イチ爺_投稿

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  • 爺娘孫三代エッセイクラブ|北の家族の図書室

    • 45本

    祖父とその娘、孫娘の三代で作られたエッセイクラブ。主に孫娘、初孫アヤメが運営していきます。

最近の記事

病気に振り回された日々

 30年間も続けてきたノンフィクション作家養成塾を3月いっぱいで閉鎖した。ところがどうしたことか。その直後、意味不明の高熱に襲われた。  急に仕事を辞めて肩の荷が降りたので、そうなったのだろうと軽く考えていたが、熱は 下がらず、救急車に乗せられ病院へ運ばれるハメとなった。  「胆のう炎」と診断され、即刻入院、手術。よほど病状が悪化していたのか、東京の娘や孫娘らが飛んできた。そうとも知らず病床の本人は、ただただ眠り続けていた。  二日目に意識を取り戻し、シャワーを浴びた。

    • 朝食を摂らない人が4割もいる!?

       広報「さっぽろ」5月号をめくっていたら、面白い表現にぶつかった。「延びらさる!「健康寿命」。 そうか、そういう言い方があっても、いいんじゃないの。  最近は北海道弁がなにかと話題になっているようで、先般も地下鉄の電車内で「食べらさる」という表現の広告文で目にして、うんうんとうなずいたものだ。 だから「延びらさる」ってのも、いいんじゃないの。  「食べらさる」 にはもともと深い意味があった。 北海道生まれの筆者は少年の頃、 食糧難時代にぶつかり、食べるものが少ないのに、食べら

      • 少年との出会い

         義弟の死が突然、伝えられ、体調不良を押して急ぎ、妻とともに江別市内の葬儀場へ赴いた。  葬儀場には親戚縁者たちが集まっており、喪主 (妻)、 施主 (長男) が涙をこらえて応対していた。遺体に合掌しながら、その人生を振り返る。義弟はおとなしく真面目な性格で、家族を守り、ひたすら働き続けた、そんな生涯だったと思う。享年八七。  通夜の席で、久しぶりに親戚の人たちと会う機会を得た。私たち夫妻だけが断然、突出して高齢だが、若い人もいて、悲しい雰囲気の中にも光明が漂うのを感じた。

        • リンゴの思い出、喜びと哀しみと

           店頭に並んだ色鮮やかなリンゴを見ていたら、なぜか片隅の一個が転がり落ちた。 ふいにあの日のリンゴ事件”が蘇った。 笑ってください、この哀しき顛末を一。  北海道新聞社に在職中のことだから、もう30年数年も前になる。ロシアの新聞社と記者交換という交流制度があり、気候のいい夏場を選んでカメラマンと二人、 新潟空港からユジノサハリンスクへ飛んだ。 ロシアへは後に何度も行ったが、この時は初めての渡航だった。  空港で私と同年令と思われる記者に出迎えられ、車でユジノの街を走った。驚い

        病気に振り回された日々

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        記事

          さよなら “世界の笠谷”

           えっ! “世界の笠谷” が亡くなったって...。 テレビが報じるニュースに、肝を潰すほど驚いた。  笠谷といっても若い子は知らないかもしれないが、いまから半世紀ほど前に、第11回オリンピック冬季競技大会が札幌を舞台に開かれた時、スキージャンプ70メートル級で優勝金メダルを獲得し、全国民を感動の渦に巻き込んだ名選手なのだ。  笠谷さんと電話で会話をしたのは2005年秋だから、もう20年ほども前になる。文庫本 『昭和史の闇 一九六〇一八〇年代 現場検証』 (新風舎刊)に、その時

          さよなら “世界の笠谷”

          買い込んだ公演チケット

           今年も「さっぽろ落語まつり」が5月24日から26日まで開かれるというので、発売日早々に、5公演分のチケットを買い込んだ。それなのに病魔に襲われて入院を余儀なくされてしまった。  どうなることやらとベッドの上でしきりに心配したが、手術後の経過がよく、何とか無事に退院できた。あとは体調を崩さぬよう、公演のその日を指折り数えて待つばかり、というわけだ。  今年は桂文珍師匠がプロデュースするという。会場は道新ホールと札幌文化芸術劇場ヒタル。3日間に両会場で12スージの公演。1公演ほ

          買い込んだ公演チケット