【私のハッタツ説明書】大丈夫そうに見えるのは、つらそうにする余裕がないだけです
「つらいと言っているとき、むしろ大丈夫そうに見える」
私に携わってくださる支援者の言葉である。
感情表現が必ずしも苦手だと思っていないが
割と雰囲気に合わせて感情表出して、演じている場面も多い。
そのため、リアルにしんどい時に演じる余裕がなくなってしまい
真顔で、ちょっと笑いすらして
とてもつらい状況を必死に説明していたりする。
ただ、本当に大丈夫な時と違い、言葉数が多くなったりはするようだ。
以前「ASDの人はつねに軽く解離している」という表現を読んだことがある。
私自身も、辛いのにもかかわらずいまいち実感がないときがあったり
見た目と感情が違っていたりするのは、軽く解離しているからなのではと踏んでいる。
つらそうに見えてないんだ、と気づいたときは結構衝撃だったなあ
なので今は近しい人に
「大丈夫そうに見えてもそうとは限らない」と伝えておくとか
「100%のうち、つらさは何%か」を数字で表すなどして
大丈夫そうだから、と見落とされないような工夫をしているが
うまくいくかは半々である。
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