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よく気がついているということ~しなやかに生きるひと①~

こんにちは。明日美です。

寒の戻りは堪えますね。どうか温かくしてお過ごしくださいね。
とはいえ、陽あたりのいい斜面には、水仙が咲き乱れ、河津桜は散っていこうとしている。季節はグングンと進んでいて、きっとお水の音も春めいてくるのだろうなと、その音が聴こえる瞬間を待ち遠しく思います。

さてさて、これからしばらく、『しなやかに生きるひと』と題して、これまで出逢ったしなやかに生きる人たちのことについてまとめていきます。たまに架空の人もいるかもしれません(漫画の登場人物とか(笑))

私が初めてそのしなやかさに出逢ったのは、茶の湯の師匠。しなやかな生き様から私が何を感じて、何を学んだのか。そして何を実践してきたか。
どんな展開になるのかわかりませんが、安心して、自分の人生を歩んでいきたかった過去の自分へのメッセージと、未来への備忘録になるのかもしれません。

それでは、はじまりはじまり。

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私の茶の湯の師匠は、御年83歳。

私が師匠の教室に通うようになって、7年近く。その開けた温かさ、明るさに、何度救われたか知れない。

そんな83歳の師匠は、いまもなお、『気づき』続けている。自分の生きる姿勢。あり方。考え方。体調。気配。常に常に更新し続けている。

聴いているだけだと、随分、バチバチにストイックな感じに聴こえるかもしれない。
たしかに、ストイックはストイックなのだけれど、そこに悲壮感や必死さ、堅い感じや厳しい感じは一切ない。楽しそうなのだ。楽しそう・・・という一言でも片付けられない。

風に揺れている柳の木のように、自然なのだ。風のないときは枝は揺れない。かといって、根からは栄養分を吸い込み、葉では光合成。ビュンビュンと吹く強風が吹こうとも、枝は折れず、風を受け流す。穏やかな日の柳は、陽に当たってとっても気持ちよさそうにきらめく。ただそうなのだ。

今日は、あまりご飯要らないわねと思えば、一日三食も食べない。

自分がその時、大切にしたいことをちゃんとわかっている。だから迷いつづけない。常に納得している。

わからないことがあれば、素直にわからないままにしておける。長いと、年単位で、そのまま心に置いておけるのだ。
そして、わかった時には、それをまた喜び、味わったり、自分がひどいことをしていたと気づいたときには深く反省して、もう次はそうしない。こうやって生きていくと自分に誓うことができる。

今の自分には無理だ、早いと思ったら、いつか来るその時まで無理に取り組もうとしない。

やると決めたら、自然と身体が動き出すにまかせる。

次の日、お稽古があろうと本に夢中で、明け方までに読み切る日もある。

起きていることから逃げも隠れもしない。でも逃げる必要があると思ったら、ちゃんと逃げる。

苦手なことは、「苦手なのよねぇ」と軽やかに教えてくれる

そんな風に、いつも「気づいて」いる人。「自分」を知っている人。自分自身を平らかに見渡す眼差しを持っている人。

自分にできることは、人にもできる。
だから、人に優しい。慈愛に満ちた眼差しで、目の前の人の人生に信頼を寄せられる。

その大きな安心感に抱かれ、お稽古をしてこられたことがまず幸せなことだったのだけれども、こんな風に書いたら、それこそ笑いながら、「恥ずかしい」なんて言わせてしまうかもしれない。

しなやかに生きるひとは、よく気がついている。
そんな風に思う。

今日も読んでくださってありがとうございます。
すてきな一日を🌈🌈

明日美

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