見出し画像

命どぅ宝〜沖縄本土復帰50周年に寄せて②〜

 沖縄の祖国復帰運動にはいくつかの底流があるように思います。まず1つには、民族は一つになるべきという素朴な願いです。2つには、日本国憲法の適用を求める願いです。3つには、反戦平和の願いです。
 この3つの願いが重なり、祖国復帰運動の大きな潮流になっていたと思います。

 1972年(昭和47年)5月15日、待ち望んでいた沖縄の祖国復帰が実現しました。先に述べたように民族が一つになること、日本国憲法の適用の2つは一応実現したのです。

 しかしながら、3つ目の願い、反戦平和は残念ながら踏みにじられてしまいました。復帰後も米軍基地は返還されることなく、今なお大半が残り、集中したままの状態が続いています。

 先の大戦での唯一の地上戦を体験し、多くの同胞を失った県民の反戦の思想は、揺るぎないものです。
 県民は「戦世(イクサユー)」を憎み、「命どぅ宝(ヌチドゥタカラ)」の反戦思想をしっかりと身につけているのです。
 県民のこの思想が新基地を作らせないという辺野古基地建設反対の行動に脈々と受け継がれているのです。

  世界一危険な普天間基地はますます過密化し一刻の猶予も許されません。
新基地建設現場の辺野古では、海底に軟弱地盤が発見され工事完成が危ぶまれています。

 沖縄祖国復帰50周年、基地問題はますます混迷を極めており、故郷沖縄から1日たりとも目が離せない状況が続いています。

 果てしなく続く金網軍事基地ナビの画面は白地図ばかり(短歌)

 爆音に負けじと叩くパーランクー(川柳)

 君知るやナビに映らぬ軍事基地(川柳)

注:命どぅ宝:命こそ宝という意味です。
  パーランクー:エイサーを踊るときに叩く太鼓のことです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?