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病気に振り回された日々

 30年間も続けてきたノンフィクション作家養成塾を3月いっぱいで閉鎖した。ところがどうしたことか。その直後、意味不明の高熱に襲われた。

 急に仕事を辞めて肩の荷が降りたので、そうなったのだろうと軽く考えていたが、熱は 下がらず、救急車に乗せられ病院へ運ばれるハメとなった。

 「胆のう炎」と診断され、即刻入院、手術。よほど病状が悪化していたのか、東京の娘や孫娘らが飛んできた。そうとも知らず病床の本人は、ただただ眠り続けていた。

 二日目に意識を取り戻し、シャワーを浴びた。この間に二つの出版社から、それぞれ初稿ゲラが病室に届いた。どちらも北海道を舞台にした作品で、早くに原稿を手渡しておい たのに、なぜかこの時期に同時にゲラが出たとは、と意地悪いめぐり合わせを悔やんだ。でもしょうがない。熱を計ると平常値に近いので、家族の心配をよそに、ゆっくりゆっくりゲラを読んだ。自分の書いた原稿なのに、なぜか他人の文章に思えてならなかった。

 そのうち眼の奥の方が痛くなってきた。だめだ、思わず眼をつむり、痛みが消えるのを待った。ふいに、このまま命が尽きたら、このゲラはどうなるのか、という思いにかられた。二つの出版社は困惑するだろうし、わが家だって妻子らは残されたゲラに、狼狽するに違いない。

 そんなことを思っているうちまた眠った。夢の中で出版された本を手に、妻子や孫たちが笑顔で話している。あれっ、そこに亡き姉や弟もいるではないか。驚いて眼が覚めた。夢なのか現実なのか。頭の中が混濁したまま、眠ったり起きたりを繰り返し、その間に、それほど用もないのに看護師さんを何度も呼んだりして、一日が暮れていく。

「明後日、退院です」
 
突然、看護師に伝えられ、驚いた。同時に、体の方は確かに少しずつよくなっているけれど、頭の方はからっきし自信がなく、戸惑いを覚えた。でも退院といわれたら退院。医師の指示に逆らうことはできない。

 かくてよろめきつつ2週間ぶりにわが家へ。帰宅して部屋の椅子に腰を下ろすと、なぜか意欲が沸いてくるのを覚えた。思わず机の上の古びたワープロに向かい、「もう少し、頼みます」と述べ、深々と頭を垂れたら、何も言わぬはずのワープロが困惑したような鈍い音を、コツン、と立てたのには驚いた。

 そちらの方も私同様、相当、かなり傷んでいるらしい。

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