涙という何か。


この瞬間はあの、受験の時を思い出させた。滑り止めに落ち、自分の行く先が見えなくなったとき。

第一志望だった会社とはご縁をいただけなかったようだ。

まるで何もなかったかのように、LINEの返信をした。
「そかそか了解。悔しいけど次だね。」
って。

ここでへこたれている時間はない。そんな時間があったら次につながる行動をしないといけない。
ちゃっちゃと手も足も動いて、新たな会社を探してはメンターに淡々と連絡をした。
そうまるで何もなかったように。

連絡が終わってふと、目から何かがこぼれ落ちた。冷たくも暖かくもない何か。でもその状態を客観視することもせず、感情的になることもせず、ただただやることだけを続ける。それでも自分の目からは何かがこぼれ落ち、それが涙であることに、流れている、その粒を拭ってやっと気づく。

自分がもつ感情のタンクがあふれると、人はその溢れた感情を、涙というものにしてこぼす。
そのタンクの容量は決まっていて、そこに嘘はない。辛い気持ちが溢れたときも同じみたいで涙がでる。どんなに強がっていても、平生を保っていても、繕えない感情があって。

涙という感情表現によって、自分の今の感情に気付く。

自分が今どんな状態であるかということを自分では理解しようとしない。気づこうとしないし、気づきたくない。
きつくてしんどくて、将来に対する漠然とした不安がずっと、ずっとあって。ちょっと期待をして、第一志望の選考結果を待っていた自分が馬鹿みたいに思える。あぁ自分なんて自分なんて。でも、自分は。二人の自分が葛藤している。そんな自分がいるということを認めたくない。私は就活で病んだりしないし、泣きたくもない。同情も心配もされたくない。元気に就活うまくいかんけど、それもそれって笑い飛ばしていたい。

それでも、ただただ、目からこぼれ落ちる何かがあるのは事実で、その何かが何かであることを自分で問い直すこともせずひたすらに、突き進む。

この涙という何かが、自分を伸ばすその糧になる何かであることを、信じて、ただただ私は私の道をいく。

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