雑記:6

縦軸と横軸について。

昨日、市議会議員のおじいさんと話をしていた。彼は、どうやら市政に不満があるらしかった。コロナ騒ぎの中、地元ならではの対策を講じるべきではないかということだった。

国から都、都から市のように様々な要請が降ってきて、それをただ実行しているだけでは不十分である。都全体では、必要とされるような施策かもしれないが、地元では必要ないこともある。そういう画一的な施策に補助金が使われるのはいかがなものだろうか。市民の代表として、市長や市議会議員たちは地元ならではの施策づくりに邁進し、地域のニーズに即して補助金を使用しなければならない。

とまあ、こんなようなことを言っていた。なるほど、確かにそうである。彼のいうように地域のニーズを汲んでいなければそれは問題である。しかし、市長初め、公務員たちは一生懸命仕事をしていると思う。なぜ、うまくいかないように見えるのだろうか。

私は、その話を聞いているときにふと思いついた。縦軸しかないのではないか、と。つまり、垂直方向の指示だけがあり水平方向の連携が見えづらいのではないかということである。よく言われる話ではあるが、おそらくそういうことなのだろう。

垂直方向の指示と水平方向の連携について、もう少し考えてみた。このクロスを成立させるポイントはどこにあるだろうか。私は、交差するゼロ地点がポイントだと考えた。では、ゼロ地点には何がくるのだろうか。

おじいさんと話し合っていて、なんとなく見えてきたのは「公共性」や「良識」がゼロ地点に必要ではないかということだった。公共も良識も深めていけば、人々の共通認識(コモンセンス)にたどり着く。しかし、共通認識はあくまでも概念である。もっと言えば、身嗜みのようなものである。このような身嗜みが整った人間がゼロ地点にいなければならないのではないかということだった。

公共性や良識は、縦横軸の両方に関わっている。上からの指示だけを聞いているだけでは培われないだろうし、市民との関係性だけを見ていても培われないだろう。そのバランスが取れるからこそ、判断ができる。そして、その判断は自らの意志でなされるだろう。

新しい生活が始まるらしい。いや、すでに始まっている。そのなかで、今までやったことがないからやらないとか、できないとかいう判断はナンセンスだろう。逆に、誰もがやったことのないことにチャレンジしやすい状態なのだと前向きに捉えていくようなポジティブさが必要である。とりわけ組織のリーダーには尚更求められていくだろう。

リーダーシップをとるにしろ、そこには意志が必要である。そして、意志は共通認識に裏付けられている。また、そこで初めて責任が生じるのである。市長がリーダーシップを取るならば、その責任は市民も同時に負うことになるかもしれない。民主主義とは本来そういうものだと思う。

こんなことを話したのだった。おじいさんはとても満足しているようだった。取り止めのない話だったけれども、政治について語るというのはたまにはいいものだなと感じた瞬間だった。縦軸と横軸、公共性、良識、意志、責任、民主主義、など、新しい生活を送る上でより意識されるキーワードかもしれない。



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