いちふじ

発達障害の自分の説明書を作っています。 その他にも気になったトピックを書くかもね。

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最近の記事

感覚過敏を防ぐとみんなに見えてしまう

サングラスとイヤマフを日常でかけるようになって1年くらいたちます。光と音の過敏をケアするためなのですが、 それはみなさんに「イヤマフとサングラスをつけた状態の人」として見せるのとセットなんです。 体の感覚への対処なんですけどね。 今はみんなコロナでマスクをするから、顔が半分隠れていることが普通になっていますが、私にとっては=顔全体の情報がゼロになることです。クレー射撃選手みたいな見た目で街を歩くわけです。 現状サングラスをすることが抜きにできないので、それによって生じ

    • 何か書こう書こうと言ってる間に年が明けてしまい、未だにわからず新年のご挨拶を致します。 通い始めた就労移行に継続して通所することが目標です。 自分の説明書も徐々に書いていけたらなあ。 本年もどうぞよろしくお願いします。

      • かまってもらう動きができない

        人から「疲れていると口で言うけどあまりそのように見えない」とか、「もっと甘えた方がいい」とよく言われる。 特性上、ちょうどよくできないのが悩みなので、周りから見ても心配してもらえないとなるとより深刻だと思っていた。 これだけ疲れ果てているのに、疲れているように見えないのは自分でもおかしいと思うが、鏡を見ても確かに大丈夫そうに見える。 ダメなのに、なぜダメそうに見えないんだろうとつくづく思っていた。 ただ、世の中には甘え上手な人、心配してもらえる人がいる。 しばしばそ

        • 【私のハッタツ説明書】大丈夫そうに見えるのは、つらそうにする余裕がないだけです

          「つらいと言っているとき、むしろ大丈夫そうに見える」 私に携わってくださる支援者の言葉である。 感情表現が必ずしも苦手だと思っていないが 割と雰囲気に合わせて感情表出して、演じている場面も多い。 そのため、リアルにしんどい時に演じる余裕がなくなってしまい 真顔で、ちょっと笑いすらして とてもつらい状況を必死に説明していたりする。 ただ、本当に大丈夫な時と違い、言葉数が多くなったりはするようだ。 以前「ASDの人はつねに軽く解離している」という表現を読んだことが

        感覚過敏を防ぐとみんなに見えてしまう

        • 何か書こう書こうと言ってる間に年が明けてしまい、未だにわからず新年のご挨拶を致します。 通い始めた就労移行に継続して通所することが目標です。 自分の説明書も徐々に書いていけたらなあ。 本年もどうぞよろしくお願いします。

        • かまってもらう動きができない

        • 【私のハッタツ説明書】大丈夫そうに見えるのは、つらそうにする余裕がないだけです

          【私のハッタツ説明書】書類をスキャンして捨てる

          いらん書類であふれてるけど 捨てていいものか迷うので捨てられない 必要だったらどうしよう なかなか処分できない自分がいました そんな時に写真を撮って書類をスキャンできるiPhoneアプリを発見 Camscannerというアプリです 判断をしないでスキャンして捨てられるのがいい 紙で存在しないといけないものはあまりないし 管理の手間や検索不能な問題が スマホで見られるから解決できる 判断できるようになるのではなく そもそも判断していない

          【私のハッタツ説明書】書類をスキャンして捨てる

          【私のハッタツ説明書】聴覚過敏の歌好き~カラオケボックス対処法~

          私は歌うのが大好きで、カラオケボックスにいくこともある。しかし カラオケボックス自体は大の苦手である。 音が多すぎる。 そのため今では耳栓とイヤマフをしながら歌っている。 まあ、音が聞こえなきゃならんのに、耳ふさぐって普通じゃないんだけど。 それでも必要なオケの音はちゃんと聞こえる。 それだけ対処するのは、別の部屋から別の曲が流れてくるのを拾ってしまうからだ。 カクテルパーティ効果(音を聞きたいものに絞って聞き取る機能)が弱いため疲れるのだ。 また、エコーは切

          【私のハッタツ説明書】聴覚過敏の歌好き~カラオケボックス対処法~

          【私のハッタツ説明書】感覚過敏にどの程度対処するか

          発達障害と二次障害のうつがあるので、定期的な体調不良をある程度見込んでいる。 ただ、見通しをつけにくい特性も手伝って、どの程度の体調不良がどれくらい続いて、生活にどの程度影響するかがわかりにくい。 またこれは、特性への対処・擬態をどの程度までするかという加減のしにくさにもつながっている。 〈感覚過敏軽減のサングラスをどの程度つかうか〉 例えばサングラスは、日差しの強い屋外に限らず、室内での日常生活やパソコン作業時にも多用する。 しかしどんな場面でも使えるわけではない

          【私のハッタツ説明書】感覚過敏にどの程度対処するか

          障害者手帳は経済的負担軽減制度

          障害者手帳を取得するときの一番の動機は、障害者雇用で働こうと思ったことだ。 その時はバイトをしていた時だった。精神不調で服薬をしていたものの、現在では診断も受けている発達障害的な困りもあったので、このままゴリゴリやっても一般枠での就労がうまくいく気がしなかったのだ。 その時点で申請して手帳が交付されたということは、それ以前から、たとえ交付されてなくても障害者であったとも言える。 実際に交付されて制度上の障害者になったわけだが。 ほかでもよく聞く話だが、手帳の交付を受け

          障害者手帳は経済的負担軽減制度

          はじめて買ったCD

          自分で明確に買った記憶があるのは、中学3年生のときにお年玉で買ったアメリカのバックストリートボーイズのアルバム「Black&Blue」である。 正月にテレビで流れていたJALのCMで「shape of my heart」がタイアップ曲で、強烈にビビッと来てしまい、もらったお金を握りしめて、父の実家近くのCDショップに走ったのだ。 最近になって、今でも活動してることにさらに驚いた。 #はじめて買ったCD

          はじめて買ったCD

          【私のハッタツ説明書】サングラスは偏光グラス

          ここ一年くらい偏光サングラスをかけている。 光をただ弱めるのではなく、反射のばらつきを抑えてクリアに見えるようにするものだ。 釣りのときにキラキラした水面を見やすくしたり、スキーの時に雪面を見やすくしたりする。 これをなぜ日常でつかうか? あくまで自分にとっての仮説だが 一種の感覚過敏により、目に入ってくるものの変化や刺激に反応しやすいため、光の反射の濃淡が見えにくさにつながっているのではないか、ということである。 当然視覚情報として見えてはいる。 ただ、反射具

          【私のハッタツ説明書】サングラスは偏光グラス

          発達障害を題材にミニエピソード的な小説を書き始めたのだが、設定をダイバース国の王子にしてしまい、ナチュラルサポートが豊富すぎて間違えたと思い始めた。サポートあれば困らないの話にしてもいいのか?

          発達障害を題材にミニエピソード的な小説を書き始めたのだが、設定をダイバース国の王子にしてしまい、ナチュラルサポートが豊富すぎて間違えたと思い始めた。サポートあれば困らないの話にしてもいいのか?

          過集中王子の食卓【毎日パンとオムレツ】

          王子は偏食家である。 毎日の食事は決まっている。 王子の好みに合わせて小麦粉を配合したパンと 滑らかに成形して焼いたオムレツだ。 最初に雇ったコックが国でも有数の腕利きで、様々な料理を作った。 しかし、王子は自分の好きな味のものだけを食べたいと パンとオムレツだけを要求した。 そのコックはパンとオムレツだけ作り続けることに嫌気がさし 暇を請うてきたのだった。 次のコック選びは難航した。 その後、あまたのコックが城に入っては、やめていく。 パンとオムレツだ

          過集中王子の食卓【毎日パンとオムレツ】

          過集中王子の日常【王子は呼んでも気づかない】

          「王子、少し休まれてはいかがですか」 王子は一点を見つめている。 ダイバース国の次期国王となるべく、日々帝王学の研鑽に余念がない。 今日は朝からダイバース国の国勢調査に基づく人口増減のグラフとにらめっこしている。 朝食が干からびかけてそばに置かれている。 「王子!王子!」 使いの者が何度呼んでも気づく気配がない。 「しかたない、使いたくない手だが....」 王子は触れられることを嫌がるため、たたいて気づかせることができない。 そのため没頭して返事がどうしても

          過集中王子の日常【王子は呼んでも気づかない】

          明日怒られればいい

          この切迫とあきらめが一秒ごとに入り混じるような戦いを繰り広げる時間、それが8月31日の夜だった。 7月末に抱いた計画的な夏休みはこの夜に至って無残に砕け散る。 といってもあらかじめこうなることぐらい、わかっていたわけで。 休むための夏休みだと、近所の人が言っていたのを、何かよすがにしたい気分だった。 ひたすら答えを見ながらワークの空欄を埋める作業をして、申し訳ばかりの自由研究をする。 自由はもう過去のものなわけで、自業自得ではあるが時間の呪縛から逃げるように鉛筆の運

          明日怒られればいい

          余白の言葉

          先日、自分が中学生の時のに残した読書感想文を読む機会があった。 といっても、原稿用紙につづられた定型文ではなく、文庫本の余白に、鉛筆で書いた自分のメモである。 ヘルマン・ヘッセ著「車輪の下に」(集英社文庫) 地元の古本屋で見つけて買った白い文庫本は20年たった今も、移り住んだ今の部屋の本棚にある。 苦悩の秀才少年の主人公ハンスに対して、叱責とも励ましともつかないような言葉を、中学生の自分が書き連ねていた。 ギムナジウムを退学することになり、その後穏やかな生活のうちに

          余白の言葉

          「意識と本質」読書ノート

          10年ぶりくらいに井筒俊彦「意識と本質」を読んでいる。 井筒は哲学的方法としての意識と言語に着目しているが、そもそも方法としてここにとどまるのはなぜなのか。 哲学が言語としての記述を方法として用いるところまではわかるのだが、それがなぜ舌で舐めるとか手で叩くとか匂いを嗅ぐではないのか。 言語的分節-無分節の問題は、あらかじめその方法を言語に固定して解決しようとする。 「本質」と呼ばれるものの意義や位置を考えれば、言語による定義や非定義の内側に留まり続ける以外にない状況が

          「意識と本質」読書ノート