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伝える、と伝わるは違うけれど、伝えた後どう受け止められるかを考えることをあきらめない

昨日は英検の一次試験の結果がオンライン公開になる日。
1号2号それぞれ違う級を受験したので、結果公開時間が異なり、それぞれの時間にドキドキしながらアクセスした。

きっと数年後、受験の合否もこうやって(もっと緊張して手が震えながら)確認するのだな、と思いながら。

去年の2月はこんな記事を書いていた。

あれから1年。夏と秋にも受験をし、それぞれまた成長して受験した2020年度最後の英検は、受験前からずっと伝えていたことがあった。

「今回は、もしかしたら合格しないかもしれない。でも、母は合格不合格だけであなたたちを判断しない。前回から1点でもスコアが上がっていたら褒めるし、もし下がっていたらどこが今回はできなかったのかを一緒に振り返ってまた次につなげていく大切な情報になるから試験を受けるんだよ」
試験当日の付き添いでも「1点でも上がればいい!」と伝え続けた。

他の試験も含めるともう何回めかな、という上の子は、慣れたもので、試験が終わると手応えやここが難しかったという情報を自分なりに振り返ってアウトプットできるようになった。今回だと、ライティングがこう書けたと思う。問題文にこのワードがあったから。でも、長文読解のここは難しかったな、という具合に。下の子は、自己肯定感の塊、マイペースの権化なので、今のところ試験後に「絶対合格した!」と必ず言う。しかし週明け登園し、先生から「どうだった?」と確認されるとモジモジして「落ちたかも・・」としょんぼりする。謎キャラである。

そして昨日は英検の結果公開だけでなく、書道の書初展の賞状も届いた。
ゆえに、母は子どもたちをいつも以上に褒め、認めるとても楽しい日になった。

書初展も、前回の七夕展からの進歩・成長が見られたし、英検は1点どころか二人とも100点以上スコアが上がった。スプラトゥーン2大好きな上の子は「ランクがこんなに上がったー!」と「G●+▲」の部分も確認して大喜びしていた。
きっと去年の私のフォローの仕方だったら、それまでの努力にはフォーカスしたけれど、その結果の成長を明示していなかったから、ここまでの子どもたちの前向きな姿勢にはつながらなかったかもしれない。子どもも1歳分成長しているから、その成長による部分もあるのだろうけれど。

ということを振り返りながら、自らが発した言葉、企業が、広告が、メディアが発したメッセージが相手や受け手に届いた後の受け止められ方をデザインすることの重要性を考えていた。

それはこの記事の最後に書いて、まだ詳細を書き綴っていない「相手目線でメッセージを作る」「ただこちらが伝えたいことを伝えればいいわけではない」にも通じる部分であるのだけれども。

あなたが伝えたいメッセージは何で、今回、このタイミング(周囲を取り巻く状況や社会情勢、他社商品やサービスの状況、潜在顧客や既存のお客様が抱えている課題)で発するメッセージは、受け手にどう受け止められるのか。

1回のメッセージ発信でいいのか、それとも段階的に小出しにしたり伏線を引いたりした上でどーんと花火を打ち上げたほうが伝わりやすい、自分ごとと思ってもらいやすいのか。

数多抱えるあなた側の情報の中で、今回はどこに絞り込んでいくとよいのか。全部出しでは情報過多で逆に何の印象にも残らないことはそろそろみんな認識して、霞ヶ関や永田町の紙の束や文字だらけのパワポだってやめたほうがいい。メッセージはシャープに、情報は絞って。

そして「この前お知らせ流したじゃん」ではなくて、情報は全員が見ていないという前提に立って、あきらめずに(めげずに、ともいう・・・)、何度も発信する。一度発信して、アクションを起こして欲しい人が全員動いてくれることなんて、ほぼないから。・・・ないからこそ、何度でも伝え方を工夫してA/Bテストをやればいいし、その結果を次の発信に生かせばいい。

現実に話を戻すと。昨日は「努力賞」と称して、二人にamiiboカードを2パックずつ渡した。ほぼ内容かぶらず(母の手持ちの「まめきち」と上の子の「まめきち」が重なっただけ・・)、手持ちのカードが24枚になった。

はてさて、今夜のあつもりタイムが待ち遠しい。

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