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~第157回 ~「武道の話① 嘉納治五郎」

戦前の日本で建造され現存する唯一の貨客船「日本郵船 氷川丸(以下氷川丸)」は、武蔵一宮氷川神社から名付けられた船です。
現在は横浜・山下公園の近くにあるこの船の神棚には、氷川神社の御祭神が祀られ、船内装飾には神社の神紋である「八雲」が用いられています。 氷川丸は米国・シアトルと日本をつなぐ船として太平洋を146回横断し、約1万人が乗船したそうです。
著名な方々も多数乗船しており、その中の一人に講道館柔道の創始者である嘉納治五郎がおります。
嘉納は1938(昭和13)年3月、東京五輪の開催を目指しエジプトで開かれたICO総会(オリンピック会議)に出席、4月22日にバンクーバーから氷川丸に乗船しましたが、その帰国途上の5月4日(横浜到着の2日前)、氷川丸の船内で肺炎により亡くなりました。
その嘉納の最後の言葉は「オリンピックはどうなった。」だったと伝わっています。 氷川丸は加納の最後の言葉と、オリンピックの夢を乗せて帰国したのです。
想いと夢は受け継がれ、日本は戦後から今日に至るまで東京五輪が二度行われました。 二度目となった「東京2020オリンピック競技大会」(2021年開催)では、そんな嘉納が関わった競技が追加種目として正式に選ばれています。
空手です。
嘉納といえば講道館柔道では?と疑問を持つ方もいると思いますが、実は空手にも関わりがあります。 大正5(1916)年、船越義珍(松涛館流の創設者)が、京都・武徳殿で国内最初の公開演武を行なったのを機に、慶応や早稲田などの大学や組織でも空手が普及し、その認知が広がります。そして大正11(1922)年、嘉納の要請で文部省(現在の文部科学省)主催の第一回体育展覧会で「琉球偵手術」として紹介され、講道館の門下生にも空手の指導が行われるなどの契機から日本国内で空手が盛んになっていったのです。 唐手から空手へ。そして東京五輪へ。その歴史の中に加納治五郎も関わっており、その加納が最後まであきらめなかった東京五輪の夢は多くの人に受け継がれ…そうやって様々の事象が生まれていく光景を、氷川丸も見守ってきたのです。

〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕

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