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北大西洋本鮪(クロマグロ)定置網事業その8

<2015年シーズン>

2014年に誰もが知っている日本一有名な24時間営業の寿司チェーンK社が日本で初めてポルトガルの定置天然本鮪を買い付けていた(その前まではモロッコとスペインしかなかった。)K社もまた私のセリ場に出荷をしてくれていた。セリで販売していくうちにあることに気が付いた。鮮度が別格に良いのである。ほとんどベタを見かけない。チヂミ率が100%に近いのである。当時セリにかけるのにサンプルとなるスライスの厚さは出荷者に7~8ミリで切るようにお願いしていた。それ未満だと薄すぎて脂があるのかないのか分かりづらい。逆にそれ以上だとベタのマグロは色が悪く見えるデメリットがあり、7~8ミリが丁度良いという持論を経験から算出していた。わかりやすく言うとスライスが薄いと色は明るく見えるが、脂がよくみえない。逆にスライスが厚いと脂はよく見えるのだが、ベタのマグロは色が悪く見えるのである。チヂミのマグロであればスライスが厚くても色は明るく発色する。そこでスライスを切っているK社にスライスを9ミリで切るように依頼した。するとセリ値が平均して1000円/kg高く売れるようになった。このミリ単位のこだわりがしばしば結果としてセリ値に反映されたし、私と出荷者との信頼関係を絶対的なものにしたのだと思っている。高く売れるようになったのは、それまでよりも脂が格段に良く見えるようになったからであるが、ポルトガルのマグロが他のモロッコ、スペインのマグロに比べて本質的に別格に脂が乗っていることが判明した。ただしそれはその年のマグロがたまたま良かっただけなのかもしれない。それは海のみぞ知ることなのである。

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↑セリ場に上場された芸術的とも言えるポルトガル定置本鮪。このスライスを見てセリ値が決まる。この日の1番。当時7000円/kgほどの高値が付いていた。


2015年5月20日ごろ私は例に漏れず、モロッコの洋上にいた。会社から電話があり、ポルトガルの定置網にマグロが入ってきたので見に行ってこいということであった。実は3月の時点で日本のマグロ輸入業者G社とS社の2社からポルトガルのマグロを輸入するから魚が入ったら買ってくれとの依頼があった。1995年の創業以来マグロが実際に網に入り始めたのはこの数年前からで、この年まではエサを与えて養殖するか、生鮮で出荷してきたため、ここの定置網のマグロを冷凍加工するのは初めての試みであった。昨年にK社が買い付けたのはもう一つの定置網であった。実績がない分リスクがあった。ただ、ありがたいことにそのマグロをそっくり転売により買ってくれ、なおかつ全量をセリ場に出荷してくれる出荷者R社が現れたのであった。そしてS社が買い付ける定置網にマグロが入ったのである。Y社に断りを入れ、下船しその足でポルトガルに向った。生涯2度目のポルトガル。その5にも書いたように1度目の滞在で私の中でのポルトガルの印象は非常に良くまたいつか訪れたいと思っていたのに加えて、2014年のK社のマグロの内容も良かったのでとても良いイメージのままポルトガル入りすることができた。ただしマグロの良し悪しは年度によって全然違うため、実際に目で見るまでは不安感がつきまとう。

夢にまで見たポルトガルは最南端アルガルヴェ地方にオリャオンという漁師町がある。と言っても日本で見かけるそれとは違い、岸壁にはヨットハーバーがあり、バーやレストランが立ち並ぶ。イギリスやドイツからの観光客も多く、またバイク野郎たちがビールを片手に談笑している景色をよく見かける。その通りにある巨大なリゾートホテル&コンドミニアム。そこが我々の常宿になる。同じ仕事内容なのにモロッコのタフなアパート生活とは天と地ほどの差があり、蛇口を捻れば水が出るしお湯も出る。トイレやシャワーを我慢する必要はないのである。

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↑赤い建物は町のシンボルとも言える魚と野菜の市場

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↑海岸通り沿いのレストランのショーケースには前浜で獲れた魚が並ぶ

到着して間もなく取り上げが行われた。私にとっては衝撃の光景を目の当たりにする。実はその定置網は日本の某商社が25年ほど前に投資して作った定置網の現地法人で現場を取り仕切るのは日本人の方(M氏)であった。オペレーションは卒がなくシステマティックに進んでいく。圧倒された。そしてモロッコ、スペインとの一番の違いはルパラと呼ばれる水中銃で即死させるところにあった。地中海の畜養本鮪の世界では一般的な〆方であったが、定置網漁では近代的な手法は漁師たちから敬遠されており、未だに伝統的な取り上げが行われていたためルパラは使用されていなかった。これには雇用を守るためにあえてシステム化しないという意図も込められてはいたのであるが。。。モロッコでは作業効率を考えると血抜きをするのが精一杯であったが、ポルトガルではさらに神経抜きまでする手の混みよう心の底から感服させられ、鳥肌が立ったことを記憶している。現場では時にM氏の怒号が響き、空気は張りつめただならぬ緊張感ががそこにあった。M氏のことが神々しくさえ見えた。このように最先端の取り上げが未開の地(私にとって)にあったのである。昨シーズンのK社のマグロの鮮度感が私の中で実に合点がいったのであった。

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↑1匹1匹大切に取り上げられすぐに頭を落とし氷水で冷やし込む

ではなぜポルトガルではこの近代的な技術が取り入れられたのであろう?それはポルトガルのマグロ漁の歴史と少し関係がある。モロッコやスペイン、イタリアと同じくポルトガルもマグロ漁の歴史は古い。しかし地中海での旋網漁による乱獲で1960年代からポルトガルの定置網にマグロが入らなくなり1970年代初頭マグロが1匹も入らずに定置網業者が全て倒産してしまう。ここから1995年に日本の商社が再び定置網漁を復活するまで空白の期間があった。つまり皮肉にも生産者自身の歴史の浅さが近代的な技術を取り入れるのを助けたことと、M氏のような日本人の職人気質がこの驚嘆すべき取り上げオペレーションを育んだのであろうと想像している。

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↑1970年代最後に倒産した定置網のイカリが今も残ったまま

さて肝心の魚の内容であるが、まず加工船運ばれてきたマグロの皮目が黄金色に輝いているように見えた。かつて経験のない鮮度感で運ばれてきたのであった。そして四つ割りに切られたマグロはこれまた見たこともないような脂の入り様であった。この時点で絶対的にセリで高く売れると確信できたのである。取り上げが終わった時にM氏に感謝の言葉を口にしたが、その時の私の心情を表現するには言葉では足りないほどあった。

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↑船上で4つ割りにされたマグロ。皮岸に真っ白い脂が乗っている。血合いが赤いのは血合いにまで脂が回っているため。

<ポルトガル定置の販売>

帰国後、コンテナでマグロが到着するとすぐに販売を開始した。鮮度は完璧でチヂミ率は95%を超えていた。身も締まり全然水っぽくない。そして特筆すべきはその脂の乗りであった。想像を超えた脂の差し方をした。脂が乗りすぎていて時に養殖なのではないかと疑われることもあったくらいである。北大西洋定置網本鮪史上、最高傑作とも言える。連日高値が付き、ポルトガル定置は築地でも一部の人間の間ではブランド化されるようになった。高く売れることも楽しかったが、自分が開拓したような気持ちにもなれて、とても気持ち良く仕事ができていていた。またリスクがある中、全量を買ってくれたR社の心意気に応えることが出来て仕事としてこの上ない満足感を得られることが出来たのであった。

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↑ラードのように真っ白く詰まった脂とその面積、そしてしっとりとチヂミ上がった赤身


。。。もうちょっとだけ続く(亀仙人風)

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