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【放送後記】#特別生配信 武蔵野大学オープンキャンパス 町田康模擬授業【ゲスト:町田康先生(小説創作)】

日本文学文化学科✕イドバタコウギ

 初めての生配信、しかもオープンキャンパス内のプログラムということで、現地でご参加くださった方も、生配信で楽しんでくださった方も、ありがとうございました! 編集版を前後編に分けて公開しますので、これから観るぞという方もぜひ楽しんでいただければ幸いです。
 今回は放送後記も、模擬授業に倣って二部構成です。それぞれどんな授業なのかも補記していますので、気になる方はぜひご一読ください。ちなみに中の人も、通年週2コマ町田先生の授業を受けている町田ゼミ生です。
 また、学生作品の作者の弁をもっと知りたいという声を多く聞きましたので、第二部にて全文公開しています。そちらもぜひ!

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▶前編

▶後編

第一部 詩を読む―中原中也「サーカス」

 第一部は、「創作基礎Ⅰ(小説Ⅰ)」という科目の模擬授業でした。普段の創作基礎Ⅰでは、「書くためには、まず読むことが大事」という町田先生のお考えのもと、小説や詩を深く丁寧におもしろく読解する方法について学びます。
 帯文や書評も多く書かれている町田先生ならではの”読み”を聞くことのできる座学形式の授業で、今年度は、小砂川チト「家庭用安心坑夫」、今村夏子「こちらあみ子」、うるし山千尋『ライトゲージ』(詩)、中原中也「サーカス」、大山海「奈良へ」(漫画)などを扱いました。また、学生も各々の課題の中で読解に取り組みました。
 ちなみに現在(2023/10)は、「創作基礎Ⅰ」をふまえた後期開講科目の「創作研究Ⅰ(小説Ⅰ)」にて、実際に小説を書いていくために考えるべきことを学んでいるところです。

 さて、模擬授業では、高校の教科書に載っている中原中也「サーカス」をスクリーンに映し、逐語訳していくような形で読解が試みられていました。これとは少し違った形で町田先生の「サーカス」に対する解釈を読むことができるご著書をご紹介します。

(左)2014年講談社より発行、むさし野文学館所蔵/(右)2011年NHK出版より発行

 町田康『残響 中原中也の詩によせる言葉』(以下、『残響』と表記)
 開くと、中原中也の詩と町田先生がよせた言葉が交互に掲載されています。本文やあとがきの内容もさることながら、中也の詩が上付け、町田先生の言葉が下付けというレイアウトにも目を惹かれます。町田先生の言葉の端々から伝わってくる中也へのリスペクトが落とし込まれた素敵な誌面デザインだな、と思っています。

『残響』から、「サーカス」の件を引用してみます。

(誌面上段)中原中也「サーカス」
(誌面下段)町田先生のよせた言葉

 私の正直な初読の感想を申しますと、なぜこれがこうなるんだ、と。まずこの文章を文章として読み下すのに手間取ってしまったのですが、何度も読み返してみると、あるいは中也の詩と読み比べてみると、だんだんおもしろくなってきました。
 私が特におもしろいと思ったのは、ひとつの空間(この場合はサーカスのテントの中)のどこに詩情の中心を置いているか、という違いです。中也の詩では空中ブランコの動きが詩情の中心になっているのに対して、町田先生の言葉では空中ブランコの漕ぎ手の興奮が言葉全体に現れているように感じられます。
 空中ブランコの規則的な動きがメトロノームのように詩全体のバランスをとっている前者と、凄まじいアドレナリンによって理性と狂気の狭間にいるような心地にさせる後者。中也の詩によって脳内に立ちあがったサーカス団の興行の様子を、語りの視点を明瞭にしつつ新たに町田節全開で表現したもの、と解釈しました。

 また、「ということが起こっている一枚の布の隔て、」以降の三行は客観的で冷静で、小説らしいナレーションのように思われます。この三行によってそれまでの過度な主観的表現が許されるといいましょうか。客観によって自ずと主観が相対化され、決して独りよがりな叫びに終わっていないところがすごいなと思いました。

 果たしてこの解釈は正しいのか、そもそも解釈に正しいも正しくないもあるのか、考え続けると眠れなくなってしまいそうなので、今回はここで筆を置くことにします。自分ならどんなふうに解釈するか、ぜひ考えてみてください。

模擬授業中の町田先生

第二部 学生作品の合評

 第二部は、「日文特別ゼミⅡ(小説)」という科目の模擬授業でした。日文特別ゼミというのは、卒業に必須の卒業論文を書くわけではないのだけれどゼミ・卒論ゼミのように少人数で議論や制作を行う、いわゆる副専攻にあたる科目です。小説以外にも、教職、俳句、映像メディア、出版メディアの特別ゼミがあり、3年生から受けることができます(2023年度現在)。
 ちなみに中の人は昨年度、俳句と映像メディアの特別ゼミに入っていました。句会をやったり、吟行に行ったり、脚本を書いたり、映画の編集をしたり、そして今年度は小説を書いて合評したりと、結構活動的です。大きな教室で話を聞く座学形式の講義とメリハリがつくので、どちらにも新鮮な気持ちで取り組めた実感があります。学生同士や先生との距離も近く、頑張れば頑張るほど充実した学びが得られると思います!

 話を戻して、今回の模擬授業では、町田ゼミ所属の学生3名が提出した800字程度のショートショート作品についての合評を行いました。合評というのは、「何人かの人が集まって、ある作品・問題などについて批評し合うこと」(デジタル大辞泉より)を言います。普段の町田ゼミでは町田先生と11人の3~4年生が席を口の字型に囲み、提出された作品について良いと思ったところや直した方がいいと思ったところについて意見を述べたり、作者が疑問に答えたりします。ある意見に対して別の人が意見することもあって、白熱するとこれがまたおもしろいんです。
 それから、リレー小説といって、別々の人が順番に少しずつ書き足しながらお話を繋げていく取り組みもしています。不穏な感じで始まったと思ったら、ヒーロー物になっていたり、劇画調のバイオレンス物になっていたり、なかなか難しいけれども楽しいです。

 そんな特別ゼミの模擬授業を行ったわけですが、実際に参加した学生に言葉をもらってきました。まずは、生配信に出演していた江端くんの感想です。彼も、町田ゼミの一員です。

江端:
 伊藤さん、森貞さん、大石さんの3名には、800字以内で収まるショートショートを書いていただきました。いずれも文字数の制約を感じさせない、個性的で面白い作品だったと思います。一読者としても、ここまで短い作品は授業で扱われた経験がなく、新鮮に読むことができました。あまりにも短いので話題が尽きないか心配していたのですが、皆がいい作品を書いてくれたこともあり、おおむね満足のいく形で合評を終えられた気がします。ただ、批判的な意見をあまり出せなかったことは少し心残りです。いずれの作品も、不特定多数に見られるだけあってかなり気合が入っていて、引っかかる部分があまりありませんでした。無理にケチをつける必要はまったくないのですが、批判すべきところは批判して、筆力向上の糧とするのが町田ゼミの良さでもあります。それがうまく伝えられなかったことは残念でした。次の模擬授業は、もっと下手な作品でお願いします。

 次は、作品を提出した3名の言葉です。作品→作者の弁→終えての感想、の順になっています。

伊藤遥香「エンエンゼミ」

 実は、本当はみんな赤ちゃんに憧れているのではないかという発想から物語をスタートさせました。
「生きてるだけでえらい」という言葉に聞き馴染みを覚えた今、大人は皆、本音を隠し、よそ行きの自分で日々頑張っていると感じます。
 ラスト、窓を開けて耳を澄ますと、夜泣きという流行に隠れながらも、人々の叫びが感じられます。自分だけが頑張れなかったり、繊細で傷つきやすいと思っていた主人公かすみを通して、多くの人が生きづらさを抱えている中でも、現状はままならないまますぎていくことを表現できればと思いました。またモチーフの蝉に関して、蝉の鳴き声はミーンなどと音が統一されたように聞こえるかと思います。そのため、常に鳴いていても聞こえないことがある=ネオン街のネオンのように1つの光は強くとも、重なり合って帳消しになっていることを表現したく使用しました。

【模擬授業後の感想】
「フィクションでありながらも、現実が土台となっているため共感ができる」という言葉を受けて、まさに私が物語を書く時に気を付けている点だったと改めて気づきました。ストーリーの中に読者が「たしかに」と思える部分をうまく配置できたという意味では、それが伝わり嬉しく思います。指摘もあった通り、400字という短い文の中に表現の重複が多く見られたことは反省でした。第二稿にする際にはその分は削り、さらに世界観をわかりやすく説明する描写を入れたいと思いました。次はおっさんも泣かせます。

森貞茜「平行線」

★執筆意図:自分の中にあるフェティシズムに挑戦する
→偏狂の感が不足している自覚があります。もっと自分の心の動きを掘り下げる執筆時間と分量をかけるべき題材だったかもしれません。

★目標:読後感が薄くならないようにする(字数制限のため)

 意識したこと(いうより書き終えてからそういえば意識していたなと感じたこと)は下記の4つです。
 ①要素を入れすぎない。
 ②物語世界内の時間をあまり進めない。
 ③無駄な表現を省き、最も効果的だと思う表現を選んで用いる。
 ④結末を印象的にする。

 特に③に関して、私は普段から文末のあしらいや助詞の一字にまでこだわることを、書き言葉で何かを表現するときのモットーとしています。同じような意味をもつ言葉や言い回しでもニュアンスが異なるから淘汰されずに存在しているのであって、特に今回のような内容の場合はそれらを的確に用いて言葉を「私」の感覚にフィットさせていくことが重要であると考えました。

 ファミリーレストランで飲み物を交際相手にかける、という展開は分かりやすい決定的な別れのシーンとしてフィクションではしばしば用いられるものだと思います。しかし、この作品ではあくまで男の美しい目元にとって目障りな口の動きを止めるための手段であって、「私」は男との関係が解消されることなど全く考えていないどころか、現時点で男との関係にヒビが入っていることすら気に留めていません(いや、糾弾していると言っているので気付いてはいるのかもしれませんが)。そんなことより、自分が美しく妬ましく羨ましく感じている男の目元に視線も心も惹かれきっていて、今までの良好な関係では笑顔のために変型していたそのふたえの目元が、真顔のためにはっきりと顕れていることに感動しています。そして、これからの生活の中で新たに知ることができるであろう男の様々な表情(とりわけ目元)に期待感を膨らませています。

 作者としては、この盛大なフリに対して「いやいや今コーヒーぶっかけたせいで完全に関係終わったやろ!」とツっこんでほしいなと思っています。あるいは、ぞわっとした読後感を覚えてもらえても嬉しいです、夏ですし。

 それから、私の好きな作家に太宰治や遠野遥がいます。どちらもヤバくてエグい内容を、当然のことのようにさらっと言ってしまうところが面白く、好きで、憧れています。そのあたりの影響も多分に受けているように思います。

【模擬授業後の感想】
 長ったらしい作者の弁をすみません。後付けでいろいろ述べるのはズルいと思ってはいるのですが、当日不在のため多めに渡していました。
 合評では「登場人物の性格が見えてこない」という指摘に、作品を読むとき登場人物の性格を意識的に読み取ろうとするものなのか、と驚きました。町田先生はよく「書くためには読まねばならない」と仰っていますが、書いたものへの意見をもらうことで”他者の読み方”に触れられたように思います。自己満足な作品に終わらないためにも、合評の場を大切にしようと改めて感じる良い機会となりました。その意味で、現場で言い訳できない環境はよかったのかもしれません…。
 また、町田先生が仰っていた対比のお話はとても学びになりました。今回いただいた評をもとに、リライトしてみます。
 江端くんと大石さんがタイトルの読解を取り合ってくれたのも、ちょっと嬉しかったです。良い機会を、ありがとうございました。

大石歩果「穴あきマインド」

「正しく減っていく秒数をジッと見ている」という部分にすべてを込めたつもりだった。表現したかったのは「若さがすり減っていく焦燥感」だった。誰もが箱崎のようにこれは天啓だ!  と思えるような核心めいたことばを思いつくことがあると思うが、何物でもない私たちはその天啓をどうすることも出来ずに忘れてしまう。
 生活感をこれでもかと溢れさせて、天啓という仰々しい言葉と対比させたかった。
 パスタをたったまま啜る箱崎の姿に粗雑さ、青さ、若さを重ねたかった。
 夜勤中に踊るという箱崎の変さも、天啓を受けるほど突飛ではないという哀れさを出したかった。
「そんなもんだ」はいらなかったと思う。削りたい。町田町康の「壊色」に影響を受けすぎている気がしなくもない。
 一文が短すぎるかな、とも思う。
「穴あきマインド」はアナーキーなマインドとボロボロのプライド的な意味を含ませたかった。

【模擬授業後の感想】
 数ある魅力的な授業の一端を少しでもお伝えできていたらうれしいです。
 詩の授業では詩を楽しむための視野を広げる面白さが伝われば幸いです。
 小説合評では、私の意図をこえて私が書いたことを、江端くんに引き出されたような気がしてうれしく思いました。
 これぞ合評の醍醐味だと感じます。
 また、言葉のリフレインが効いていると町田先生に評していただけて、とてもうれしく思いました。
 自分のやっていること、伝えたいことと表現の方向性が遠くないと感じられるのもいいことですね。
 本当に楽しい日になりました。ありがとうございました。

(左から)司会・進行の大石/江端

おわりに

 今回の生配信はいかがだったでしょうか? 長い放送後記となってしまいましたが、本来なら200分以上になるであろう授業をギュッとして配信しているのだから無理もない……と……思っていただければ……。
 オープンキャンパスにおけるプログラムということで、普段の番組とは少し違ったテイストでお届けすることとなりました。たくさんの作品が登場する回にもなりましたので、ぜひ好きな作品を見つけてみてください。
 もし感想など送ってくださる方がいらっしゃいましたら、ひっくり返って喜びます…!

 イドバタコウギ通常回のほうも、ぜひよろしくお願いいたします!

文責:森貞 茜


番組クレジット(収録当時)/SNS情報

【前編】小説家・町田康に聞く、学校では教えてくれない詩の読みかた(中原中也編)【ゲスト:町田康先生(小説創作)】# 6
ゲスト:町田康先生(日本文学文化学科 特任教授・小説家・詩人)
パーソナリティ:江端 進一郎・大石 歩果(日本文学文化学科4年)
撮影・編集:株式会社ブシロードムーブ
作品提供:伊藤 遥香・大石 歩果・森貞 茜(日本文学文化学科4年)
グラフィック:長田 千弘・江端 進一郎(日本文学文化学科4年)
監修:土屋 忍(日本文学文化学科 教授)
参考文献:
 中原中也「サーカス」『国語総合 高等学校国語科用』(2014、桐原書店)
 町田康『残響 中原中也の詩によせる言葉』(2011、NHK出版)
収録日:2023年8月19日(肩書・学年は収録当時のもの)
制作協力:株式会社ブシロードムーブ
提供:武蔵野大学

武蔵野大学発インターネットラジオ番組「イドバタコウギ」
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Ⓒ武蔵野大学インターネットラジオ研究会

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