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22卒の就活記録。

今年の4月の終わり。内定を貰った。約1年2ヶ月の就職活動が終わった瞬間だった。

私は22卒であり、同期の人たちよりも1ヶ月遅れての入社となる。
私自身こんなに就活が長引くと思わなかったし、周りと比べて焦って辛かった。

でもこの1年と2ヶ月は自分と向き合うことができた大切な時間にもなった。
自分が忘れないためにもここまでの就活を振り返りたい。


1.就活初期(2月〜8月)


私は3年生の時から舞台関係の仕事や出版社といったメディア関係の仕事に就きたいと思っていた。
2.5次元の舞台を見に行ったときクオリティの高さや迫力に圧倒されて私もここに関わりたい!と強く感じたからだ。また、もともと文章を書くことが好きだったので何か生かせないかと考えた結果であった。
メディア関係の会社のみが登録するサイトの企業説明会に参加したり、自分で舞台関係の会社を調べて説明会に参加していた。
自分がやりたいことなのでどの企業の話を聞いていてもワクワクしたし、絶対ここに行きたい!と思っていた。
しかし結果は惨敗。書類審査は1社も通過しなかった。
大学の授業やバイトでその仕事に少しでも関わったことはなく、有名大卒でもない。この業界に新卒で入るには自分の手持ちでは通用しないことを痛感した。

その一方で自分の興味があること以外だと県内で働きたかったので、マイナビやリクナビの就職説明会にも行きまくっていた。
しかし当時の私は舞台業界とメディア業界以外には全く興味が持てず、実質話を聞きに行くだけ、といった状態であった。

今行っている説明会だと気になる企業がないと母に相談すると、ハローワークに行ったらどうかと言われたので早速行ってみた。

ハロワに登録すると、より県内の中小企業の情報が得られやすくなり、県主催の企業説明会があることも知った。
また、学校のキャリア支援課以外にも相談できる場所が出来たのも大きかった。

7月頃になってから、自宅から通いやすく私の興味の範囲内にも入る企業を見つけた。会社見学にも行き、担当の方の雰囲気も良かったので受けることにした。
書類審査を通過し一次面接に進んだ。とても緊張したが、面接官の方が話しやすい雰囲気を作ってくれてこちらの話をしっかりと聞いてくれた。
自分の言いたいことは言えたし、面接官の反応も良かったのでこれはいけたんじゃないか!?と思いながら帰宅した。

しかし1週間後。お祈りメールが届いた。ハロワの人の話によるともっと良い人が見つかったらしい。その日は丸一日落ち込んだ。

夏頃になると就活が終わる人がかなり増えてくる。秋も就活続行だと思うと気が重くなった。

こうして就活初期は自分の軸が決まらずふらふらしたまま終わってしまったのであった。


2.就活中期(9月〜12月)

秋になり卒論にも集中しなくてはいけない時期。さらに気分が重かった。

ここからは県内の中小企業をとにかく受けていた。中小企業を受けていて感じたのは連絡のやり取りの大変さだ。
ある程度の大きさの企業だと人事課があり、そこが一括で行うためスムーズに進むが、私が受けた中小企業は営業と採用担当を一緒にやっている人ばかりだった。
そのため会社に電話をしても99%の確率でおらず、夕方まで電話を待たなくてはいけなかったり、こちらからかけ直さないといけなくて1日スマホを気にしないといけなかった。電話が苦手な私にとってかなり辛かった。
また、結果通知の来るタイミングも会社によってまちまちで3週間くらいかかるところもあった。

また、この期間が一番面接をしたと思う。不動産会社やガス会社、本屋などジャンルもばらばらであちこち受けた。適正や必要知識がなく落ちたところもあったが、やはり入りたくて応募した訳ではないというのを面接官に見抜かれていた気がする。

思い返すと履歴書の志望動機も全く浮かばず、どうにか絞り出して書いたような見苦しいものばかりだった。適当に志望動機を書けてしまう人もいるかもしれないが、私にはできなかった。

でもこの時にたくさん履歴書を書き、面接をしたのは良い練習になった。電話も嫌だったけど、ずっとテンプレを見ながらでないと上手く話せなかったのに、見なくても自然に言葉が出るようになった。

結局どこの会社にも受からなかったけど、この期間は私に必要だったのだと後から振り返ると感じる。


そしてこの時期になってから、私は高校3年生からのパニック障害を母に打ち明けた。就活していてもパニック障害の症状が出たらどうしよう…と考えてしまい、私は就職して大丈夫なのかな?という気持ちがずっとあったのだ。そしてこれは自信のなさにつながり、面接で堂々とできないことの原因になっていた。これを消さないことには内定は出ないと考えた。

精神科に通うことになり、就活は一旦ストップすると決めた。
順番としてはパニック障害に対して先に向き合わないといけなかったのに、大学生活がなんとかなっていたから後回しにしてしまっていた。もっと早く気づいていれば、と思ったけどここまで就活をしないと気づけなかったのだろう。それにただでさえ内定が出ず焦っている状態で就活を止めるというのはとても難しかった。

また、両親からの「絶対に今年度中に内定が出ないと駄目なんてことはない。バイトはしているんだし、無理しなくていいんだよ。」という言葉にもとても救われた。絶対に今年度中に就活を終わらせないと!と強く思い込み、自分の首を絞めていたのだ。
11月から精神科に通い始め、そのまま卒論制作時期に入ったため約2ヶ月程就活を止めた。就活よりも卒論を完成させて卒業をちゃんとすることを最優先とした。


3.就活後期(1月〜4月)

年が明け卒論発表会も終わり、春休みになった。この時点で卒業は確定となったので就活を再開した。

今まではやりたかった職種への未練や、パニック障害への不安など感情がゴチャゴチャしていたが、この時期から憑き物がストンと取れたように自分の現状とマッチする職種を応募することに躊躇が無くなった。

卒業が近づいているということもあったが、自分の中でやれることは全部やったという気持ちになれたからだと思う。また、パニック障害に対してきちんと治療を行っているという安心感も大きかった。

そんな中2月になんと近場の出版社の求人が見つかった。すぐに書類を送り、無事書類審査を通過、1次面接を受けることになった。

しかし、ここで大きな問題が起きた。
両親がコロナに感染してしまったのだ。私は濃厚接触者となり、自宅待機になってしまった。1次面接の2日前だった。
会社には家庭内の事情の説明と面接を別日にできないか、といった内容のメールを送り、返信を待った。
しかし、結果として書類審査落ちになった。1次面接の段階で、自宅待機期間が終了するまでは待てなかったのだろう。

ご縁が無いとはまさにこのことかな…と思い少し悲しかったけど、気持ちはすぐに切り替えられた。
正直それよりも両親が動けない状態で、コロナに気をつけつつ姉と家庭を回す事の方が大変で、それどころではなかったというのもあるかもしれない。


2月の終わりに近づくと家庭でのコロナの騒ぎは落ち着き、そのまま卒業式を迎えた。
周りから聞こえてくる4月からの進路の話に少し悲しさを感じた。
でもここまでくるともう開き直り、自分のペースでやろう!と思った。なんなら他の人より春休みちょっと長いじゃん!!とか思っていた笑


4月。自宅から通える範囲内で良い条件の会社を見つけた。書類審査は無く、いきなり1次面接となった。

このときは今までの面接とは違っていた。まず、面接を何回もして落ちるを繰り返していたのであまり緊張していなかった。志望動機だけ暗記してそれ以外はその場で考えればいいやとリラックスして臨めた。

また、会場である本社に早く着いてしまったので、周りの道を少しだけ歩いてみた。
ああ、なんだか落ち着いて良い場所だなと感じた。お洒落なお店やごはん屋もあちこちにあり、気分転換しながら仕事ができるかもと思った。
このように感じたのは今まで就活をしてきて初めてだった。

面接も面接官と共通する点があって話が盛り上がったり、今までで1番「私自身」を見てくれた。
その場で2次面接に進むことが決まり、その週の内に受けられた。
2次面接も同じように話が弾み、一週間後内定の電話を頂いた。
決まるときは物事がトントン拍子に進むというのは本当なんだと思った。

こうして私は就活を終えた。


4.就活を終えて

周りが内定が決まっていき、徐々に広告でも23卒の話題が出ていたり、自分だけ取り残されていく感覚。怖くて焦って仕方がなかったけど、ここまで諦めずに頑張って良かった。

夏が終わるともう求人なんてなくて、残り物扱いになるんだとか考えていたけど(すごい偏見)そんなことはなくて求人もちゃんとあったし、自分と同じようにまだ就活をしている人はいた。かなりネットの情報に振り回されていたと思う。

就活自体はしんどかったけれど、私ってどんな人間なんだろう?どんなことが得意でどんなことに興味があるんだろう?と客観的に自分を見る良い機会だった。少しでも新たに自分のことを知れて、今後にも活かせると感じた。


初出社日が近づいていてすでに緊張しているけど、まずは少しずつ自分のやれることを精一杯頑張ろうと思う。そして就活頑張って良かったなと思えるような働き方ができるように努力をしたい。

就活、なんとかなったよ。自分お疲れ様でした!


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