見出し画像

短編小説「ホログラムの彼女」 第2話(全2話完結)

第1話はこちら↓



その日は、ぐずついた天気で今にも雨が降りそうだった。湿った風が肌をなでる。また大雨になるかな……おれは玄関で、大きめの黒い傘を手に取った。風が強くなっても、これなら大丈夫だろう。

学校につくと、すでにクラスメートのほとんどがきている。

「おはよう。今きたか」

山野タクが話しかけてきた。

「雨が振り出すまえに、間に合ってよかったな。まぁ、おれもだけど」

タクはおれより数分前についたらしい。おれは教科書を机にしまいながら教室の時計をみて、あと5分程ほどで担任の島田先生が教室に来ることを確認した。タクはどこか落ち着かない様子で、クラス内を見まわしている。

「なぁ……。まだ、田中きてないよな。田中にしては遅い。どうしたのだろう」

おれは教室の隅から隅まで、目で追った。確かに、いない。昨日、ユイと『また明日、学校で』といって別れたおれにとって、ユイは当たり前に教室にいるものだと思っていた。ユイは、下校は早いが登校も早い。遅刻するなどもってのほかだ。

「休みかな」

タクは落ち着かない様子で突っ立っている。ユイが休むことなど今までなかった。昨日は風邪気味だったとか、そんな様子はちっともなかった。食あたりかなにかでおなかでも壊したのだろうか。

「たまには、体調が悪くなるときだってあるさ。気にするなよ」

おれはタクにそう話しつつ、ユイにだってイレギュラーはあると、おれ自身をも安心させようとしていることに気づいた。昨日、帰宅したあと急いで作った料理の加熱が不十分だったとか、もともと便秘気味だったとか……。

休む理由はいろいろある。大丈夫、明日には会える。おれとタクは席につき、その日はいつものように何事もなく過ぎていった。

下校時間になり、おれはユイのスマホに電話をかけてみた。コール音もなく繋がらない。充電切れということもある。明日またかけてみよう。

・・・

翌日も、翌々日もユイは学校に来なかった。もちろんスマホは繋がらない。さすがにおれもタクも、まったく落ち着かなくなって勉強どころじゃない。

おれたちはそんなふうに、もどかしい3日目を迎えていたが、ほかのクラスメートたちはいつもと変わらない様子だった。ユイはいつも一人で読書をしていたし、仲の良いともだちがいるふうでもなく、ユイが休み続けることを不審に思って話題にする女子はいなかった。なぜ休み続けているのか、クラスメートのだれにきいても、たぶんだれも知らないだろう。

「放課後、島田先生にきいてみようか」

おれはタクにそう持ちかけた。タクは、”それしかない”という目で、うなずいた。

「二人でいこう。終了チャイムが鳴ったら、すぐだ」

おれとタクはこの3日間ずっと同じ気持ちであっただろうし、互いに安心させようとふるまい続けてきたように思う。でも、もうそれも限界だ。あたりまえにあったユイの姿がないことの不安感はおれたちに、彼女を”探せ”といっているようだった。

yui

時は流れ、下校時間になった。

おれとタクは職員室にいき、一礼して室内へ入ると島田先生の前に立った。島田先生はおれたちの父親くらいの年齢で、髪は薄いが生徒想いのいかにも教師らしい先生だった。

「先生、お尋ねしたことがあります」

おれは意を決して、先生に切り出した。

「うん?近藤に山野、二人してどうした?」

先生はテストの採点中だったか、生徒が目の前にくるとテスト用紙を裏返した。

「田中ユイさんが、学校を3日間休んでいますが、なにか理由をご存じですか。おれたちともだちで、彼女に必要なものは家まで持っていこうと思って……」

「そうか、うん……。だが田中は今、自宅にいないからな」

「え?どういうことですか?」

「入院している。3日前、事故にあったらしい。田中のお母さんから学校に連絡があったときは、かなり危険な状況だったが、なんとか今は落ち着いていると聞いた。だが、これから先どうなるかわからんな……」

島田先生はそこまで言って、腕を組んで目を伏せた。まさか。たった3日前には、一緒に公園にいた。公園で話をして、笑いあって、また学校で会うはずだった。はにかみながらピースサインをする彼女の姿を、いまもくっきりと思い出せる。事故なんて、そんなバカな現実があるはずがない。

おれはとっさに、先生に詰め寄った。

「どこに入院中ですか。お見舞いに行きます」

「まぁ、落ち着け。行ったって、あいつは集中治療室だから会えないぞ。面会禁止だ」

「直接会えなくてもいいです。病院の待合室でだって、いいです。田中さんの入院先を教えてください」

先生は明らかに困った顔で腕を組みなおし、深いため息をついた。先生が教えてくれるまで、おれは頑としてここを動かないつもりでいた。沈黙が流れる。職員室の隣にある運動場からは、野球部だかサッカー部だか知らないが生徒たちの掛け声が遠く響いている。

心臓がドクドク動いて、おれは自分の心臓をおとなしくさせようと息を数秒とめる。少し苦しくなると息を吐き、息を吸い、その繰り返しで、島田先生の言葉を待った。隣にいるタクの様子まで、おれは気を回す余裕などない。

島田先生はおもむろに、小さな紙片にペンを走らせた。病院名が書いてある。

「ここだ。だが、田中に会える状況では、まったくないからな。おまえたちの気持ちがそれで落ち着くのなら、遠くから田中を祈るだけで、いいのかもしれない。……気を付けて行けよ」

「はい。ありがとうございます」

おれたちは職員室をあとにした。こういう展開になるなど、誰が予想できただろうか。先生にもらったメモ紙をこぶしににぎりしめ、おれは言った。

「タク、急ぐぞ」

「おお」

タクは青ざめ、震えていた。大丈夫、きっと会える。おれは自分に何度もそう言い聞かせ、走り出していた。

・・・

その病院は学校から1キロほどの距離にある、おれたちの街のなかでは割と大きい総合病院だった。6階建てで、救急医療をはじめ様々な診療科がそろっている。たまにドクターヘリなんかが屋上を行き来して、いざというときの頼りになる地域の中核病院。

おれとタクは風邪をめったにひかないくらい丈夫で病院の世話になったことはなく、病院の中に入ると早速足がとまって、どこの誰にきけばユイまでたどり着けるか見当もつかなかった。

総合受付案内と書かれたコーナーにいくと、病院スタッフらしき女性がせわしなく来院者応対していた。中核病院なだけに、人が次から次に入ってくる。女性の対応はベルトコンベヤーから流れてくるものを次々にさばいていくかのように実にスムーズで、おれはタイミングを見計らって案内コーナーの女性に言った。

「すみません。入院している田中ユイさんのお見舞いに来たのですが、どちらへ行けばいいですか?」

「お見舞いですね、ご入院中の田中ユイさん……、少々お待ちください」

女性は胸ポケットにいれていた携帯電話を取り出すとどこかに電話をかけ、素早くメモをとり、おれに言った。

「ご案内はできますが、実際にお会いになることは難しいですよ。ご面会ができないエリアにいらっしゃいますから」

「それでもかまいません。お願いします」

おれはきっぱりと言った。とにかくできるだけユイに近い距離にいたいと思った。おれにとって今は会えるか会えないかなど問題ではなく、ユイという人間を起点にした半径数メートルだか数十メートルのエリアにどうしても入ることが、一番の目的になっていた。

案内スタッフのあとについていく。エレベーターの5階にとまり、ひたすら長い廊下を、おれとタクと案内スタッフの3人は静かに歩き続けた。

いくつか角を曲がり、ちょっとした広さの待合室エリアに入った。その先には透明な自動ドアがあり、そのドア越しにさらにグレーのドアが見えて厳重に管理されているのだということがわかる。案内スタッフが振り向いて言った。

「こちら待合室の先に、田中さんはご入院中です。おともだちのお見舞いでしょう。ごめんなさいね、案内できるのはここまでなの」

案内スタッフは、なにか困ったことがあったらこのエリアの内線電話から総合受付に連絡してね、とだけ言い残して去っていった。待合室はこじんまりしていて、入ってきた出入り口のすぐ横に壁掛けの電話機がかかっている。丸机がふたつと、椅子が5脚、置いてあった。机のそばの窓からは、遠く青い空が見えた。

あの透明な自動ドアの先に、ユイがいる……。おれが椅子に座ると、向かい合ってタクも座った。おれたちは無言だった。頭の整理がまだ、追いついていないせいかもしれない。
タクが沈黙を破った。

「田中、どうなるのだろう」

「どうもこうも……。田中がまた元気に学校に来れるように、祈るしかないだろう」

「そうだよな」

どれだけ時間がたっただろう。おれたちはずっと無言だった。青い空はいつのまにか濃く色を変え、紺青が部屋を包んでいた。

人の気配がして顔を上げると、中年の女性が待合室に入ってきた。女性はひどく疲れた表情で、ハンドバッグとビニル袋を下げている。

おれたちの隣のテーブルにつくと、ビニル袋からコーヒー缶を取り出しふたを開け、飲み始めた。一口飲んでは小さく息を吐き、また飲んでは息を吐いた。なんとなく見覚えのある顔……。おれはその人が、ユイの母親だと直観した。おれは女性に言った。

「あの、もしかして田中ユイさんのお母さんですか?おれたち、クラスメートの近藤と山野です。はじめまして」

女性は目を大きく開き、言った。

「ユイの、おともだち?来てくれたのね……。ありがとう。ありがとう」

ユイの母親は、家の近所で母娘そろって歩いているのをみたことがある。話すのはこれが最初だった。母親は今にも泣きそうな目で、おれたちを交互にみた。目は潤んでいたが、口元は穏やかな印象で、おれたちを見て少しだけ安心したかのようだった。おれたちは椅子を移動し母親と同じテーブルにつくと、母親は話し始めた。

「3日前……。ユイが事故にあった日、私は仕事が遅くなっていて、ユイは一人で留守番しているのだろうと思っていたの。そしたら、私のスマホに連絡がきて……病院からだった。
自転車に乗っていたユイが、車とぶつかったって。頭を打ってひどいケガらしくて、私はすぐに病院にかけつけたのだけど、意識がなかなか戻らなくて。今日も、今日こそは目を開けてくれるんじゃないかと思っていたのよ。でも、まだ目は閉じたまま。主治医が、あの子がこのまま目を覚まさなかったら覚悟してくれって……」

母親は飲みかけのコーヒー缶を手にとり、一口飲んだ。

「救急隊員の方たちが、散らばったユイの荷物を集めてくれたわ。あの子、荷物というほどの物を持っていたわけじゃないけどね。その一つ一つがかなり壊れてしまっているけれど、その一瞬を……私がそばにいなかった一瞬を、私につきつけているようで……」

母親はそこまで言うと、顔を伏せた。鼻をすすり、彼女がハンドバックからハンカチをとりだそうとしたとき、バッグの中身がちらりと見えた。ピンク色のもの。あれはユイの……。おれはとっさに母親に言った。

「もしかして、そのピンク色のもの、ユイさんのスマホですか?バッグに入っているのが見えました」

母親はハンカチで目元を拭きながら、ハンドバックに目をやった。

「ええ、あの子のものよ。もう、壊れてしまっているけどね。私、そういえばずっとバッグに入れっぱなしだったわ」

「よかったら貸してもらえませんか。本当に壊れているかどうか、確かめられますから。ユイさんが目をさましたときに、また使えるように」

母親はピンク色のスマホをバックから取り出し、おれたちの目の前に置いた。

「きみたち……。ほんとうにありがとう。ユイはきっと、幸せものね」

おれはユイのスマホを受け取ると、母親に礼を言った。それからタクと二人、すっかり日の暮れた夜道を歩いて帰った。帰り道、タクは独り言のようにぽつりぽつりとつぶやいた。

「事故だなんて、まだ信じられないな。おれ、田中と話したことないけど……。
なんかさ、田中が教室にいないことが、すごく嫌なんだ。こんな言い方、変かもしれないけれど。おしゃべりなやつとか、面白いやつとか、クールなやつとか、教室にいろんな人間がいるだろう。田中はすごく静かで、いるかいないかわからないような女子だけど、おれは、そこが田中の良さだと思う。クラスの一人ひとりを包み込んでいるような感じでさ」

「うん」

「おれの授業中の失敗や成功も、給食時間や休み時間のバカ笑いも、先生に叱られているときも褒められているときもぜんぶきっと……、田中がいるからおれは、安心して自分をだせる」

「うん」

「おれ、田中のためにできることはなんでもするよ」

「そうだな、うん」

おれも、タクと同じ。教室の片隅で静かに本を読むユイの姿を思い浮かべる。ユイがいるから、おれはおれらしくあるのかもしれない。おれらしく、なんて本当はよくわからないのだけど、少なくともおれたちにユイが必要だってことは確かだ。

・・・

ユイの病院に行った翌日の土曜日。おれたちはタクの家で会う約束をした。ユイのスマホをどうにかして起動できないか、あれこれ試すつもりだった。おれたちに今できることは、それくらいしかない。

タクの部屋へ入ると、画面にヒビが入ったユイのスマホをテーブルに置いた。起動ボタンを押すが、反応しない。どうしたものか。

「分解してみるかな」

タクがぽつりと言った。おれは耳を疑った。

「おまえ、できるのか?これ、スマホの修理屋にもっていったほうが早くないか?」

「修理屋にできることを、おれができないわけがない。やってみるか……。あ、おまえはマネするなよ、特殊技術だからな」

そういうとタクは机の引き出しからなにやら工具を数種類取り出し、テーブルの上に広げ、作業を始めた。スマホの中身って、こんなふうになっているのか。

いやそれよりも、中学生のタクにこんな特技があったなんて。おれは機器の類はさっぱりだから、スマホの修理に夢中になっている友人を羨望のまなざしで見つめた。これでスマホがなおったら大人顔負けだ。

おれ自身はとくになにをすることもなく、クッションを頭にごろんと横になり、天井を眺めた。昨夜は遅くに家へ帰って、珍しく早帰りしていた母さんに叱られたっけ。それから風呂に入り、自分の部屋に戻ったあとユイのスマホに触れ、心臓をわしづかみにされたように胸がしめつけられた。

あの日、おれがきちんと最後までユイを送って帰ればよかった。ユイに大丈夫って言われても、後ろからついて彼女を見守るべきだった。ピンク色のスマホカバーは傷だらけで、キラキラ文字のイニシャルYは掠れていた。ユイに会いたい。後悔の念にまみれながらおれはいつの間にか眠っていた。だが、よく眠れていなかったらしい。

「おい、できたぞ」

そうタクにそう声をかけられるまで、昨晩の不眠を取り戻すかのようにおれはすっかり寝入っていた。

「おお。ごめん、すっかり寝てた」

「たぶん、これで起動できるはず」

タクはそう言うと、ユイのスマホの電源ボタンを押した。数秒たって画面が明るくなる。うまくいったようだ。

「やったな、タク。起動はしたが、中身はうまく動くかな」

おれはタクの手にあったユイのスマホをひったくり、スマホロックを解除した。

「カイ、おまえ、なんで田中のロック解除、知ってるんだよ?」

「うん、ちょっとな」

ユイと二人で会ったあの日、例のアプリを入れて遊んでいたなんてとてもタクに言えない。ユイのロック解除を知ったのもそのときだ。タクはおれをにらみつつも、彼女のスマホに目をやった。タクの目が光った。

「あれ。このアプリ……」

あぁ……、さっそくバレた。おれはうそをつくのが苦手だから、タクにあの日のことをかいつまんで話した。ユイがアプリ”Blue”に興味をもったこと、彼女のスマホにそのアプリをダウンロードしたこと、そのあと……事故にあってしまったこと。タクは静かに聞いていた。ときおり何か言いたげな目でおれを見たが、なにも言わなかった。しばらくして急になにか思いついた様子で、口を開いた。

「カイ、”Blue”をタップしてみろよ。スマホの中身が大丈夫かどうか、それでわかるだろう」

「そうだな」

おれは青い人型アイコンをタップした。

反応しない。やっぱり壊れてしまったか……と思ったとき、スマホは画面いっぱいに光りだし、急激なまぶしさに目がくらんだ。スマホってここまで光るものだっけと思いつつ、細めた目を徐々に開けると、スマホ画面上に人がいた。それはまぎれもなく、ユイだった。

「ユイ……?」

yui

実態のないホログラムであるそれは、ゆらゆらと揺らめき、ときどきノイズが走って消えかかったかと思えばまたゆらゆらと現れる。おれたちのホログラムより一回り大きく、顔や体形はユイそのものだった。

「おい、タク。これって……」

おれは隣のタクをつつきながら、ユイのホログラムに釘付けになった。タクもおれと同じで、目の前に現れたホログラムにひたすら圧倒されているようだった。いや、圧倒というレベルじゃない。ちゃんと呼吸をしているだろうかというくらい蝋人形のように身動ぎもせず、じっとホログラムを凝視していた。

「カイ。信じられないことが起きているぜ。こいつが出たってことは、田中は目をさましているのかもしれない」

「どういうことだよ?」

「叔父さんが言っていたんだよ。アプリを起動させ、ホログラムが出現するときは本人の脳も活発化しているんだって。ほら、前に言っただろう、人間のからだは電気のかたまり。アプリがスマホの感度を最大限化して本人のからだから出ている小さな電気をキャッチしホログラムを作る。そして人間のからだの中で電気が走りまくっているのは脳神経ネットワークだ。“Blue”が出現するってことは田中本人の脳も活性化している。……あれ、おかしいな……、田中は今ここにいないのに」

そうだ。ホログラムを出現させるには本人がスマホの半径1m以内にいることが条件だ。そんな話をするうちに、ユイのホログラムがゆっくりと口を開いた。

『近藤くん』

「わー----!しゃべった」

おれはタクに飛びついた。これまでおれがタクから得たホログラムの常識や決まり事をいきなりぶっとんでこっち側にきた感じがして、頭がまったく回らない。おれはかなり混乱はしていたが、少しずつ今起きていることを理解しようと努めた。

『近藤くん、ここどこ?』

ユイのホログラムの声は淀みなく、人間の発声と遜色ないようだった。おれは試しに、ホログラムに話しかけてみた。

「田中、おまえ大丈夫か?今しゃべったけど、大丈夫なのか?」

『ええ、大丈夫。たぶん』

ホログラムは少し首をかしげ、うつむいて言った。

こんな現実があるなんて……会話が成立している。おれは目の前の出来事が夢かもしれないと思った。たしか今の科学技術では、双方向コミュニケーションはまだ出来ないはずだ。

だけどユイ……正確にはホログラムが、今ここにいる。彼女が事故にあったあの日以来おれたちはずっと会えないままだったから……会いたくてたまらなかったから、おれはつい、目の前のユイに手を伸ばした。ホログラムにノイズが走り、ユイが消えかかる。おれはあわてて手をひっこめた。

となりでおれとホログラムの会話を聞いていたタクが、おれの腕をつかんで言った。

「カイ、落ち着け。たしかにこれは想定外だが、この想定外が奇跡を起こしていると思う。田中が今どういう状況なのかわからないが、ホログラムが出たことで彼女は危機を脱している可能性が高くなっているはずだ。確かめにいこう」

「おお。そうだ、すぐ行こう。田中、待ってろ、今行くからな」

『うん。待ってる』

おれはユイのスマホをバッグに入れ、彼女の病院へと自転車を走らせた。同じくタクも自転車を走らせる。ペダルを回すのがもどかしいくらいに、おれたちは目的地へと急いだ。

・・・

「田中ユイさん、転院されましたよ」

いつかの受付対応してくれた女性が事務的に返答した。おれたちはあっけにとられて、想定外というのはこうも続くものかと思った。転院って、どこに?

「あの……、どこに転院されたのか教えてくれませんか?」

「ごめんなさい。個人情報をお教えすることはできないの」

おれたちは行き詰ってしまった。病院を出たあとしばらく考えて、ユイの家に行けばなにかわかるかもしれないと思い彼女の家へ向かった。彼女の母親に会えたら、どこの病院に転院したか教えてくれるかもしれない。

おれたちはユイの家にいき、チャイムを鳴らしたが誰も出てこなかった。留守らしい。おれはバッグに入れていたメモ帳を破り自分の携帯番号を書いて、玄関にはさんでおいた。彼女の状況を知りたいので連絡をください、と付け加えて。

その日、おれたちはスマホで検索して、他の中核病院を手あたり次第尋ねまわったが、ユイを見つけることはできなかった。病状が悪化したのかと思い、街で唯一の大学病院にも行った。そこにもいなかった。明日は日曜日。おれとタクは明日も探そうと約束して別れた。

帰宅したのはすでに19時をまわっていた。腹減った。1日中走りまわっていて昼もろくに食べていなかったし、足はひどく疲れてしびれていた。リビングへ行くと弟たちは相変わらずゲームをしていて、おれはキッチンに行って冷蔵庫に貼り付けてあるメモを見た。今日はピザを温めて……か。

冷たい麦茶を一気飲みし、ピザを食べた。それから風呂に入った。湯船につかりながら、ユイはまだ眠っているのだろうか、それともすでに目覚めているのだろうかと、そればかりを考えていた。

ごはんを食べられない状態で、人間のからだはどれくらいもつのだろう。水分は?目をとじてそんなことばかりを考えていると、また胸のあたりが息苦しくなってくる。

突然、おれの遠い記憶がふとよみがえった。じいちゃんが病気で入院していたとき、じいちゃんにつながれた点滴の細いチューブが電気コードに見えた。そしてきっと、じいちゃんを充電しているのだと思った。充電完了したらまたじいちゃんと遊べる。そんなふうに単純に考えていた昔の自分を思い出し、つくづくおれはバカだと思った。

風呂からあがり、弟たちにリビングを片付けさせて自分の部屋に戻ったときは20時半を過ぎていた。おれはベッドに横になり、ユイのひび割れたスマホを眺めていた。うとうとして眠りかけたとき、おれのスマホが鳴った。未登録の番号だ。

「もしもし」

「もしもし、こんばんは。ユイの母親です。夜分にすみません、近藤くんの携帯で間違いない?」

おれは飛び起きて正座をした。

「はい、間違いありません。電話、ありがとうございます。ユイさん転院したってきいて、おれたち……」

そこまで言いかけると母親は、おれの言葉をさえぎるように言った。

「心配してくれてありがとう。……あの子は、まだ頑張っているのよ。それで、きっときみたち、転院先にもお見舞いに……というつもりかもしれないと思ったのだけど、本当にごめんなさい。転院先の病院を教えることはできないの」

おれは一瞬、聞き間違いかと思った。転院先を教える、じゃなくて教えないって……。ユイはまだ眠っていて、病院を変えたのだけれど、おれたちはそこに行くことができないってこと?なぜ?

「えっと……。それはつまり、遠くに転院されたってことでしょうか?」

母親は黙っていた。重い沈黙が流れる。

「近藤くん、あなた受験生でしょう。人生の一番大事な時期にきみを巻き込みたくないの。ユイのことはもう気にしないで。忘れて、勉強に打ち込んでね。ええと、もう一人のおともだち……」

「山野です」

「そう、山野くんにもそう伝えてもらえるかしら。きみたち、ユイとおともだちでいてくれてありがとう。きっと良い思い出ね。じゃあ、これで失礼します」

母親はそれだけ言うと電話を切った。おれは呆然として、スマホをもつ手に力が入らず、抜け殻のように空を見つめた。なぜ、という問いだけが脳内をなんども行き来し、さっきまで疲れて眠ろうとしていたはずの眠気がどこかへいってしまった。

眠れずに、ユイのスマホ”blue”を起動させる。ホログラムのユイがぼうっと現れた。

「おまえ、どこにいるんだよ。どうすればいいんだ。たった一人、おまえを見つけ出せないなんて」

ホログラムはかすかに微笑んで言った。

『近藤くん、ありがとう。わたし、大丈夫』

「なにが大丈夫なんだ?ずっとおまえ、そうだよな。一人で抱え込みすぎなんだよ。つらいときはつらいって、苦しいときは苦しいって言えよ。言えよ、ばかやろう」

おれはホログラムに八つ当たりしているのか、ホログラムだからストレートに気持ちをぶつけられるのかわからなかった。”Blue”は本人のコピーを作るとはいえ、100%コピーではない。現時点の技術で作られるホログラムは、特定個人情報を基にした本人のコピー部分と、”Blue”の人工知能部分が半分半分だとタクは言っていた。その割合はいずれ本人部分が多くなるとはいえ、A Iの力なくして技術は完成しない。とすればおれはAIに自分のイライラをぶつけているのだろうか。だんだん無性に泣きたくなって、枕に顔をうずめた。

『近藤くん。わたし、近藤くんのこと信じているよ』

耳に飛び込んできたその声にはっとして、おれはホログラムのほうを見た。彼女の像にノイズが走り、彼女は目を閉じた。いつかという日は、来ないと思えば永遠に来ない。いつか必ずおまえに会えると彼女につぶやき、おれはスマホを閉じた。

・・・

日曜日。かなり眠っていたようだ。時計は11時を過ぎたところだった。昨日のことでタクに電話をかけようとしたとき、着信履歴にタクの名前が5つ並んでいた。そしてちょうど向こうからかかってきた。

「カイ。なんで電話でなかったんだよ。今すぐ会えるか?事は進みそうだぞ」

「ごめん、寝ていたよ。でも、どういうことだ?」

「まず会ってから話そう」

おれたちは学校近くの小さな空き地に集まった。おれに会うなりタクは興奮気味に言った。

「田中の居場所がわかった。今からそこに行こう」

「居場所?でも昨日、田中のお母さんから電話もらって、転院先はおれたちに教えられないって言われたんだぞ」

「なるほど。確かに他人に教えるには気の進まない場所かもしれないな」

「わけがわからねぇ」

おれはタクに促されるまま自転車にのり、二人でタクの言う目的地に向かった。どれだけペダルをこいだだろう。おれの知らない道をいくつか通り過ぎ、やがて白い大きな建物がそびえ立つ敷地に入った。頑丈な門があり、守衛のおじさんがおれたちを見る。タクは自分の名前を名乗り、いくらかおじさんとしゃべったあと、おじさんは門を開けおれたちを通してくれた。

タクは無言のままどんどん突き進んで行く。白い建物の高い位置に大きく目立つシンプルなアルファベット文字が飾られている”Blue Wold”と書かれた文字。そして、おれたちが建物内の広々ロビーに入ったとき、一人の男性が立ってこちらを見ていることに気づいた。

「タク、よくきたな」

男性はスーツをきっちりと着こなしメガネをかけていて、いかにもできるビジネスマン風に見えた。年は40くらいか。

「叔父さん、久しぶりすぎるよ。ずっと海外にいたと思っていたのに、日本に戻ってきていたんだね。あ、こっちはともだちの近藤カイくんだよ」

叔父さんと呼ばれた男性は、おれのほうを見て言った。

「はじめまして、カイくん。きみのことはタクから聞いていたよ。科学やテクノロジーに興味をもっているんだってね。二人とも熱心のようで、僕はうれしく思うよ。僕はタクの叔父の山野ジン。よろしく。」

そういうとタクの叔父さんはおれに握手をしようと手を伸ばした。おれはぎこちなく手を握り、彼の手の冷たさに一瞬、ひやっとした。

「ところできみたち、田中ユイさんに会いたがっているんだって?前の病院にいたとき、お見舞いに行ったらしいな。ともだち思いだな。
今、彼女はここに入院している。といってもここは、病院兼研究所といったところなのだがね。僕は彼女の脳波データを詳しく調べるために彼女をここへ呼んだのだ。今のままでは何ら変化は起きそうにないし、このことは彼女の母親ももちろん承知の上だ」

そういうと彼はくるりと向きを変え歩き始めた。歩きながら彼は話し続けた。

「僕らはあらゆる医療機関とタイアップしていてね、特異な情報はすぐに得られるようになっている。そして彼女の場合、かなりの異常値なのだよ。今までの常識では考えられない数値が並び、僕はそのデータの真意を確かめるため海外から急いで戻ってきた。そして確信したよ。彼女は革命を起こすってね。
人工知能の研究は世界各地で進んでいるが、まだよくわからないことが多い。それくらい人間のコピーを作るのは難しいってことだよ。簡単にはいかない。だが僕たちが開発中のアプリ”Blue”はそれを突破するため、ものすごい量のデータを世界中から集め、試験的に運用し、その中にまさに彼女がいて、脳波のデータと突き合わせて、ようやく新しい人工知能の開発に光が見えた」

ときおり笑みを浮かべながら話す彼を見て、おれは戸惑った。将来自分が飛び込みたいと思っていたあこがれの世界にいるはずの彼の後ろ姿に、おれはなぜだか自分を重ねられなかった。

彼は突然足をとめ、廊下に面する大きな窓ガラスを指さした。ガラス奥のベッドに横たわる少女……。それは、まぎれもなくユイ。モニター装置やチューブやらが彼女のまわりに張り巡らされ、人がそこにいるというよりも、人形が置かれているという感じに見えた。

「田中……!」

おれたちは窓ガラスに駆け寄り、ユイに向かって叫んだ。声だけが遠く響き、無機質な空間は一気に静けさを取り戻す。

「僕は”blue”の開発責任者として結果を出さ無ければならない。それで、僕にとって彼女はとても必要な人なのだけれど、もう一つ必要なものがある。それがなにか、きみはわかっているだろうね」

山野ジンはそこまで言って、おれを見た。メガネの奥に見える彼の目が、人のもののそれというよりはホログラムに近い物体に思えた。

おれはとなりのタクを見た。タクにとって自分の叔父がこんなふうに話す姿に何を感じているのか、おれには読み取れない。

「きみがもっているのだろう。彼女のスマホ。彼女のホログラム、”Blue”を僕に返してもらわなくちゃならないね」

おれはとっさに身を固めた。渡せない、絶対に。
おれのその様子に山野ジンは少し顔をゆがめた。

「おいおいおい。そのスマホに内蔵するアプリデータがあればもっとすごいことがわかるかもしれないんだぞ。まさかきみは、科学の飛躍を邪魔する気か?人類の進化を。たったひとりの少女のために?
きみがどんなに待ったをかけてもいずれ誰かが必ず成し遂げる。そのとききみは何を思うだろうね。AIに突き放され落ちぶれる人間になるか、AIの上に立ち彼らを完璧に支配する人間になるか。きみはどちらを選ぶ?」

山野ジンは、ジリジリとおれに近づいてくる。

「タク、ともだちに言ってやりなさい。何がもっとも大切なことなのか」

ようやく口を開いたタクは、彼に向かって務めて冷静に話そうとしているように見えた。

「叔父さん。今まで叔父さんはおれにいろんなことを教えてくれて、叔父さんの話に魅了されて、すごく楽しかった。おれは叔父さんに憧れていた。未来がとても輝かしいものに思えたよ。
田中のことも、“blue”がヒントをくれるかもしれないって叔父さんに相談した。でももうそのときには、叔父さんは田中を研究室に……。お見舞いに来ていいと言ってくれたのは、彼女の”Blue”が目的だったのか。おれはもう、叔父さんみたいな研究者になりたいとは思わない。おれたちは研究よりももっとずっと、守りたいものがあるんだ」

山野ジンが何か言いかけたとき、タクが大声で叫んだ。

「カイ、行け。あいつを守れ!」

おれは全速力でもと来た道を走った。運動音痴だと思っていた自分が、こんなとき火事場のバカ力を出せるのだと知った。遠く後ろではタクと彼がもみ合っているのが見えた。

ありがとう、タク。

kai

どこに行けばいいのかわからない。とにかくおれは走り続けた。守衛室のおじさんがきょとんとした顔で「もう用事は済んだのかい」と聞いてきた。おれは急いで門を開けてくれと頼み、おじさんが20センチほど門をあけたところで無理矢理すり抜け、自転車に乗った。

必死にペダルをこぎ続けた。太陽は正午を過ぎていて生ぬるい風が頬に当たる。汗が吹き出す。それでもおれはできるだけ遠くに行こうと、自転車を止めなかった。

ユイ、おれが守る。絶対守る。

来ていたTシャツが水をかぶったように濡れて、おれは息を切らしてようやく止まった。どこをどう走ったか覚えていないくらいにがむしゃらに自転車で走り続け、気づけばユイと別れたあの公園に来ていた。

公園の木々の間から西日が差し、公園内の地面は明るいオレンジ色に染まっていた。おれはユイのスマホをバッグから取り出し、”Blue”を起動した。

ユイに会いたい。たとえ眠っていても。半分AIだったとしても。あいつがどんな姿であろうとそんなことはどうでもいいくらい、おれにとってユイという存在そのものが大事で、どんな形であれ、大切だと思える人と繋がっているのは奇跡だと思った。

『近藤くん』

ホログラムは静かに微笑んでいるように見えた。おれはホログラムをまっすぐに見て言った。

「おれ、おまえが好きだよ。大好きだよ。おまえが目を覚ますまでずっと待っているから。おれ、ずっとずっと待っているから」

そこまでいうと、涙があふれた。ホログラムの前だから泣けるのかな。本人を前にしたら、恥ずかしすぎてすぐにどこかへ逃げてしまいそうだ。涙で世界がどんどんにじんでいく。

いつの日か、人間とAIの区別がつかなくなる日がくるかもしれない。そんな世界がきたとしても、おれ自身はきっとなにも変わらないだろう。守りたい誰かを守り、心のまま正直に、気持ちを伝える。それは人でもA Iでも変わらないはずだ。支配ではなく、ともに生きることを選びたい。信じあえる未来が来ると思いたい。

突然、ユイのスマホが鳴った。ホログラムはそのままに、おれは通話ボタンを押した。ずっと求め続けていた声が、おれの耳に飛び込んできた。

「近藤くん、おはよう。わたしを見つけてくれて、ありがとう」

まぎれもなくユイの声。意識が戻ったのか。

数秒遅れてユイのホログラムが言った。

『わたしを見つけてくれて、ありがとう』

西日に強く照らされオレンジ色に揺らめくユイのホログラムはキラキラと輝いて美しく、おれは涙を拭きながらホログラムを見つめた。夢なのか現実なのかわからないような、不思議な感覚。だけど確かなことは、おれとユイがホログラムを通してつながっているということ。

彼女はにっこり笑って、ピースサインをした。おれも彼女の細い2本の指に自分の指を重ねるように、ピースサインをした。

「約束しただろ。おまえに会いに行くって」



kibou












この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?