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新聞会館を訪れて感じたこと

 先日、所用で上京したついでに、久びさに横浜市のニュースパーク(新聞博物館)を訪れた。初めて行ったのが新聞社勤めをしていた昭和六十年代。その後にもう一度、行っているので、これが三度目になる。 新聞記者生活が長かったせいか、ここに赴くとなぜか、くつろいだ気持ちになれる。

 入館してすぐ、展示物などはそれほど変わっていないと感じたが、なぜか不思議な思いにかられた。館内にみなぎるものが失われているように思えたのだ。そうか。 近年の、激しさを増すばかりの新聞離れが、ここにも影響しているに違いない、と勝手に決め込んで館内をゆっくり回った。

 新聞の博物館なのだから、陳列物はもとより新聞が主役。新聞がどのようにして作られるのか、その工程がわかりやすく説明されている。全国各地の新聞も適宜、展示されていて、地域の特色などもかい間見ることができる。

 だが、新聞が置かれている現状を思うと、この博物館は今後どうなっていくか、という思いにかられた。 ニュースの主流はいまやインターネットに完全に奪われ、新聞の発行部数は下落するばかりなのだ。

 そういえば先日、元勤務先の後輩に当たる現職記者と出会い、その話になった時、耳を疑うような話を聞かされた。

「最近、新聞の前途に見切りをつけて、途中退社する者が続出しているんです」
 しかも30、40代の働き手が多く含まれているのだという。
 新聞社というのは、新聞記事を書く記者から、広告を集める広告担当、制作する印刷担当、新聞を売る販売担当と様々な職種が混在している。そんな新聞社に陰りが見えだ し、日々、大きくなっているというのだ。

 私たちが入社した昭和30年前後は、男性でなりたい職種のナンバー1は新聞記者だった...。そんなことを思い出しながら、ふと脇の部屋に目を移すと、子どもたちのグループが何やら学んでいる。新聞会館にきているからには、学ぶ教科は「新聞」であろう。 その姿を見ることで、何かほっと安堵の胸をなで下ろした。

 会館を出ると、新聞少年の像が立っていた。新聞の束を小脇に抱えていまにも走りだそうとしている姿だ。そういえば私も少年時代、ああして新聞を各戸に配達したものだった遠い日が甦り、時間が一瞬、止まるのを感じて、しばし新聞少年像を凝視していた。

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