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インタビュー撮影と第四の壁

インタビュー撮影で迷うのはインタビュイーの目線をどこに置くかということです。

インタビュイー(インタビューされている人)の目線は、作品やインタビューの内容と関係があるのでしょうか。それとも、形式的な目線の基準というものがあるのでしょうか。

フィクションである映画やドラマには、いくつかの「目線のルール」があります。そのひとつが第四の壁をめぐるものですが、そういったルールはインタビュー撮影にも当てはまるのでしょうか。

インタビュー撮影の目線

インタビュー撮影での目線は、大きくふたつに分けることができます。

  • カメラ目線

  • 非カメラ目線

「カメラ目線」というのは、インタビュイーがカメラのレンズ(またはその付近)を見ている状態です。観客・視聴者からすると目線が自分の方に向いて見えます。

「非カメラ目線」というのは、インタビュイーがカメラではなくインタビュアーを見ている状態です。観客・視聴者からすると、目線は自分の方ではなく、画面の上手や下手に向いて見えます。

このふたつの目線はどう使い分けたらいいのでしょうか

それを考えるには、フィクション作品における「第四の壁」という概念がヒントになると思います。

カメラ目線と第四の壁

映画やドラマの撮影では役者は演技中にカメラのレンズを見てはいけないという不文律があります。「カメラ目線はNG」というわけです。なぜでしょうか。

その理由は、それが「カメラの介在」を意識させ、作品世界への没入を妨げるからです。鑑賞する人の「目を醒ましてしまう」といってもいいでしょう。

これは役者のカメラ目線が第四の壁を破ってしまうからと言い換えることもできます。第四の壁とは「画面の向こうで展開するフィクションの世界と観客や視聴者がいる現実の世界を隔てる想像上の壁」のことです。

もちろん、この第四の壁をあえて破る演出は古今東西たくさん例があります。しかし、フィクション作品では「カメラ目線はご法度」が基本的なルールです。

では、ノンフィクション作品にもこのルールは当てはまるのでしょうか

そこから考えれば、「インタビュー撮影の目線問題」の答えが見えてくるような気がします。なぜなら、インタビューはドキュメンタリーなどノンフィクション作品の最も基本的な手法だからです。

ノンフィクションでの第四の壁

ドキュメンタリーの撮影現場に「カメラのレンズを見てはいけない」というルールはありません。しかし、だからといってドキュメンタリーに第四の壁がないかというと、そうではないと思います。

私たちはドキュメンタリーが「現実そのもの」ではなく、あくまで製作者の目を通して切り取られたものだと知っています。あたりまえですが、画面の向こう側とこちら側にキッチリ線を引いています。

ですから、ドキュメンタリーにも第四の壁は存在するのです。でもその壁は、映画やドラマのそれとは質的に違いがあります

フィクション作品を見るとき、私たちは画面の向こうが「別の世界」であるという前提を予め受け入れます。第四の壁はこの「お約束」を、ちょっとカッコよく言い換えたものと言ってもいいでしょう。役者のカメラ目線はそれをワザワザ意識させる反則行為というわけです。

一方、ドキュメンタリーなどのノンフィクション作品を見るとき、私たちは画面の向こうが自分のいる場所と地続きであることを常に意識しています。ですから、登場人物のカメラ目線も反則ではないのです。

しかし、壁があるならばカメラ目線にはやはり意味が生じるはずです。では、ノンフィクション作品でのカメラ目線にはどんな効果があるのでしょうか。

YouTuberのカメラ目線

ノンフィクション作品の一種であるYouTuber動画で考えてみます。

多くの顔出しYouTuberはカメラ目線で自撮りします。当たり前の撮り方に思えますが、やろうと思えば非カメラ目線でもやれるわけですから、カメラ目線を意識的に選んでいるともいえます。

YouTuberのカメラ目線は視聴者に「直接」語りかけたいという思いのあらわれだと思います。視聴者もその目線によって、自分(ひとり)に語りかけられているような気分にります。

これは言い方をかえると、カメラ目線にはカメラの介在を忘れさせる効果があるということです。もちろん本当に忘れるわけではなく、視聴者に最もカメラを意識させない目線のあり方がカメラ目線だという意味です。

一方、超有名な某YouTuberは、PCモニターと90度ほど離れた場所にカメラを置いています。視聴者のコメントとカメラを交互に見ながら話すという配信スタイルですが、あえて撮影的に面倒な配置にしているのは目線の演出のためではないかと思います。

カメラ目線がカメラの存在を忘れさせるなら、非カメラ目線は逆に、カメラの存在を意識させます。前者が視聴者に当事者であるという自己イメージを抱かせるとしたら、後者は傍観者であるという自己イメージを抱かせます。

つまり、非カメラ目線は、自撮りであっても客観的な雰囲気を盛ることができるということです

時事問題に「論理的に」物申すことで人気を得ているYouTuberにとって、「客観的である」というイメージづくりは非常に重要です。その自己演出のためには、少々撮影が面倒でも「自分を非カメラ目線で撮る」必要があったのではないでしょうか。

目線をどう使い分けるか

こうやって考えると、なぜカメラ目線が第四の壁を破るのか、その理由がよりはっきりする気がします。フィクション作品での第四の壁とは、鑑賞する人が傍観者でいられるように守っている壁なのです。傍観者は見返された瞬間に当事者になってしまいます。それはフィクション世界の破綻を意味します。

ノンフィクション作品においても、カメラ目線/非カメラ目線が鑑賞する人の当事者/傍観者という自己イメージを左右すると考れば、撮影の際の判断基準になるのではないでしょうか。

インタビュー撮影では、インタビュイーと視聴者のあいだにはカメラだけではなくインタビュアーも介在します。ですから、インタビュイーの目線はまず、視聴者から見たインタビュアーの存在感に影響すると考えられます。

インタビュイーをカメラ目線で撮影した場合、視聴者は語りかけられる当事者であるという自己イメージを抱きます。インタビュアーの存在感は希薄となり、インタビュイーの言葉にダイレクトに反応しやすくなります。

インタビュイーを非カメラ目線で撮影した場合、視聴者はその視線の先にインタビュアーの存在を意識し、ふたりの人物の対話をカメラを介して見ている傍観者であるという自己イメージを抱きます。したがって、インタビュイーの言葉を聞いた視聴者はまず、インタビュアーがそれにどう反応するかを想像しようとします。

あくまで私個人の感覚と経験に基づく分析ですが、いかがでしょうか。

実際はこれほどわかりやすく分類はできないないと思いますが、自分なりの公式を持つことは、撮影や演出をおこなう者にとってとても大切なことだと思っています。


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