言葉にしたから、きれいごとも受け止められるようになった
結果を見てしまう自分のクセ。
それって多分、小さな頃から「できたら褒められる」という環境で育ってきたからなのかな、と思う。
でもきっと、そうゆう人って世の中にたくさんいるんじゃないかな。
結果。
できたか、
そうでないか。
その、0か100かの思考でいると、なんだかとても苦しい。
できたときは良い。
嬉しい。
満足感がある。
でも、
できなかったときは?
できなかった自分を責める。
できなかった自分は価値のないものだと感じる。
そんな風に、
知らず知らず自分を責めることばかりして生きてきたんだなぁ。
ここ最近の学びで、そのことに気づかされた。
結果を見る考え方は、決して悪いことばかりではない。
結果を求めて努力できる。
できなかったことを反省し改善し、次へとステップを踏むことができる。
でもね。
できなかった自分に価値がないわけではない。
目標としていたところに到達しなかったとしても、
トライしたことで、その目標地点に一歩だけだとしても近づいているんだ。
その、進んでいる今に価値があるんだ。
これって。
今まで散々聞いてきたことだよな。
そんな風に思う。
正直。
きれいごとに聞こえてた。
そんなの分かってる。
でも、できない。
だから、悩んでるのに。
今、この言葉を受け入れていきたいと思えているのは、
自分のことをみつめてきたから。
なんで私は結果を見てしまうのか。
どんな価値観があって、
どんな望みがあるのか。
そうやって、自分をみつめることで、
自分を大切にできていたから。
だから今、これまで受け止められなかった考え方を受け入れる準備ができたんだと思う。
自分の心の声を聴いてあげること。
それは、言葉にすること。
文字でもいい。
モヤモヤしてよく分からない心の中を、カタチにしてあげること。
そうすると、
もっと自分のことを大事にしてよー
という自分の声が聴こえたんだ。
ほんとに。
だから、
言葉ってすごいな、って感じている。
言葉にできて良かったと思う。
ここにこうして、そんな気持ちを残しておきます。
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