魂を売らずに生きるには? ―『生きて行く私』(宇野千代, 1983)
魂を売らずに生きるには、どうすればいいのか?
楽しい、美しいと思う基準、信じているもの、大切にしていること、自らの身体で感じたこと、考えたこと。――そういった自分の中の譲れない芯を「魂」と呼ぶとして、それを守って生きることは案外難しい。
魂はしばしば、世の中の規範や人間関係、仕事、生活といった圧力に脅かされるからだ。
生活をとるか、魂をとるか
日常でときどき「あ、やばいな」という状況に追い込まれることがある。ウィーンウィーンと脳内で警報が鳴り響き、「相手の要望通りの道を進むと、わたしの信条から外れるけど……いいの?」と、自問自答が始まる。生活をとるか、魂をとるか……の選択に胃が痛む。
「個人的な信条や美意識ぐらい、割り切ってポイポイ売りなさいよ」と、思われるかもしれない。でもそれが器用にできたなら、バツイチかつフリーランスなんてやってないのだ。気も体も弱いくせに、譲れないものが明確すぎる。ああ、面倒だ。そして悩ましい。
そんなわたしの「魂捨てずに生きるにはどうしたらいいんですか問題」の横を爆速で抜け、そのまま解決せずに吹き飛ばしそうな一冊が、作家・宇野千代さんの自伝『生きて行く私』だ。
“私の心の中は、そのときの生活とは関係なく、いや、そのときの生活が文学から離れていればいるほど、文学一筋なのであった。”
波乱万丈すぎる女の一生
こうと決めたら、その道を突き進む。
著者の宇野千代さんは、生涯に4度結婚し、小屋から豪邸まで13軒の家を建て、文学作家でありながらファッション誌を刊行し、大儲けをしたと思ったら莫大な借金を背負い、生活のために着物デザイナーにもなり、激しい恋に落ちては壮絶に破れ、博打を好み、宴を開き、人に囲まれ、 いつもお洒落な人だった。何歳になっても思いついたら即行動。逆風すらマストに溜めて、ガンガン進んでいく。
98歳で亡くなった彼女が84歳前後で執筆したその一冊は、「え、嘘でしょう?」というエピソードに満ちている。しかも初版出版時点でわたしは生まれてすらいない。嘘でしょう?
驚きのタフさ
現代だって、こんな思うままに生きたら、誰かに刺されそう。自分だったら、後ろ指差してくる人の怨念だけで早々に息絶えそうである。それでも明治生まれの彼女は、しっかり長生きし、最後まで豪快に笑った(人だったように思う)。
彼女はいつだって、自分の意志に背くことはない。「これがしたい」「あれが欲しい」という内発的な衝動に恐ろしいほど誠実だ。だけどその分、しっぺ返しにあってとんでもない金額の借金を抱えようとも、夫に捨てられようとも、ずんと受け入れる。自分の一部として背負うことができる。
“私を規制するものは何もなかった。ただ、情事の相手によって、ときに、生活を左右されたように見えることはあっても、それはそう見えただけのことであった。私は自分でも意識せずに、自分の生きたいと思うように生きて来た。”
“私は健康で、明朗であった。日本の中の、どこの都会、どこの街にいても、恰も生まれ故郷にいるが如くに、自然であった。それは、私にとっては放浪ではなく、ただ、そこにいただけであった。そして、不思議なことではあるが、いつでも何か仕事をしていて、いや、それは仕事でさえもない、いつでも自分の好きだと思うことをしていて、それによって生活の資を得ていた”
“私には何を、どうすべきであったか、考えることは出来なかった。行動が思考であった。その素早い瞬間に、なぎ倒されるようにして、自分が傷つき、また、人を傷つけることがあったとしても、どうしてそれを避けることが出来よう。”
何をしても、魂を売ることがない。何をしても、それは自分の一部であり、欲しいものを全力で取りに行く。
“売らない対価”を引き受けられるか
――魂を売らずに生きるには?
『生きて行く私』に学ぶなら、”売らない対価”を引き受ければその願いは叶う(売らないのに“対価”とは!)。多かれ少なかれ、人は譲歩し、調整しながら日々を過ごしている。それが社会だと「規範」は言う。だけど、どうしたって自分の内的なコンパスを信じて生きたいなら、そのまま進めば良いのだ。必要なのはしっぺ返しを受け止める覚悟(もしくは流す知恵、もしくは胆力)と、目的地点までたどり着く体力だ。
そうして傷だらけの脚で爆走しながら、痛いとも思わず、辿り着いた景色を、大胆にかつ美しく文学作品を通し共有したのが宇野千代という人だ。なんて強く、しぶとい人なのだろう。
はてさて、わたしはどうしよう。 と、ますます迷う一冊である。
“鴉の翔ぶのは生まれつきなのである。翔ぶのが性分なのである。知らぬ間に翔んでいるのである。”