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お気楽な大学浪人時代

 私は高校を卒業して、6年後に医学部に合格しました。
 6年間の浪人時代というとさぞ暗かったと思うかもしれませんが、私にとっては楽しくお気楽な時間でした。誰かの参考になるかもしれないので、今回はその浪人時代のことについて書いてみようと思います。

 放浪の旅を終えて故郷に帰った私は、まずは自宅で浪人生活を始めました。
 空手道場に通いながら、夜中にラジオ講座を聴き、深夜放送を聞き、午前中は眠って、午後から一人で参考書を使って勉強しました。
 しかし、浪人2年目の受験にも失敗しました。
 両親は高校3年生の時に、学級担任から「この子は医学部は無理だ」と言われていたので、叶わない夢を追っている息子と思っていたのでしょう。
 とにかく、どこかの大学に入ってまともな就職ができる道を進むように言ってきました。
 そこで私は医学部受験と同時に、県内の大学の理学部の物理学科を受験することにしました。案の定、医学部は落ちてしまいましたが物理学科に合格し、とりあえず大学生となりました。
 しかし、大学の1年目は半年で休学し、医学部受験のために県内の予備校に通いました。けれども予備校では、一番後ろの席に座ってマンガばかり読んで、家に帰ればラジオ講座と一人での勉強を続けました。
 ですから、もちろん浪人3年目の医学部受験にも落ちました。
 医学部浪人3年目のからは物理学科に戻り、まともに大学生生活を送りました。
 その頃は、大学に在学中で医学部を受験するためには、物理学科の学科主任と理学部の学部長にハンコをもらって、受験許可証をもらわねばなりませんでしたが、毎年、医学部を受験していました。
 日本の大学生とは暇なもので、私は「宇宙科学研究会」というサークルに入って、毎日夜遅くまで遊んでいました。真夜中から車で遠方にドライブしたり、映画研究会の映画に出演したりしたこともあります。
 それでも、夜中はラジオ講座を聴いて、相変わらず深夜放送も聞いていました。大学の物理学科の数学や物理からすると、受験の数学や物理は比較的簡単で、受験のテクニックを学ぶだけで済みましたので、主な問題は英語でした。物理学科の仲間と英語で話す練習をしてその後、英語検定の2級を取得しました。
 つらい感じもなく、楽しくエンジョイした大学生活を送りながらの受験勉強でも、毎年少しずつテストの点数が上がり、浪人6年目の受験で、医学に合格しました。
 合格発表を見た後に自宅に電話したところ、電話に出た母親の最初の言葉は「うそ!」でした。「いや、本当に合格したんだ」と伝えると、「同姓同名の違う人ではないか?」と言われました。

 こうして、お気楽な大学受験生活が終わり、医学生となりました。

 自分より頭が良い人が医学部に入れず、なぜ自分のような凡人が医学部に入れたかを考えると、高校3年生の時に同級生に対して「5年も頑張れば、まぐれで受かるんじゃないか?」と言い放った自分の言葉が思い出されます。言霊というのは恐ろしいものだと思いました。
 あの時に「3年」と言えばもっと早く合格できなかったかなと、ふと思います。

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