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変わりゆくものたち

変化が苦手である。街の変化はいつも悲しくさせる。あの場所にかつて行列のできるコロッケ屋があったことを覚えているのは私だけかもしれない。あるいは私の中だけに存在した幻想なのかもしれない。過去になってしまってからは確かめることができない。

古びた商店街のある町で育った。昔ながらの肉屋、八百屋、生簀の魚屋、布団屋、銭湯、古本屋、寿司屋、ゲームショップなどがあった。学生時代のある日、合宿から帰ってきたら商店街の入り口が封鎖されていた。以来、個性ある店の並んだ通りを歩くこともなくなった。かつて商店街があった周囲の道路は月1回のペースで不思議のダンジョンのように変化していった。今はペラッペラな普請の再開発建物が無事に竣工し、昔からあった店のいくつかはその中のテナントとして収まった。

先週金曜日、横浜市庁が閉庁した。村野藤吾の名建築として名高いけれど、横浜市民にとってはあまり用事のある場所ではなかった。手続きは区役所に行けばよかった。大人になって、仕事の打ち合わせに呼ばれたのが私の市庁デビューだった。古びた伝統校のような、旧字体の漢字のプレートが転がっていそうな、冒険心をくすぐられる雰囲気が内部には漂っていた。建物の1階には横浜銀行の支店が入っていて、会社の中に銀行があるなんてすげー!と感動した私は記念に当支店で通帳記帳した。天井の低い執務室に通され、無理やり長机とパイプ椅子を押し込めたような隅っこのスペースで打ち合わせをした。働くにはしんどそうな空間でもあった。

横浜スタジアムの試合中継を見ていると、スタジアムの観客席の上縁から市庁舎の高層棟がちょっと顔を出しているのが見える。役所の定時は17:15だから、ちょっと残業なんかがあると、公務員さんたちは窓の向こうの野球の試合を覗いたりしていたんだろうか。望まなくとも場内アナウンスが辺り一帯に轟いているから、夏は仕事どころではないに違いなかった。

そういえば、市庁舎の北側の道路向かいも蔦だらけの白い建物があった。明治チックで謎の雰囲気に満ちていたけれど、去年か一昨年ぐらいに更地になっていた。何だったんだろう。

馬車道の新市庁舎は槇文彦先生の監修らしいけれども、ヒューマンスケールからは程遠い美白ホワイティな高層建築で、この街に馴染むにはまだ時間が掛かりそうだなというのが素人の感想。内装なんかも公共建物おなじみのペラペラでチープなコスパ優先インテリアではないかと心配でならない。なんせ横浜市民はランドマークスクエアのバブリーな内装スペックに慣れているから、こういう象徴的な建築は公共モノであってもしっかり造ったほうがいいと思うのだが。

旧市庁舎は関内の開港時代の建物群と現代の世界をうまく繋ぐ作品だったような気がする。スケール的にも、落ち着いたファサードのデザインも。取り壊しは惜しいなと思っていたら、三井不動産先生がうまく修繕保存して再開発してくれるようで期待しております。スクラップビルドを脱し、歴史を重ねて街空間を形作っていくことが豊かさだと思う私です。

市庁の素晴らしさを写真とともに解説してくださっている記事。
村野藤吾 横浜市庁舎 グリッドの美学 ーー(株)富田秀雄建築アトリエ

あんまんごちそうさまです!! くるみ胡麻餡が至高。