自らを分けると書いて「自分」。
自らを分けると書いて自分と読む。
自分という人間の多面性に気づいて、初めて「自分」という熟語の成り立ちをまじまじと見つめた。
自分は自らを分けている。だから自分らしさと聞かれても一言で答えられるわけがない。
そもそも、コミュニティによって見せる自分が違いすぎる。
家族といる自分。高校時代の友達といる自分。大学のサークルにいる自分。バイト先の自分。一人でいるときの自分。
これらの「自分」がほぼ一緒の人は一体どれくらいいるのだろう?
私は、「自分」が多方面に分散されすぎていて、本当の「自分」を見つけるための行為に辟易した。
が、しかし、おそらく、選択式のその中に本当の「自分」はいない。
私が思うに、「自分」は選択式でどれが本物か疑ってかかりながら見つけるものではなく、蓄積された己の行動から総合的に作り上げていくものだ。
この答えの出し方さえ、自分らしさと言われるのかもしれない。
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