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2020年、私を殺したもの、生かしたもの

今まで英語学習について書いてきましたが2020年についてのこの記事は後の自分をきっと後押しするだろうと思って書いておこうと思います。
少し恥ずかしいですが、また挫けそうになったとき
読んだらきっと頑張れるだろうなと思ったので。自分への備忘録として。

衝撃すぎた大切な人の消滅

遡りますが自己紹介にも書いた通り私はお菓子に携わる仕事をしています。
ケータリングやオーダーメイド、ワークショップなどの色んな仕事をやってきて、色々と目標はありますが、今年で7年目になる今それは始めた当初とあまり変わりはありません。
その中のひとつとして私を大きく大きく支えてくれていたもの、それが『シルクドソレイユ』の存在です。

彼らのオリンピックを見てるかのようなパフォーマンス、言葉はなくてもしっかりと繋がりを感じれるストーリー性や細かい小道具、演者として扱われるのはパフォーマーだけではなく生演奏をしているミュージシャンも一緒。3ヶ月毎の試験に合格しないと団体に残れない、とにかく人間業ではないような圧倒的な壮大なエンタメを彼らは作り出す団体でした。
特にいちばん印象深かったのはマイケルジャクソン・イモーテルツアーの公演でトランポリンの演目の義足のパフォーマー。遠目からでも片足が無いのがわかるんですが、その体で他の演者たちと変わらないパフォーマンスをする。
その公演で一番の拍手喝采を浴びていたのは彼でした。

あの人たちに比べたら今の私は全然頑張ってない、まだまだ頑張れる。明日からまた頑張ろう!
そう思いたくて来日公演があるたびに観に行ってました。小さな自分を感じたくて、まだまだ頑張れる衝動が欲しくて、
凄すぎる兄の存在がいる私にとっては(この話はまた今度)『上には上がいる』という精神は、大人になるにつれ自分で仕事をするほど、自分を蔑むよりも大きな追い風となっていきました。

シルクへの想いはやがて海外にまで及びます。

巡業公演に対して常設の公演も世界にあり、日本では絶対に観れない公演も沢山あります。現地に観に行って分かったのは、全てが巡業にならないのは常設ならではの舞台装置があるからです。その大掛かりなセットと演出はそれこそ今までの公演と違う衝撃があり、これは流石に移動することは出来ないと納得。
Beatlesキチガイの私は、ラスベガスの常設Beatlesコラボ公演の『LOVE』を10年越しくらいでやっと観た時はまるで夢の中にいるようで、感動で号泣しすぎて隣の友達が若干ひいてたくらいです笑。

そしてやってきた2020年。
シルクドソレイユが破産。


今もYouTubeチャンネルで公演のダイジェストを公開したり、報道によると斡旋してくれる企業と今後の話を進めていたり、復活に向けて動いていると幹部の方は話しておられましたが
安い席でも1万円以上はする公演を毎日のようにしていて、世界中に会場があって、パフォーマーの練習場、宿泊施設、大掛かりな舞台セット、衣装、人件費、
どれだけの巨額のお金が毎日動いているのかを想像するには、公演をいつも観ていた私には容易なことでした。

破産の事実はあまりに衝撃すぎて、自然に涙がどんどん出てきて止められないくらいこぼれてしまったのは言うまでもありません。
私はシルクと仕事をすることを目標に今まで活動してきたからです。

幸い、クライアントは今まで本当に大きな企業様たちに恵まれ(敬称略ですみません)SONY、電通、博報堂、楽天、大手企業の社員だけのパーティーケータリングやスヌーピー、サンリオ、ディズニー...全て公式でやってきて、海外で自分の展示もしたり。
ちゃんとしっかり稼げてもいたし、たった1人でやってきてこのキャリアを積めた私ならきっと出来ると思ってました。
シルクはアスリートチームなので、栄養を管理するキッチンチームがあると知り
そのキッチンチームにも入りたかったし、そのために英語も勉強してました。
一緒にできるならどんなに小さい仕事でも良かった。こけら落としのノベルティのクッキーでもなんでも、一緒にできるならギャラもいらないと思っていた。

でも彼らは私の前からいなくなってしまった。

好きな人に好きを伝えて夢を掴んで生きてゆけ

好きな人に好きと言う。

それは活動する上で、私がとても大事にしてきたことです。
全く知らない人でも、憧れのような人でも、SNSのDMでその気持ちを伝えると
意外にも『素敵な活動をされてるんですね!え!じゃぁ一緒にやりましょうよ!』そう言われコラボさせてもらえたり一緒に飲みに行くほどの仲になったり、そんなことが今までとても多くて交友関係も活動の領域もすごくすごく広がりました。
大切な存在がどんどん増えていってしまうこの感覚が好きです。

一瞬の勇気を振り絞って好きを伝えるだけで、夢に描いていたような世界が広がっていきました。たくさんの夢を叶えてこれたと思います。
なかなか言えない人が多いと思うけど、案外相手の方はすんなり受け入れてくれることも多くて、何より好きと声に出すことは誰も嫌な気持ちにさせないと思うんです。自分から寄ってみる、というのはすごく活動をする上で大事なことというのは自分の経験で学びました。

大切なものを失ったとき、責めたのは自分ただ1人だけ

しかし、そんな中良くなかったことは
私は実績を積めてきたけれど、自分に自信がつくまでに時間がかかりすぎてしまったことです。
元々、自己肯定感がなく顕示欲もないため、この私がキャリアを積んで自信をつけるしかなかったのは自然な流れだったのかもしれないけど、いささか時間がかかりすぎてしまいました。
その間にいなくなってしまったもの、それは絶対に仕事がしたかった大好きなシルクドソレイユです。

でも私は不思議とコロナを恨むような気持ちはシルクの件に関しては全くありませんでした。それは、今も変わりません。

やっと自分に自信がついてシルクにコンタクトを取ろうと連絡先を調べて、宛先を忘れないように下書きに保存したE-mailは、今も消せないままフォルダに残っています。そのメールを作った矢先にあのウイルスはやってきました。

私の大事な人たちは目の前からいなくなり、私を支える大きな柱は音を立てて崩れ
未来も目標も今頑張っている意味さえも全部同時に失くした私はそこから必要最低限の生活以外何も出来ない日々が始まります。
仕事のことしかいつも考えてないようなこの私が、仕事を断り、その時入っていた仕事は納期を遅らせてもらい、何も出来ず布団にうずくまって泣き続ける日々が1週間くらい続きました。

ウイルスを恨むより、今まで何のアクションも取らなかった自分が不甲斐なさすぎて後悔ばかりがただただ襲う。
後悔してもしきれない、自分を責めても責めきれない。それくらいでいなくなってしまった事実は決して変わらない。
あんなに好きなのになんで好きを伝えなかったんだろう。なんでまだ出来損ないでもアプローチしなかったんだろう。
大切な人がある日突然いなくなってしまうことなんて絶対にあり得ることだって分かっていたはずなのに。なんで自分は何も出来なかったんだろう。今までにできることはきっと沢山あったはずなのに。
不安な時、どうすればいいかわからない時、あんなに私を押し上げ背中を押してくれた人たちに私は何ひとつ返すことが出来なかった。

一生分くらい泣いたし一生分くらい後悔しました。
もちろん今でも悲しいです。復活に向けて進めているとは言っても、それは確実とは限らない。大切な人たちとはもう会えないかもしれない。それも容易に想像がつきました。手のひらからするすると溶けていってしまった私の憧れは、もう戻ってくることはないと、覚悟をしなければならないことも。

大きな傷から生まれた、私を生かしたもの

でもやっぱりちゃんとそんな中でも思えたことは
泣いてても何も始まらないし、変わらない。
ということです。

今でも彼らを思うと涙が出てくるし、なかなか受け入れられていないんだろうなと思うのは事実ですが、この今、できることはあるはずとやっぱり思えました。

もう会えないかもしれない。もう夢は叶わないかもしれない。
それでも、今できることはあるだろうと。いつかまた再開した時にすぐアプローチできるようにまた自分を磨いていこう、そんなポートフォリオを沢山作っておこうと。

自分のYouTubeチャンネルを始めたり、普段法人の仕事ばかりをやっていて個人販売をしてなかったんですがコロナを機に個人向けのWEB販売も始めました。
色々とお菓子に対して今まで考えなかったような方向でクリエイティブに考えることになり、こんな風にお菓子と向き合うことになるとは思いませんでした。今は近い将来に向けて考えることも少しずつ変わっていき、少し考え方が柔軟になれたかなと思います。
個人販売でフォロワーさんとやりとりすることも多くなったし、こんなにみんな個人販売を待ってくれていたんだな、と感動することも多かったです。今まで私のことを応援してくれて、やりとりはしなくてもちゃんと見ててくれている人がいて、そんな人たちに大いに助けられる年になりました。本当に感謝しています。

幸せの尺度はいつだって自分で測るもの

今好きな人には、ちゃんと声を上げて好きと言って欲しいです。
思っているだけでは伝わりません。愛は行動こそが全ての気持ちの表れです。
会いたい人には会いたいとちゃんと言って欲しいと思っています。

好きな人に好きと言えず、心の底から後悔した私がここにいます。
あなたが会いたい大切な人は、いつ、どういう形で目の前からいなくなってしまうかわかりません。

このご時世、簡単に約束をすることも難しいですが
オンラインで話すとか、LINEやSNSでもいいから沢山やりとりをするとか
エチケットや対策をきちんとして直接会うことも私は大切かなと思います。

シルクが破産した時、沢山友達が気にして連絡をくれました。本当に、見てられないくらいだったと思います。私も泣きながら友達と電話で話したのはいつが最後だったか思い出せないくらいです。それでもみんな対面でも非対面でもそばに居てくれたし、無理矢理時間を作って会いにきてくれた友達もいました。溢れそうなくらい感謝しています。

大事な人を、大事にしたい人を
ぜひちゃんと大事にしてください。

毎日を最後だと思って生きることはやっぱり難しいけれど、それでも自分の幸せは自分で測るもの。自分が世界一幸せだと思ったら世界一幸せだし、世界一不幸だと思ったら世界一不幸です。
自分の幸せの正しさはちゃんと自分で決めて、長い時間がかかることになっても
みんながみんないずれそれにハマっていけばいいなぁと思います。
そして後悔のない人生を、1人でも多くの人が過ごせていって欲しいと私は思います。

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