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弾けた高校生活

 進学校の高校に入学した私は、すぐに柔道部に入部しました。
 しかし、その頃の柔道部は、思いっきりたるんでいました。
 10分練習すると、20分休んで雑談して、練習の終わりには、先輩が後輩たちに、学校前の売店に行かせて、コカコーラのホームサイズを買って来させて、みんなでコーラをラッパ飲みしていました。
 北部の大会に出場している時でも、試合の合間には、マットに寝転がって、猥談をしている状態でした。(不思議なことにその田舎の団体戦では3位でした。)
 その高校の柔道場と剣道場は、一つの建物の中で隣り合っていましたので、不謹慎なことですが、柔道の帯を巻いてボールにして、剣道の竹刀をバットにして野球をして遊んでいました。
 この状態の中で、私は、男同士の付き合いを学ぶことができたと思います。

 このようなたるんだ状態のおかげで、私は、柔道の選手としては、全く花開きませんでした。
 昇級・昇段試験は受けたことがなく、無級・無段のままです。
 公式戦は1回しか出たことがなく、脚で相手の首を絞めようとして、審判に止められ(反則技だったようです。)、関節の逆を取られて負けました。

 しかし、この状態は、後から考えてみると、体力の無い私にとっては、幸いだったと思います。
 もしも、毎日激しい練習をする厳しい部活なら、ついていけずに辞めてしまったと思います。また、厳しい先輩にいじめられて、苦しんでいたと思います。

 逆に、一人で自由に伸び伸びと練習できたので、独自の体験をすることができました。練習では、後ろ受身を500回行い、巴投げが得意技になりました。

 そんな練習のある時、俗に言うフローの体験をしました。その日は、何となくけだるい気持ちで、練習を始めましたので、無駄な力が抜けていたのかもしれません。
組み合いの乱取りになると、不思議なことが起こりました。面白いように技が決まるのです。
 その頃の私の体重は45kg程度のガリガリでしたが、20kg以上の体重差のある70kg台のマッチョの同級生を巴投げで投げ飛ばしていました。30kg以上の体重差のある80kg台の肥満の同級生も足払いで転がしたのです。
 後にも先にも、フローの状態はこの1回のみで、その後は、彼らに勝つことはできませんでした。

 高校生活は充実していて、弾けていました。
 1年生で学級長となり、2年生で生徒会長になりました。
 生徒会長の任期の中で、自分の人間としての器の小ささに歯がゆい思いもしました。
 部員でもないのに、放送部の部室に出入りして、勝手にフォークソングのレコードを聞いていました。
 3年生の休み時間には、友人たちと3対3のバスケットボールをして遊びました。
 もちろん、カッコイイプレーはできませんでしたが、相手に気づかれずに、フリーの位置にいて、ボールを受け取ると、ヒョロヒョロとボールを投げて、ゴールを決めるのです。

このような中で、
1.弱い人間がどのようにして社会で生きていくかを学びました。
2.また、弱い人間の生きやす環境とはどんなものかも分かってきました。

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