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ソウルフィルド・シャングリラ 第五章(4)

承前

「あなた、この間後を継いだ天宮の新当主ね? あたしに関わらないで。二度と姿を見せないで。
 ――天宮も、空宮も、この街〈澄崎〉も……全部消えてしまえ」

 初めて会った時の彼女は、取り付く島もないくらい周りに壁を作っていた。
 孤高――でも孤独がもたらす寒さに、震えていた。

「あなたもしつこい人だね。あたしはもう余命が決まっているの。取り入っても、天宮にとってなんの得も旨味もないよ」

 自分以上に未来を諦めている彼女を見て、初めて――救いたい、と思った。
 彼女と、彼女が生きるこの街を。
 全てを解決する機械仕掛けの神としての役割を期待されて生きてきた自分にとって、それが初めての――そして最後の願いとなった。

「――え?」
「ですから、不老不死です。眞言の理論と、貴女が考案した擬魂の超効率的生産方式を合わせることにより、ALICEネットにかける負荷を最小限にしつつ実現できます」
「ば、馬鹿じゃないの? 不老不死って、そんなものあるわけ――」
「眞言以外にも前に紹介したメンバー全員が、本気でできると信じて、取り組んでいます。
 ――悠灯さん。共に、生きましょう。
 生きて、この街をずっと見守りましょう」

 青すぎる言葉。
 でも心の底から信じていた。だけど――

「――理生。あたしは、もう駄目みたい。だから」
「待って下さい悠灯さん! くそっ! 結界が――悠灯!」
「悠理〈この子〉と、この街を。救ってね」

 そう言って。
 彼女は光と共に消え去った。

 悠灯が消滅した時と同じ光がまぶたを貫き、理生は回想を打ち切り、目を開けた。
「ユウリ――いや悠理さん。久しぶりですね」
 悠理は長い髪をふわりと巻き上げ、50センチほどの高さに浮いていた。悠理が侵入してきた壁には穴すら開いていない。そんな物理的な障壁など最早今の悠理には何の意味もない。
「お父様――あなたを回収しに参りました」
「ええ、待っていました」
 理生の中にある魂――15年前、生まれたばかりの悠理を抱き上げた時に入り込んできた『Azrael』の欠片。分割された魂の最後の一つ、『Azrael-03』。
 それを取り込むことによって、悠理は真に完全となる。
『Azrael-03』の能力は、ALICEネットの吸収。ここ五年間のALICEネット帯域消失は理生が能力のテストのために引き起こした物だ。
「聞きたいことや、恨み言があるならどうぞ仰ってください」
 理生は腕を広げ、穏やかに言う。これから消滅する人間とは思えない落ち着き。15年間ずっとこうなるのを望んでいた者の平穏。
「いえ、特にないですね。あなたのことも、母のことも今はもう全部知っています。一発引っ叩いてやろうかとも思ってましたが、何やらもう殴られたあとのようですし」
 悠理は、まるで道行く人に声をかける露天の売人のような気安さで、あっさりと答えた。理生は苦笑する。
「そういう物の言い方は、本当に悠灯さんにそっくりですね」
 金髪、蒼い眼。『Azrael-03』の権能〈ちから〉を使って幾許かサルベージ出来た思い出の中の悠灯と、今の悠理は良く一致していた。
「ああ、でも私の『ユウリ』だった部分がお父様に伝えたいことがあるみたいです――
『外に出してくれたおかげで、大事な人に会えました』」
「……それはどちらかと言えば、引瀬博士に言うべき言葉ですがね。彼女があの『負死者』の少年と、あなたの出会いのシナリオを描いたようなものですから」
「ええ、それも知っています。けれど他に言うべき人間もいませんし」
「葛城がまだいますよ」
「葛城さん〝達〟は、もう都市を出ましたから。私の管轄外ですね」
「さすがは動きが早い」
 理生は笑う。開放された都市から最初に脱出する人間で――恐らくは最後の人間になる友人に少しばかり思いを馳せる。
「……では、もう言い遺すこともありませんので――ああ、いえ。
 ――最後に、一言だけ。ありがとう、悠理。生まれてきてくれて」
 悠理は少し驚いた顔をした。
「ALICEネットの『基憶』に在る限り、あなたに親らしい言葉をかけてもらったのはこれが初めてのようですね。今の私は控え目に言って万能ほどではないにしても千能くらいの力はあるのですが、なんと答えていいものやら分かりません」
「私の魂はこれからも貴女と共にあります。返事は後で考えれば良いでしょう」
「それもそうですね。ではさようなら、お父様」
「さようなら、悠理」
 悠理の髪が金属質の光沢――E2M3混合溶液――で覆われ、護留のナイフに良く似た形の刃を形成する。それが真っ直ぐに理生の胸を、貫いた。

      †

 その瞬間――ALICEネットは悠理の中に全て格納され、その機能を停止した。
 同時に市内のあらゆる公共機関が制御を失い、暴走した。
 1000人近くを載せた始発のリニアレールは時速200キロを維持したままカーブを曲がり切れずに脱線し、道路の信号は全てダウンした。自動運転のフライヤーはあさっての方向に飛んでいき機関が耐え切れずに爆発して下に向かって炎と残骸を撒き散らす。
 ヘリコプターは落ち、運河を航行中の船舶は岸壁に突っ込むか座礁した。医療機関は電力供給が途絶え、自家発電に切り替わったがそれすらも停止する。市警軍の基地では弾薬庫が爆発を起こした。
 浮遊ナノマシン群は全て機能を喪失し、洋上の強い風に吹き散らされていく。
 空の蒼はますます澄み渡り、その風景は遥か昔にこの街に『澄崎』という名を付けた人々が見た景色を彷彿とさせた。
 高層ビル群が崩落を始め、人影が宙に大量に放り出され濡れた音を立てて地面に落ちた。白い泡を立てながら海水がそれを洗い流す。水はどんどん市街地に浸透していく。都市はゆっくりと沈み始めた。
 だがこの壊滅的な状況による死者は、誰一人としていなかった。
 なぜなら、ALICEネットが停止したその瞬間――
 全ての人間は既に死亡していたからだ。
 ALICEネットに接続されていた全市民の魂魄は、階級付けを問わず即座に悠理に吸収された。
 擬魂で動いていたゾンビたちもALICEネットの停止により擬魂の制御が不可能になり、息絶える。
 寝たきりで動かなかった天宮花束は最後の瞬間、何を見たのか。
 許しを乞うように、あるいは差し出された手を取るように、宙に向かって腕を伸ばし――その手が微かな光に包まれると同時に、息絶えた。
 そして――廃棄区画と同じ崩壊が各ブロックで始まる。
 街の基礎である超浮体構造〈テラフロート〉の連結に至るまで全てALICEネットの制御下にあり――人々が意識的に、無意識に、その魂を懸けて存続を望んでいた街。
 ただ存在するだけで外の世界に不正な負債を押し付け続けた都市。偽りの歴史を信じ、不生と負死に満ちた街。

 澄崎市はこうして、100年の歴史に幕を下ろした。

(終章へ続く)

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