優しいんだけど優しくない人間たち
「優しい」。これってなんだかすごく難しくないですか?
自分が「優しい」と思ってやったことが、ある人にとっては「迷惑」。
つまり、「おせっかい」だったということ。
また、自分が「優しい」つもりでも、うまく「優しい」が表現できていないことが多々ある。
「優しい」人が好きっていう女性にモテない人は、この部類に属しているのではないだろうか???
今、ボクはまだテレビ業界にいて、テレビ番組だとか音声チャンネルだとか、ユーチューブだとかをひたすら作っている。
そのすべてに共通する土台となるのは、「リサーチ」。
もちろん、今の世の中は便利で、インターネットというものを介せば、 大体のものは見つけられる。
しかし、本当に面白いもの、興味深いもの、熱のあるものは、対「人」を 介さなければ絶対に見つからないものなのです。
だからボクは、なるべく各々の識者に直接会い、話を伺うようにしている。
ボクは大体素人が出てくれる番組を多くやっているので、 時には出演依頼まで、直接することもある。
しかし、相手に対する”言葉遣い”や”口調”、”声のトーン”などで 相手を不快にさせてしまう現場を多く見る。
まさに今日、素人の方に取材を頼もうとしていたDがいて、その話し方に、生理的とも感覚的ともとれる嫌悪感に苛まれた。
言葉ではにわかに説明しがたいのだが、「なんかいや」なのだ。
おそらく、「目線」の問題なのだろうと思う。
出演してくれる素人の方に、上からとか斜めの目線でつくる番組だったり、そういう趣旨の企画もあるが、それはありえないとボクは思う。
テレビの人は…っていうか、人間みんな、他社に対してさげすんだり、 ナメたりしてはいけない。
人はなぜだか他人と比べたり、優劣をつけて、その差を楽しんだり、 勝手に悩んだりしている。
そのうえで、奢り高ぶってる人は「嫌悪感」でしかない。
ボクは海外の貧困層やスラム街に住む人、ストリートチルドレン… 日本でもホームレスの方々にたくさん会って話を聞いてきた。
厳しい状況に置かれている人たちだけど、彼らへのリスペクトや共感を 忘れてはいけない。
あんな風に暮らしていて可哀想…って思ってる人こそがボクは 「可哀想だな」って思う。
実は大変な環境にいる人ほど、夢持ってキラキラしてんのよ。
だから文字面では「大変な環境」って書いてしまったけど、本人らは 大変とも思ってない。だからボクも思わないようにしてる。
基本どんな人でもフラットに対等に、上から見たりせず、 逆にめちゃくちゃ下からもいかず、フラットに。
そうすると、人間関係あまり悩まずいけるんじゃないかな? 本当に悩まずいけるのになぁ。
と、いってもボクもまだ完全に「優しい」人間になれたわけじゃない。
だからこそ、まずはリスペクトの気持ちを持って、たくさん行動に移すこと。いまはそればっかり考えています。
そんな感じ。
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