ぬるま湯

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最近の記事

自らを分けると書いて「自分」。

自らを分けると書いて自分と読む。 自分という人間の多面性に気づいて、初めて「自分」という熟語の成り立ちをまじまじと見つめた。 自分は自らを分けている。だから自分らしさと聞かれても一言で答えられるわけがない。 そもそも、コミュニティによって見せる自分が違いすぎる。 家族といる自分。高校時代の友達といる自分。大学のサークルにいる自分。バイト先の自分。一人でいるときの自分。 これらの「自分」がほぼ一緒の人は一体どれくらいいるのだろう? 私は、「自分」が多方面に分散されす

    • 地に足つかない未来予想図

      私が将来のことを考えるときはいつだって地に足がついていない。 卒業文集に将来の夢を書いた小6の時も、進路を考えていた中3の時も、大学受験勉強にのめり込んだ高3の時も、就活に片足突っ込んだ大3の時も、「将来」や「仕事」というのは、今の自分の肉体とは別次元で起こる事柄でどこか他人事である気がしていた。それは内定を得た今もである。 もっと言えば、これは、いわゆる「大人になったら」の意の「将来」に限らず、来年や再来年といった近しい未来でさえ当てはまる。私はその近しい未来の自分のこ

      • 感情の片付けの仕方を教えて

        自分の感情の持ち主は自分なはずなのに、どこから手をつけて良いのかわからない。 名前が無ければ分節できないこの世界みたいな、 夜空に星がありすぎたら お目当の星座を見つけられないみたいな、 散らかった部屋をどこから片付けて良いか立ち尽くすみたいな、 そんな感覚に似ている。 物なら分類できるのに、自分の感情はすぐに掬いだせない。

        • 「感情」と「事実」と「未来設計」の矢印の繋げ方が下手

          現在、大学4年の夏休み。 恥とプライドも捨てて、これまでの自分の大学生活の薄っぺらさに向き合う。 ______ 私の人生は、向上心や努力という切り口で見ると、「〜高3」と「大1〜」の2つに分けられる。 超努力期の「〜高3」と、無心の「大1〜」。 高3まで我ながら頑張りすぎた自負があってしまったから、大学では頭空っぽでで思うままに生きよ〜〜!!!と思ってしまった。これが全ての元凶。 今なら、「高3まで頑張ってきたこと」と「大学で思いのまま楽して生きること」は順接でつ

        自らを分けると書いて「自分」。

          大学4年間を振り返って

          私に圧倒的に足りなかったこと、 それは アウトプットする活動、行動。 以上。 消費じゃなく投資の人生にしていかなくちゃ、この反省も無駄になる。

          大学4年間を振り返って

          20年信仰していた自分という宗教から見放されたような、なんとも形容しがたい感覚#就活

          6月中旬、私の就職活動は1社の内定を以って終了した。 20年の夢から覚めたような、20年信仰していた自分という宗教から見放されたような、なんとも形容しがたい感覚に、私はずっと包まれている。 前記事に書いた、広告代理店、出版社とは全く異なる業界・職種で来年から働く。 高校時代から夢見た華やかなマスコミ業界とは異なる別業界の一般職だ。語弊の無いように言っておくと、私は内定先を誇りに思っているし、新たな憧れの世界で早く働きたいあまり、その業界に必要な勉強も、頼まれてもないのに

          20年信仰していた自分という宗教から見放されたような、なんとも形容しがたい感覚#就活

          じぶんがわからない(無い内定就活生)

          人生の迷子です。 現在大学4年生、就職活動中。 行きたいな〜行けたら未来が明るいな〜この会社に入れたらこんなことをやってみたいな〜なんて憧れていた企業2社に幸い最終面接までたどり着くことが出来ました。 が、どちらもそこでご縁がありませんでした。今日その結果が出揃った形です。 これが今の私の現在地です。たったそれだけのことなんだけど、今すごくすごく自分を見失う感じがあります。 明確な結論が出るわけではないけど、そんな自分の気持ちに向き合う文章を今日は書こうと思います。

          じぶんがわからない(無い内定就活生)

          自分が自分として生きていくのにアイドル以外の職はないのか

          大学3年生の6月です。ぼちぼち就活が動き始めています。 思うのです。 自分が自分として生きていくのにアイドル以外の職はないのか。と。 アイドルが大抵デビューやオーディションに合格するときは、えっこの子が、、?みたいなぼーっとした感じの子がでもなんとなく自分を変えてみたくて、、という感じで現れます。 デビューするときに歌が全然歌えない子も普通にいるし、同じようにダンスが全然踊れない子もいます。 でも、原石ならそれだけで仕事を手にできる訳です。 私、羨ましくて仕方ない

          自分が自分として生きていくのにアイドル以外の職はないのか

          歴史の教科書の1行の重みを正しく感じられていなかった反省文

          以前こんなツイートを見た。↓ 本人はおそらくおふざけで作っていて、確かに内容としてかなり嘘の部分もあって本当の教科書とはまるで違います。それは分かっています。でも、それ以上に、考えるきっかけになるすごく深いものが実はこのツイートには隠されてる気が私にはしてきてしまったのです。 ※このnoteの内容は、このツイートをした本人とは全く関係ないです!私がこのツイートを見て、そこから考えたことをダラダラ書いているだけなので特にツッコミは無しでお願いします。あと、このツイートでは現

          歴史の教科書の1行の重みを正しく感じられていなかった反省文

          海外旅行に行った時、その国へのリスペクトをちゃんと持っているか

          私は大学生の傍、某コーヒーチェーン店でバイトをしている。土地柄、海外からのお客様も多く、ペラペラではないなりにも注文を受けながらお話することも多い。日本に旅行に来てくれているだけでとても嬉しいし、最高のTOKYO EXPERIENCEをしてほしい、そう思って接客をしている。 でも、そんな中でどうしても違和感を覚えることがある。 それは、突然凄いスピードで「Can I have a latte?」(真顔)と言われることだ。 心が狭いと思われるかもしれない、先に謝っておきた

          海外旅行に行った時、その国へのリスペクトをちゃんと持っているか

          20歳になって急に人生が倍速になった

          現在20歳、大学3年生。20歳になった途端、何だか急に時間が倍速で進んでいるような気がするのは私だけ?それとも人生の先輩の皆さんも同じように感じて大人になっていたのでしょうか。 2年前に高校を卒業したばかりなのに、2年後には社会人になっている。 このことが、もう私には意味がわからない。 高校生の時は、自分の進路とそれに伴う勉強、部活、放課後の遊び、そんなこんなで3年が過ぎていった。みんなそうだったと思う。成績が良ければ褒められて、悪ければ呼び出されて。極論、それだけの世

          20歳になって急に人生が倍速になった

          無くても死なない。

          エンタメは「無くても死なない」ものに分類されがちですが、ファンにとっては「あるからこそ生きていける」ものです。【引用】現代ビジネス「コロナで大打撃」のエンタメ業界〜会えない憂き目のファンたちの今 小新井涼さんというアニメウォッチャーの方が書いたコロナウイルスとエンタメ業界についての記事を読んだ。すごく共感した。もうめちゃくちゃにその通りで、そう!その通り!!以外の言葉が出てこないほどにその通り!だと思った。(その通り!の最上級の活用があれば知りたい) これはエンタメに限っ

          無くても死なない。

          「アイドルは偶像」ではなかったかもしれない

          アイドルは偶像だ。 かれこれ10年近くアイドルを応援してきた私にとって、 それは言うまでもなく当たり前のことだった。 中学生の時、授業が暇で電子辞書で何となく「アイドル」と検索をかけて 1 偶像。 2 崇拝される人や物。 と知ったその日から、私にとって「アイドル」とは「実体のないもの」 として認識してきた。 もちろん、その中学生時代に全ては理解できなかったけど、 歳を重ねるにつれ、その「アイドル」の持つ意味を理解し、納得し 紛れもなくそうである、として疑う

          「アイドルは偶像」ではなかったかもしれない

          CMに私を殺された気がした

          高校生の時、私はポカリスエットのCMが大嫌いだった。 高校生のみんなが歌を歌いながら、校舎で汗を流して踊り狂っているCM。 あのCMは、一度見ただけで強烈なインパクトを与えてきた。 高校生の私はあのCMの何がそんなに嫌だったのだろう。 私は自称進学校とも言われる中高一貫校で、部活と勉強に一生懸命だった。 おまけに女子校で、色恋沙汰なんて無縁。 来る日も来る日も頭の中は 部活での人間関係や自分の成績のことでいっぱい。 そんな目の前のことで精一杯で、自分が描いてい

          CMに私を殺された気がした