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場所にあわせて語ること。表現・創作する人の強み。

noteに何を書けばいいかわからなかったら「自分にとっての普通」を話題にしみてはいかがでしょう〜と以前書きました。

誰かにとっては普通じゃないかもしれないし、その違い(驚きや新鮮さ)を求めている人がいるかもしれないからです。

さて、今回はその提案に自らのっかり(!)、わたしにとっては「当たり前」でも、多くの方には「そうでもない」であろうことを取り上げてみようと思います。

知らんわ!興味ないわ!という声が聞こえてきそうなので、できるだけみなさんの生活にもいかせる形で紹介してみますね。

《この記事が役に立ちそうな人》

・読み聞かせや素話にふさわしい環境が知りたい
・SNSなどで不特定多数に向けて発信することを考えている
・発信はしたいけど、ちょっとためらいがある
・noteで創作をつづけたい

長いので適度に読み飛ばしちゃってください!

カーテンを閉めておはなしをする

オルタナティブスクールで低学年クラスの担任をしているわたしは、毎日、授業のおわりに約15分の昔話をしています。部屋中のカーテンを閉めて、ろうそくを灯して、みんなで囲むように。

昔話をするのは、エンタメ的な楽しさをお届けしたいからではなく、《聴く力》や《思い描く力》を育むため、その思い描いたイメージから《精神的滋養》を受け取るためです。

そういう理由なので、授業で語る昔話は太古のむかしより連綿と語り継がれてきたもの(グリム童話や日本昔話など)と決まっています。

では、おはなしをするときにわざわざカーテンを閉めるのはなぜでしょうか?

みだりに語ったり聞いたりしてはいけないもの

昔話というと、今では「子どものための文学」という印象がとても強いと思います。

でも、もともとは目に見えない世界からのお便り(メールヒェン)として、国・民族・年代を超えて通じる深い叡智のかたまりとして、語り継がれてきたものでした。

悪い魔女や小人、妖精、妖怪、鬼といった不思議な存在のイメージや、非論理的で突飛な展開は、目に見えないところで何かがうごめいている人間や自然界の秘密そのものです。

おはなしを聞いている人は、そのようなイメージを通して深い意識のうごめきを追体験することになります。

普段は隠されているデリケートなものを表に取り出すわけですから、覆われた場所で、秘密めいた雰囲気の中で語ってしかるべきなのです。

カーテンを閉めたり、ろうそくを灯したりするのには、そのような意味があります。

ふさわしい場所で語ること

語るのにふさわしい場所があるということ、場所にあわせて語るということ。

これはストーリーテリングに限ったことではなく、日常会話やSNS等での発信においても大事な視点かな?と思います。

個人的にやっちまった例としては、

大学生の頃、リアルな知人とつながっているTwitterのアカウントに鬱ツイートを垂れ流す。

自分を理解してくれ〜!という気持ちばかり強くて、公共の場だという意識がまるでなかったです。どうしても垂れ流したいんだったら、せめてそれ用のアカウントをつくれば良かったですね。

開場待ちの講師の方に、自己紹介や前置きもなくいきなり質問をぶつける。

こちらはいち受講生として一方的に存じ上げているけれども、相手にとってはそうじゃないってことが抜け落ちていました。距離感と場を間違えてしまった例です。

って、過去形で書いていますが、現在進行形で結構やらかしまくっているんですよね・・・言わなくていいことまであけすけに話してしまって、人を困らせることがよくあります。あ〜耳が痛い!笑

デリケートな話題を、不特定多数の場で語っていないか。

わざわざ公にする意味はあるのか。

語るなら、相手が受け取りやすい形になっているか。受け取る準備をちゃんとしてあげているか。

発する前によく立ち止まって確認したいところです。

本来は相手の顔を見たらちゃんと立ち止まれるものですが、わたしの場合、意外と相手の顔をちゃんと見ていなかったり、オンラインだと想像力で補うことを忘れていたりするので・・・

以後、よくよく気をつけます!

創作の場noteでは、魅せること

この記事は「noteであなたの暗い話やプライベートを晒さないでね」と言いたいのではないです。

そうではなくて、

せっかくnoteだから、プライベートな話題でもネガティブな話題でも、読み物として魅せていく心がけがあるといいかも?ということです。

逆に考えると、魅せる心がけさえあればどんな話題でもあり。なんだったら、有料記事やサークルといった「カーテン」を拵えることもできます!

創作する人・生み出す人の強みは、たとえネガティブな体験でも芸の肥やしにできることです。

わたしはこの仕組みに気づいたとき、「創る人である限り、何が起こってもこわくない!」と思いました。

「世界がこわくない」

こんなに心強いことってあるでしょうか。

いや、もしかしたら「創作せずにはいられない」のほうが正しいのかな?

ちょっと大げさですが、素直にそう思いました。


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