【連載小説】満開の春が来る前に p.1
新聞配達のバイト君が奮闘するミステリー小説です。
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朝目を覚まして雨が降っていると分かると、どうしても憂鬱な気分になってしまう。
しとしとと音をたてて落ちる雨粒は、むき出しの顔を濡らし、手足を濡らし、そして紙を湿らせる。
ビニールに包もうとも、丁寧に荷台に積もうとも、そればかりは仕方がない。どうしようもないことなのだ。それこそ、人が必ずいつかは死ぬのと同じように。
新聞配達のバイトをはじめて、かれこれ三年はたつだろうか。
高校時代に友人から誘われて、とりわけ何の目的もなくはじめた。この仕事を気に入ったわけではないが、友人が辞めていっても自分だけは続けていた。こんなに長続きする学生は珍しいと、社員の人も可愛がってくれている。
それでもやはり、雨の日はどうにも憂鬱だった。新聞や中に入れた広告が濡れていて読めないとの苦情の電話も入る。その対策に行うビニールでの過剰な包装も、とても手間がかかる。
そして何よりも、俺自身が紙の湿った感触が嫌いなのだ。
いつもと同じ時間にセットした目覚まし時計のアラームを止めて、むくりと体を起こした。俺はおそるおそる閉じていたカーテンを開けてみる。そこには濡れたアスファルトと、ぽつぽつと雨を受けて丸く波紋を描く水たまり。
昨日の天気予報通り。本日の夜から明日の朝にかけて、雨になるでしょう。どうしてこんなときばかり予報というのは的中するのだろうか。
この仕事をはじめてから欠かさず天気予報を見るようになった。天気の予報は難しく、必ず当たるわけではないということも毎日見ることで知った。
テレビの向こうで、まだ三十代くらいに見えるお兄さんが今日明日の天気を解説する。その姿はどうにも自信なさ気で、少し頼りない。持っている指し棒も心なしか下向きだ。
もっと自信を持てばいいのに。あんたの予報、そんなに悪くないよ。俺はいつもそう思いながら見ている。年上に対してこんな風に思うのは失礼かもしれないが、思わず励ましたくなるような人なのだ。
その彼が予報を的中させて嬉しい反面、本音を言えば心は沈んでいる。
雨の日を嬉しいと思えたためしがない。小学校の遠足、中学校の体育祭。楽しみな行事のときに限って、天気が悪い。普段の行いというが、それはどう考えても方便だと幼いながらにいつも思っていた。
しかし文句を言っていても、時間は刻々と過ぎていく。
俺は慌てて用意を済ませ、家を出た。羽織ったレインコートがさっそく雨粒を弾いている。その感触が肌まで伝わってくる。また少し憂鬱な気分をつのらせて、俺はバイト先へと向かった。
事務所に到着すると、すでに駐車場に二台の自動車が停めてあった。社長と社員の小山内さんだ。
俺も愛用の自転車を建物の脇に止め、中に入った。
玄関の中でレインコートを脱ぐ。申し訳ないとは思いながらも、水をしたたらせつつ手早にたたんだ。
「おはよう、岩瀬君。今日も早いねぇ」
作業部屋に入ると、中はじんわりと暖かかった。寒いのと湿気を少しでも軽減するために、エアコンがつけられている。
先に着いていた社員の小山内さんが、広告を新聞にはさむ作業を中断しないまま俺に声をかけてくれる。
小山内さんはここでもっとも長く働いている人だ。基本的には事務所での作業やクレームの対応をしているが、時には配達にでることもある。本当はすでに定年をむかえているのだが、生涯現役を目指して毎日元気に出勤している。
実際問題、小山内さんがいなくなったら困るどころの騒ぎではない。仕事の正確さ、そして速さ、クレームへの対応力。どれをとっても群を抜いていて、彼がいなくなった穴を埋められるような人はいない。とても七十歳間近には見えない仕事ぶりだ。
「おはようございます。今日は雨ですから、時間がいくらあっても足らないし」
「まったくその通りだよ。日中になるにつれて、どんどん雨脚も強くなるっていうし。何事もなく終われるといいんだけどねぇ」
小山内さんが穏やかな口調で言う。それでも手を動かすスピードは変わらない。
俺も小山内さんのとなりで、すでに残り半分になっている作業を手伝いはじめる。
「結城君が辞めたばっかりで、まだてんやわんやしてるっていうのに。嫌なタイミングだ」
小山内さんが、少しだけ寂しそうに眉根を寄せた。
俺よりも二つ年上の先輩、結城太一さん。彼も高校時代からこのバイトをはじめた人だ。後輩の俺をとても可愛がってくれて、ご飯や遊びにもよく連れていってくれた。
そんな彼が一週間ほど前に辞めた。この春からの就職先が決まり、バイトどころではなくなってしまったのだという。
その事実を聞かされたときは、すごくショックだった。
太一さんがずっと就職のために頑張っていたことは知っていたし、いつかは辞めるだろうということも分かっていた。分かっていても、彼がいなくなる寂しさに変わりはない。
太一さんは今、どうしているだろうか。
もしかしたら連絡がくるかもしれない、という思いから急にケータイが気になった。
「それでね、結城君が配達してた地区なんだけど……。もしよかったら岩瀬君、引き継いでくれないかな?」
「え、俺がですか?」
小山内さんが申し訳なさそうに俺を見る。
太一さんが配達していたのは、この事務所から少し離れた地区だった。他の事務所との兼ね合いで、うちが少し遠くの場所まで受け持つことになってしまったのだ。
誰もが嫌がるそこを快く引き受けてくれたのが、バイト歴の長い太一さんだった。配達員で一番年長の俺がやらないとだろ、太一さんがそういって笑ったのを思い出す。
「こっちとしても、慣れてる岩瀬君にお願いしたいって気持ちはあるんだけど……。実はね、結城君からの要望なんだ」
俺は小山内さんの言葉に驚いた。
彼の話では太一さんが辞めるとき、後任はぜひ俺にと言っていたらしい。どうして太一さんがそんなことを。
新聞配達の仕事は、配達する地区によっては決して楽な仕事ではない。それが原因で辞めていった人を、俺は何人も見てきた。
とはいっても、できる人にはできる。その一人にバイト歴の長い俺が当てはまるのは分かるが、他にもできそうな人はいる。そのはずなのに、太一さんはどうしてわざわざ俺を指名したのだろうか。
その点がどうにも腑に落ちなかったが、彼がそう言ったのなら何か理由があるのかもしれない。
「いいですよ。俺が回ります」
「本当かい? 助かるよ!」
小山内さんはぱっと嬉しそうに笑った。普段から年齢を感じさせない人だが、小山内さんは笑ったときの顔が一番若々しく見える。小さな子供のように無邪気な表情をするのだ。
「それじゃあ今日からよろしく頼むね。岩瀬君が回ってたところは、新しく入った子にお願いしよう。はじめての場所で時間がかかるだろうから、今日は早めに出ていいよ」
「はい、ありがとうございます」
それはこっちの台詞だよ、小山内さんはそう言ってまた笑った。
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