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リワーク日記111 仕事マッチョな文化を蹴飛ばしたい

久々に比較的穏やかな1週間を過ごすことができました。苦手な取締役が出張で不在だったことが大きな理由ですね。ただ、週の前半には問題が発覚して、あまりの自分の仕事のできなさに絶望して塞ぎ込んでしまいました。そういうこともありますよね。ああ、お仕事嫌い。

ということで、お仕事嫌いだよ~という人はスキとフォローをお願いします!今回は30スキを目標にしています。

まぁね、会社の不可解なシステムに騙されたせいで正確な状況が把握できずに踊らされてトラブルに発展したわけなので別に私一人が悪いわけではないのですが。それでも、1人で抱え込むことなく周囲に状況を共有して対処できたのはとても良いことでした。そのおかげですぐさま自己嫌悪を手放すことができたからです。一応の着地はできましたので、週の後半には溜まっていた細かな業務を片付けました。ついでに他の面倒な業務を上司に押し付けて金曜日は自主的にノー残業デーにしました。

私は、自分が仕事ができるタイプの人ではないことは自覚してはいるのですが、実際に失敗やトラブルやミスなどの問題に直面した時にはやはり自己嫌悪に陥ります。別に誰かに何か言われたわけではないのですが、頭の中のもう1人の自分が辛辣に自分を馬鹿にしてきます。人間という生き物は誰かに馬鹿にされると心が弱って枯れてしまいます。たとえそれが頭の中のもう1人の自分に言われたことだとしても、です。

本当は自分だけは自分の味方でいないといけないはずですが、そのもう1人の自分はそこら辺の他人よりも好戦的で容赦ないかもしれません。世間の冷淡な部分を凝縮したような酷薄な人格です。社会の規範を強く内面化している人ほど、もう1人の自分も厳しい人格になります。もう1人の自分の正体とは、両親や教師や上司や研修の鬼講師からの説教であり、社会の規範であり、社会で正しいと信じられている信念・価値観です。自分ではありません(自分と社会を同一視している人には理解し難い発想でしょうけど)。

私には、自分を抑えて周囲の人の意向や世間の常識を優先する癖があります。自分の気持ちを後回しにし続けているのです。振り返ると、13歳の時からこの傾向が急加速して、何も言いたいことが言えなくなってしまいました。そのまま成人して社会人として働き始めましたが、その間ずっと自分の意見を抑えつけて飲み込んできました。違和感を覚えても、きっと自分の意見よりも世間の意向の方が正しいに違いない、自分が知らないだけで世間で言われていることには何か重要な経験知に基づいているに違いないと自分に言い聞かせて。

しかしその結果、メンタル不調を発症して起き上がれなくなり、社会から一時離脱する羽目になりました。当時の副社長から非難の言葉を受けた時、周囲の人たちと同様にもう1人の自分は私を庇おうとはしなかったのです。あろうことか、副社長と一緒になって私を責め立てたのです。このせいで痛みが2倍になりました。この生き方が持続可能なものでなかったのは明らかです。

そして、結局のところ世間の常識はあくまで「それが正しいと広く信じられている」だけで、正しいかどうかは別であるばかりか論理矛盾に満ちており、ましてやそれに従ったとて良い結果が得られるわけでもなく、私の幸福を約束するものでは全くなく、せいぜいそれに従ってさえいれば2割くらいは風当たりが和らぐだろうという程度のものだったのです。

きっと世渡りの上手い人というのは、そうした世間の事情を理解していることに加えて抜け目なく利用できるという特技を持っているのでしょう。誰にでもできることではありませんし、誰もができることが良い世の中の条件だとも思いません。

私が今回のトラブルに際して速やかに問題を周囲と共有したことは、私の内面に潜伏し私の仮面をつけ私自身の声を無断で使って、冷酷な世間からの仕事マッチョな圧力(労働者は仕事を完璧にこなせとか、全部自己責任だとか、働かざるもの食うべからずとか、仕事のできない奴は生きる価値がないとか)を私の脳に直接聴かせる時間を短く制限しました。この問題に「完璧に」対処する責任を私1人から手放させ会社に移譲させたのです。

果たして会社様は「完璧に」問題に対処できたでしょうか?結果は、私1人で対処したとしても同じだっただろうという水準のものにとどまりました。それはそうです。誰が対処しようとも取りことのできる選択肢に変わりはなく、当然その結果も同じだったからです。それでも、もし私1人で対処したとしたら、会社はその結果を受け入れることを納得しなかったでしょう。

ともかくも、私は気分の落ち込みを最小限にとどめることに成功しました。ただし同時に、落ち込みやすい気質はそのままだということもわかりました。内なる他者との抗争がこの先も続きそうだということも。そしてだからこそ私はこれからもっと自分を大切にしていく必要があるということも。

それでも意味のある成功体験でした。13歳以来続いてきた自由にものを言えない生活が、着実に転換していることを感じさせるような手応えが得られたからです。問題を1人で抱え込むと、もう1人の自分からの口出しも増えます。ですが、早めに問題を周囲や上司に共有してしまえば、あの極端に完璧主義で仕事マッチョなもう1人の自分を黙らせることができるのです。

似たような話をこれからも延々と繰り返すかもしれませんが、有害な生活習慣が毎日の小さな行動の積み重ねの結果として定着するのと同じく、望ましい生き方も毎日の小さな行動の積み重ねそのものなのではないでしょうか。

この調子で仕事マッチョな人生像を蹴り返し、人と自分に優しい人生の実現を目指します。そして会社に根強くはびこる仕事マッチョ文化を追い出して、人生を楽しめる文化に入れ替えていきたいと思います(これはちょっと1人では手に負えない目標かもしれませんが)。

ということで、今回はここまでです。話にまとまりがないのはいつものことですが、次回もぜひ読んでください。

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