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リンゴの思い出、喜びと哀しみと

 店頭に並んだ色鮮やかなリンゴを見ていたら、なぜか片隅の一個が転がり落ちた。 ふいにあの日のリンゴ事件”が蘇った。 笑ってください、この哀しき顛末を一。
 北海道新聞社に在職中のことだから、もう30年数年も前になる。ロシアの新聞社と記者交換という交流制度があり、気候のいい夏場を選んでカメラマンと二人、 新潟空港からユジノサハリンスクへ飛んだ。 ロシアへは後に何度も行ったが、この時は初めての渡航だった。
 空港で私と同年令と思われる記者に出迎えられ、車でユジノの街を走った。驚いたことに、車が信号機に近づくと、それまでの赤が青になる。大変なサービスにいささか面食らった。
 いきなり「別荘に参ります」 と言われ、郊外に建つ家に案内された。 別荘には違いないが、誰も住んでおらず、荒れた感じがした。小太りの女性が笑顔でオレンジジュースを運んできた。 暑かったので一息に呑んだ。これがいけなかった。後で知るのだが、近くに井戸があり、ボーフラが沸いているようなその井戸から汲んだ水で粉ジュースを溶かしたのだという。
 真っ先に私が腹を壊して寝込み、続いてカメラマンが倒れた。だがロシアの記者たちは平然としている。
 腹の病みは収まらない。何も食べられず、やむなくリンゴが欲しい、と哀願した。 こんな時はリンゴしかないとこれまでの体験から知っていた。ロシアの記者はすぐに手配してくれたが、いつまで経ってもリンゴがこない。 そのうちカメラマンは何とか復活した。
 焦った。 待ち焦がれて三日目にリンゴがやっと届いたが、それは小粒の青リンゴだった 。がっかりしたが、ほかに食べるものがないので、仕方なく食べたら、けろりと直った。 夜、招かれてダンスホールへ出かけた。カメラマンはロシア女性を相手に得意気にダンスをしていたが、私には何もかもが不衛生に見えて、ウオッカばかり口にしていた。これだけは安全だと思ったのだ。 土産にキャビアを貰い、ありがたく受け取った。
 帰国してほどなく、今度は相手の新聞社の記者たちがやってきた。 数日間、各地を案内して回ったが、帰国する時、ホテルの請求書を見て、腰を抜かした。 冷蔵庫の中身が毎晩カラになるほど呑んだらしい。
 いまでは笑い話のような思い出だが、ロシア人の話になるとつい、この話が甦る。

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