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放浪の旅

 ここまで読んでいただいた方々、ありがとうございます。
 ここまで読んでこられて、おやっと思われたことでしょう。
 確かスロー空手ライフの話しだったはずだが、
 書かれているのは、柔道の話しばかりじゃないかと。

 確かに私は、柔道によって、虚弱児でいじめられていた自分から変わることができて、武道が弱い人間の心や運命を変えるのに効果があることが分かり、自分の理想の人物像を持つことができました。
 しかし、実際に柔道を練習してみて、現在のままの柔道の練習法では、虚弱児や心の弱い人には無理があることが分かりました。
 私が見てきた現在の柔道は、スポーツの一種で、勝敗は問題にしていないと言っても、実際には勝つために苦しい練習をしていました。弱い人の多くは、その練習についていくことができず、脱落してしまうと感じました。

 そこから、弱い人にとっての武道を探す旅が始まったのです。

 高校を卒業するに当たって、私は医学部に進むことを決めました。
 しかし、高校時代は弾けていて、あまり勉強しなかった私の成績はグングン下がって行きました。後から聞いた話ですが、高校3年の学級担任の先生から、私の両親は、この子には医学部は無理ですと言われていたとのことです。実際、浪人1年目の共通一次試験の結果では、医学部の合格圏内に全く入っていませんでした。世界史の試験など、100点満点の30点台でした。

 高校卒業時の入試に落ちた私は、大阪の予備校に通うことにしました。
 しかし、昼は予備校に通って、夕からは焼肉屋のバイトをしてお金を貯めて、下宿を飛び出し、家出して、放浪の旅に出ました。
 放浪は歩き旅でしたので、色々な体験ができて、楽しいものでした。このブログのテーマと違うので、ここには書きませんが、放浪の旅での体験は、いつか機会があれば書いてみたいと思います。 
 大阪の住之江区からテクテクと歩き旅を始めて、能登半島の先端まで歩き続けたところで金が尽きて、金沢の近くの野々市というところで、織物工場で集団就職の人と一緒に働くことになりました。

 そこでも、町の柔道の道場に通いました。毎日鉄下駄を履いて歩いて、雪の日も裸足で外を走らされたこともありました。
 そんなある日、社員寮の近くのショッピングセンターの本屋さんで、二つの本に出会いました。
 一つは、森田療法という精神療法の本でした。それによって私は、あるがままの自分を受け入れることができるようになりました。
 もう一つは、勝海舟の氷川清和という本でした。その本から、私はこんなに器の大きな人物がいるのかと、人間の心の大きさについて目を開かされました。
 この二つの本に出会い、私の放浪の旅は終わり、故郷に帰り、再び医学部に向けて浪人生活を始めることになりました。

 その浪人中に、近所の空手道場に通うことにしました。

 この体験で学んだことは、
1.弱いあるがままの自分を受け入れると、心が楽になるということ。
2.人間の心の器は、大きなものだということ。

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