矢野正五郎

矢野正五郎

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お気楽な大学浪人時代

 私は高校を卒業して、6年後に医学部に合格しました。  6年間の浪人時代というとさぞ暗かったと思うかもしれませんが、私にとっては楽しくお気楽な時間でした。誰かの参考になるかもしれないので、今回はその浪人時代のことについて書いてみようと思います。  放浪の旅を終えて故郷に帰った私は、まずは自宅で浪人生活を始めました。  空手道場に通いながら、夜中にラジオ講座を聴き、深夜放送を聞き、午前中は眠って、午後から一人で参考書を使って勉強しました。  しかし、浪人2年目の受験にも失敗し

    • 空手道場での体験

       医学部に向けての浪人時代に、近所の空手道場に通いました。  沖縄の古い唐手(からて)には、大きく分けて首里手、那覇手、泊手の3種類があったとのことです。私が通った空手道場は泊手の流れでしたが、最初の頃の練習は那覇手系の剛柔流の練習法でした。ただ、剛柔流の基本型の三戦の立ち方は、一般的に普及している宮城長順系の立ち方ではなく、東恩納系統の立ち方でした。  その道場に通い始めた最初の頃、先生に言われたのが、あまりにも痩せすぎているので、もっと筋肉をつけるトレーニングをしなさ

      • 放浪の旅

         ここまで読んでいただいた方々、ありがとうございます。  ここまで読んでこられて、おやっと思われたことでしょう。  確かスロー空手ライフの話しだったはずだが、  書かれているのは、柔道の話しばかりじゃないかと。  確かに私は、柔道によって、虚弱児でいじめられていた自分から変わることができて、武道が弱い人間の心や運命を変えるのに効果があることが分かり、自分の理想の人物像を持つことができました。  しかし、実際に柔道を練習してみて、現在のままの柔道の練習法では、虚弱児や心の弱い

        • 私の理想の穏やかな心

           たるんだ柔道部の練習と弾けた高校生活の中で、ある日、私の生き方を決定する体験をしました。  ある日の学校帰りに本屋さんに寄り、そこで富田常雄の「姿三四郎」という本を見つけました。  立ち読みをしてたちまちこの本のとりこになり、すぐに購入しました。その日は雨だったので、近くのデパートの軒下で雨宿りをしながら、立ったままで、本を読み続けたのを、今でも懐かしく思い出します。  私がとりこになったのは、主人公の姿三四郎ではなく、姿三四郎の先生の矢野正五郎でした。  矢野正五郎は

        お気楽な大学浪人時代

          弾けた高校生活

           進学校の高校に入学した私は、すぐに柔道部に入部しました。  しかし、その頃の柔道部は、思いっきりたるんでいました。  10分練習すると、20分休んで雑談して、練習の終わりには、先輩が後輩たちに、学校前の売店に行かせて、コカコーラのホームサイズを買って来させて、みんなでコーラをラッパ飲みしていました。  北部の大会に出場している時でも、試合の合間には、マットに寝転がって、猥談をしている状態でした。(不思議なことにその田舎の団体戦では3位でした。)  その高校の柔道場と剣道場は

          弾けた高校生活

          いじめられっ子の虚弱児が一人柔道で変わった話

           まず、私は幼児の頃から虚弱児でいじめられていたことを話していきたいと思います。  小学校2年生から高校生まで、同じ学校に通学していた現在の妻の言葉によると、小学校の頃の私はガリガリに痩せた身体で、いつもおどおどした目をしていたとのことです。  また、小学校1年生の登校初日に、私の隣の席に座っていたと言う女の子が、同じ職場に来た時に話した言葉によると、その初日に学級担任の先生に、隣の男の子の面倒をみてあげなさいと言われたとのことです。女の子に面倒をみてもらうほどに、担任の先

          いじめられっ子の虚弱児が一人柔道で変わった話

          弱くて生きるのがつらい人のための私のスロー空手ライフ

           私は、幼児の頃から虚弱児で、運動が苦手で、小学校から中学2年までは、いじめられ続けていました。  しかし、小学校5年生の時、柔道の本に触れて、一人で練習を始めて、中学2年の時にある体験をして、その体験から精神的に前向きになり、中学3年からは勉学に励み、現在、医者になって、妻と二人の娘の父親になっています。  誤解しないでいただきたいのですが、私は武道の達人や格闘が強い人間ではありません。今でも人争うのが怖くて、専門的な格闘など行ったことはありません。  ただ、小学校5

          弱くて生きるのがつらい人のための私のスロー空手ライフ