ショートショート「完璧な恋愛」
その青年は、パソコンのまえに姿勢正しくすわり、モニター画面を見つめていた。画面には色白で髪の長い女性が映し出されている。
女性はほほえむと自己紹介をはじめ、青年の返答を待つ。青年はしどろもどろながらなんとか自己紹介を終えた。それから、青年と女性は互いに質問を繰り返した。
会話の途中、モニター全体がとつぜん灰色になった。
青年が一般的ではない質問をし、女性の表情がくもったからだ。青年はあわてて質問を変えた。
女性はふたたびほほえんで、会話を始めた。
青年が会話をしている相手の女性は恋愛専門アプリ、チャットボット”アイ”。恋愛のエキスパートたちが今まで受けてきた膨大な相談内容と回答をデータ化し、改良を重ね、昨年公開されたばかりのAIアプリだ。
アプリをインストールすると、身長、髪の長さ、目鼻立ち、眼鏡をかけているかどうか、活発なキャラか静かなキャラかなどの選択肢が50項目ほどならび、入力することでアプリ上に理想の女性像をつくることができる。
さらに、声が高めか低めか、会話のときの癖など細かな設定ができ、まさに理想的な女性”アイ”が誕生する。
世間では過去に数多くの恋愛アプリが公開されているが、アイの最大の特徴は「会話」だった。
アイは恋愛に特化した会話を数億パターン記憶し、恋愛初心者の青年たちを育成する救世主として注目を浴びていた。
モニターを見つめるその青年は、恋にかなり奥手であった。女性とまともに会話をしたことがない。だが、いつか結婚はしたい。
身なりを整え、きちんとした恰好で女性に安心感を与えるレベルには近づいたと思うが、問題は会話であった。
青年が女性に尋ねる。
「アイさん、ぜひぼくと今度遊びにいきませんか」
「そうですね、どこにいきましょうか」
「ミヤマキリシマという花が今、見ごろなんです。ここから車で1時間ほどかかりますが、ぼくがアイさんの家まで迎えにいきます」
「ピンクの鮮やかな花ですよね、わたし、好きです」
「ぼくは花も好きですが、山の風景が大好きなのです。1日あれば標高1000メートル級の山を二つくらい登れます。どうです、アイさんもご一緒に……」
「わたし、足はそれほど強くないから……」
「ぼくがサポートしますから、ぜひ、ご一緒に」
青年の趣味は登山で、山のことになるとつい、熱くなってしまう。アイの目が少しくもると同時にモニター全体が少しグレーがかってきた。
青年はそれに気づき、会話を変える。
「すみません、つい夢中になってしまって。花をながめて、もしもう少し歩けそうだったら、ほか草花の散策でもしましょう」
アイはにっこりほほえむ。
「はい、よろしくお願いします」
・・・
アイと会話を始めて半年ほどたち、青年は実際の女性との会話に自信をもつようになった。これもすべて、アイのおかげだ。
アイは青年の言葉ひとつひとつを正確に認識し、ごく自然な形で返答する。とてもチャットボットとは思えない、高性能アプリ。
アイとの会話で画面がグレーに変化することもなくなり、万事うまくいくという期待が、青年の胸にみなぎっていた。
青年は知人の紹介で、ある女性と食事をすることになった。
「はじめまして」
「ええ、はじめまして……」
女性と会話を進めていくうちに、青年は女性との、よどみない完璧な会話にとまどった。いや、とまどう必要などないのだ、本当は。ただ、あまりにも完璧すぎて、できすぎるくらいだ。
青年はその女性とデートの約束を取り付けることに成功した。
それから数回、女性とデートを繰り返したが、関係はいっこうに進展しなかった。
ある日、ランチをとるため女性と小さなレストランへ入った。
女性と紅茶を飲んでいると、女性はときおりスマホを取り出しては眺めている。付き合い始めてずっとそうだった。まぁ、自分もそうなのだが……、と青年は思った。
その日レストランは混んでいた。
化粧室が混んでいる様子で、女性は化粧室へ行きたいのかチラチラとそちらの様子を伺う。
人の列が途切れたとき、
「ちょっと失礼」
と言って女性は化粧室へ向かった。
席を外した女性のテーブルに、女性のスマホの画面が光る。どこかでみたアプリが……。青年は思わずそのアプリをタップしていた。
恋愛チャットボット”レン”。
彼女も同じアプリを使用し、会話の訓練をしていたのか。
恋愛アプリ、チャットボット”レン” ”アイ”は会話の際、相手を不快にさせない、言葉選びに優れた機能を発揮する。しかし、恋愛にケンカはつきものだ。自分の本音を隠し、いつも相手を不快にさせないことに注力していたら、やがてその関係は必ず破綻する。
本当に思っていることを言わずに、どうやって関係を進展させるのだ。たまにはケンカもするのが、人間というもの。
青年は化粧室の方を眺めながら、ぼんやりと、恋愛というものについて考えていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?