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「無限門」と無限の区切り【李禹煥美術館】

高さ約10m、幅約15mの巨大なステンレスのアーチ。李禹煥の「無限門」という作品。

無限門

今年の8月、直島の李禹煥美術館に行ってきた。李禹煥を知ってからずっと行ってみたいと思っていたので、下調べはバッチリ。「無限門」について、李禹煥はこのように話している。

この門をくぐるたびに、空が広く見える、海が爽やかに感じられる、あるいは山が新鮮に映るなど、いろいろな感覚があると思う。そういう意味で『無限門』という名を付けた。作品について難しく意味を考える必要はないので、ここを通るたびに新しい体験をしてもらいたい。

ベネッセアートサイト直島公式サイト ブログ記事

この門をくぐれば、いったいどのような感動が待っているのだろうか。わくわくする気持ちを胸に、いざ「無限門」をくぐってみる!

門をくぐった先、目の前には海が広がっている。

・・・。

後ろを振り返る。

なるほど、山に囲まれているのね。うーん、もう一回くぐってみるか。

アーチの下を何度も行ったり来たりする。途中で立ち止まって、上を見上げる。

あぁ、空が青いな。良い天気だ。

・・・。

スマホで直島の公式サイトを開き、無限門について再度読んでみる。

この門をくぐるたびに、空が広く見える、海が爽やかに感じられる、あるいは山が新鮮に映るなど、いろいろな感覚があると思う。そういう意味で『無限門』という名を付けた。作品について難しく意味を考える必要はないので、ここを通るたびに新しい体験をしてもらいたい。

ベネッセアートサイト直島公式サイト ブログ記事

えっと「いろいろな感覚」ってなんだろう?

自分の感性がまだまだなのか、私にはどうして門をくぐれば空が広く見えるのか分からなかった。「難しく意味を考える必要はない」と言われても、好きな芸術家の作品から何も感じられないのはやはり悔しい。

その後も何度か門をくぐってみたけれど、海を爽やかに感じたり、山が新鮮に映ったりすることはなかった。門をくぐる前と後では何も変わっていない。

・・・本当に?

ふと「無限門」以外の場所に目を向けてみた。最初に門をくぐってから少し時間が経っている。空に浮かぶ雲は移動して、山の影も伸びている。

もう一度、「無限門」をくぐる。大きな変化はない。でも、門をくぐる前と後ではその数秒分、この場所も私も確実に変わっていた。


小学生の頃、空手を習っていた。今ではありがたいことだと思うけれど、当時の私は空手の練習が苦手だった。月曜日と土曜日の週2回、2時間の練習。いつもの数倍、時計の針の進みが遅い。もうずっと終わらないのではないかと思うこともあった。

そんなときの対処法は、今の自分を意識することだった。今、この瞬間の自分に点を打つ。次の瞬間には、自分はその点よりも1秒終わりに近づいている。また点を打つ。次の瞬間にももう1秒終わりに近づいている。

このように一瞬一瞬を意識して点をつけることで、過ぎていく時間を実感することができた。当時は何となくやっていたことだが、それは自分で区切りを生み出す作業だったと思う。

人生にはたくさんの区切りがある。誕生日や卒業式などは大きな区切りであり、客観的で分かりやすいものだ。ただ、無限というには少ない。

でも、このような主観的な区切りであれば、私たちは無限に生み出すことができる。それこそ、今この一瞬の中にいくつも作り出すことができる。


人生にある無限の区切り。私には「無限門」がそれらを形にしたものに思えた。

そうか、この意識が世界を美しく見せるのかもしれない。区切りを迎えたとき、私たちはいつもの風景が輝いて見える。元日の朝は、いつもより空気が澄んでいると感じるように。

そしてこの門をくぐるとき、私たちはくぐる前と後、それぞれの時間を意識して点を打つことができる。大きな区切りに頼らなくても、今の自分に区切りを付け、新しい自分を思い描くことができる。

もう一度「無限門」をくぐる。ここでひと区切り。またここから続きを始めよう。


(引用元)

ベネッセアートサイト直島公式サイト ブログ記事
「李禹煥美術館 新作「無限門」の直島町民お披露目会が開催されました」2019.07.19
(https://benesse-artsite.jp/story/20190719-1203.html 最終閲覧日2023年12月24日)


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