっていることしか、説明してもわからない」
と、シェイクスピアか誰かが言ったのだと、友人が教えてくれた。まさにこれである。言い当てられたときには、星が降ってきたようにピカリとくるのだ。

モンワリと自分の中にあるもの。
「何となく」のままでいいものもあるけれど、それではまずいものもある。

得てして、人生の岐路に立ったときの不安の正体や、好奇心・好きの正体は、輪郭を曖昧にしておくと危ない。ノイズを取り払って言語化の解像度を上げておかないと危険である。
自分を深掘りきれずにノイズがたくさんあるまま、そのノイズを本質だと勘違いして選択してしまう可能性があるからだ。
そうすると、納得感を得られないまま進んでしまったり、盲信を納得感と勘違いする羽目になる。前者の状態では全力で走れないし、後者はわりと最悪だ。

化学反応では触媒が鍵となる。
相性よく相互作用し、活性部位にぴったりと結合してくれる触媒がないと反応が進まないのだ。
これを見つけるのに何百万・何千万・何億と投資して、十年単位で時間をかけて、見つかったり見つからなかったりするのだから、
言語化のステップを駆動する反応の触媒となってくれる友人というのは、神様からの贈りもののような存在だ。

思考の体系や生き歩んできた体験は十人十色なわけで、従って、言語化の趣向もまた千差万別だ。コレが効く。

たとえば私は、形容詞や副詞の持ち合わせが多く、非常に修飾的な言語を使う。大好きな友人の言葉を借りると、色鉛筆で何百色もの色を使って、世界の複雑さに極力従い、詳細にスケッチするタイプの言語体系だ。
ところがある友人は鮮やかな絵の具でベタ塗りをし、ある友人は図形を組み合わせることで視覚化を図る。ある友人は関数に当てはめて微分をかけることでシンプルで要素抽出的な出力を図る。
彼らの触媒により、私の色鉛筆では描き出せなかった輪郭が見えてくることがある。

この瞬間は、かけがえのない星の時間だ。

岐路に立って一緒に先を探してくれた友人にありがとうと伝えたい。
二十八度でクーラーをかけた七月の夜のベッドにて、多謝の花束を添えて。ありがとう💐


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