見出し画像

北大西洋本鮪(クロマグロ)定置網事業その3

<2007年シーズン>

いよいよララチェの港を出て冷凍加工船に乗る。漁場へは運搬船と呼ばれる、文字通り網場からマグロを運搬するために使う小型の船で移動する。

画像1

↑運搬船

漁場はララチェを中心に南北に6か所ほどあり移動時間は1時間から3時間かかる。毎日通うとなると大変なので我々は基本的に2か月間、加工船で生活することになる。その年の事業は加工船を3隻チャーター約700t(3500匹)の取り上げを行った。

◎冷凍加工船

冷凍加工船とは魚を買い付ける会社が船を所有する会社に料金を支払い委託加工するシステムである。加工とはマグロを四つ割り(3枚おろしから背と腹に切った状態)にカットしー60℃に急速冷凍することをいう。船の大小はあるが、船は操舵するチームと機械を動かすチームに分かれる。航海及び全体を統括する総責任者である船長、その下にチーフオフィサーと呼ばれる一等航海士、機械部の責任者の機関長、一等機関士の方々が船の幹部にあたる。その他航海士、機関士が船員として10数名、30人ほどのワーカーが船の上で生活している。船の上ではエアコン一つ壊れても全て自分たちの手で修理しなければならない。ましてや冷凍加工船や冷凍延縄船では冷凍機を回すのは機関長の仕事。ただ冷やせば良いというものではなく、急冷室を冷やすそのサジ加減一つで鮮度が悪くなったり、また冷やし過ぎて身にヒビが入ったりしてしまう。機関長の役割が非常に重要なのである。我々の目に見えないところに漢たちの職人技があるのである。

画像2

↑冷凍加工船A

私は上司と離れマグロ問屋Y社の加工船Aに乗り込んだ。程なくマグロが船に運ばれ作業が始まった。初めての作業で私はデッキ(甲板という船上作業する場所)の上を右往左往するだけだった。次の日も取り上げが行われたが、その時は網場に行ってみた。生まれて初めて見る活きたマグロだった。250匹ほどのマグロが目の前に現れた。圧巻だった。圧倒された。

画像8

↑モロッコ最北にあるカプスパルテルという歴史ある網場。印のあたりに網が存在。左側にうっすらとヨーロッパ大陸(スペイン)が見える。タイトルの写真も同じ網場。タンジールの町の洞窟から見た網でオレンジ色のブイが見える。

画像3
画像4
画像5
画像6
画像7

その船にはY社の社員H氏も乗っており、私はH氏から仕事を教わることになった。しかしH氏は私を客扱いした。経験のない船上生活と全てが初めての環境で、私は何でも吸収しようというガッツを持てず全てに消極的であった。何も得ることなくただ時間だけが過ぎていった。完全にダラケ切っていたのである。1か月ほど過ぎたある日、上司から彼の乗っている加工船Bに移るように言われる。Bには他にY社の社員Iが乗っている。

運搬船を使い加工船から加工船へ移動。その日はちょうど取り上げが行われ、作業が終わった後、私の歓迎会を含めた酒盛りが行われた。と言うより酒盛りは毎日開催されるのだが。宴もたけなわになったころ、突然I氏からの私への公開説教が行われた。私の働きぶりと生活態度を見てのことである。ガチのやつである。

I氏「お前この1か月何をやってたんだ!?」

私「いや、、、すいません。」

I氏「お前、なめてんのか?てめえコノヤロー!”#○$%&’▽!!」

ドカ!バコ!ドカ!

現代社会なら確実にアウトであるが、そこは15年前の水産業界。私の上司や船の船員まで一緒になって説教された。この四面楚歌の状態が1か月毎晩続くことになる。どんどん自尊心をはぎ取られ、丸裸にされる気持ちであった。が、神経は過敏になる反面、研ぎ澄まされてもいった。感受性が以上に高まり吸収力が上がっていくのが自分でもわかった。

地獄のような日々であったが、そのころの私にはこれくらいの刺激が必要だったのだろうし、この経験が社会人としての私を作り上げたといっても過言ではない。I氏は私に仕事いうものを教えてくれた先生のようなものとして今でも感謝しているのである。

何か自分を変えたくてガムシャラに体を動かしたが、その1か月で覚えられたのは血抜きのやり方だけであった。

6月の中旬、マグロはいよいよ産卵を前に身の栄養を卵に取られ、身が細くなりシーズンの終了を迎える。と同時に私のほろ苦い海外初出張が終わり、ろくに仕事を覚えられないまま帰国した。

◎コンテナ転載から日本への搬入

全ての加工を終えた加工船はタンジールのような大きな港町に停泊し、ー60℃の特殊なコンテナに移し替える。コンテナを積んだコンテナ船は約40日の時間をかけて日本へ到着。日本の港に着いたコンテナはトレーラーにより日本のー60℃の冷蔵庫に運ばれる。そこで我々が立会い、マグロを選別するための包丁で皮めを刺して、その刺さり具合や色により脂の乗りや鮮度を選別しグレード分けして搬入する。またコンテナごとに1本のマグロにドリルで穴を開け、温度計で中心温度を計りそのコンテナの温度が保たれているかをチェックする。

画像9

↑↓加工船からコンテナにマグロを移している。

画像10

↓コンテナが日本に到着し冷蔵庫に入庫している。

画像11
画像12
画像13

↑↓温度計を使って検温中

画像14

↓マグロはパレットと呼ばれる金属のカゴに入れて在庫管理される。

画像15

↓包丁で皮目を刺しめくって色目を見て選別している(出刃選)。

画像16
画像17
画像18


◎販売

魚は買いつけて終わりではない。いよいよ販売が行われる。販売方法は当時ほとんどがセリ売りで行われた。この定置網で獲れた本鮪のセリは特殊で、現物ではなくスライスの断面を見て買い人が値段を決める。冷蔵庫併設の加工場でマグロの真ん中辺りを切り、そこから8mmほどのスライスを取り脂の乗りと鮮度を見て選別していく。だいたい一度の加工で50本から100本くらいを選別。スライスを取り終えたマグロは大きな段ボールに梱包され出荷される。

画像19

↑↓加工場で検品されるスライス。↑は非常に脂のキメが細かく鮮度も抜群。

画像20

そして出荷するマグロを選んでセリ場に出荷。どんなマグロが売れるかはセリ人とのやり取りと出荷者のセンスに依る。当時私はまだセリ人の免許を所持していなかったため上司にお願いしてセリで販売してもらっていた。

画像21

↑築地のセリ場に上場された風景。

築地では当時、このマグロのセリをしているのは3社。中でも私のいたZ社は後続でシェアも3社の中で一番少なかったが、相場は非常に好調でよく解らぬまま買い付けたマグロは莫大な利益を会社にもたらしたのであった。

続く。。。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?