虚無

どんな学生時代だった?という話には「テニサー入ってずっと酒飲んでた(笑)あっスノボも(笑)」という話でその場を盛り上げる。チャラーい。今と変わってないのエグいっすー。女の子と後輩たちからの侮蔑を含んだ笑い声。ディスりやすい先輩が「良い先輩」とされるということを最近ようやく知った。

明日で36歳になる。独身、西麻布在住。5年前に投資関連のベンチャーを立ち上げた頃の情熱は露と消え現在は再就職してデベロッパーとなった。信条は「どんなに二日酔いでも弊社が欲しい土地にはゲロを吐かない」。我ながら筋が通っている。まぁ弊社が買わないであろう近くの土地に盛大に吐くのだが。

30代に突入してから恋人はいなかった。毎晩飲み歩いているから女の子と知り合う機会は多いが、多すぎて何か少女漫画的ハプニングがないと連絡を取り合うような用事はない。そして時々好きだと言ってくれる女の子のことを好きにはなれない。僕を好きになる女の子なんて総じて趣味が悪いに決まっている。

Z世代の後輩はケーキを用意をすることを面倒くさがるに違いない。だから僕が明日誕生日を迎えることは誰にも伝えてない。顔を真っ赤にするほど飲んで甲高い声で笑っている女の子たちにも気を遣わせたくない。いつの間にか最年長。割り勘で飲める同世代の友達はもうみんな家庭を持っている。

1次会の居酒屋は8人で42000円だった。全額飲み代を奢ろうが養う家族がいるわけではないから安いものだ。タルタルの乗ったパサパサの鶏の唐揚げ。この2軒目の個室カラオケバーの値段より安い不味い飯の写真を撮る者は一人もいなかった。年齢のせいか酒量が多すぎるからか最近は酒を飲むと食が進まない。

「お誕生日おめでとうございま〜す!」という雄叫びのような声と共に隣の個室がクラッカーの音と共に沸いた。僕への言葉ではないというのに心臓がどんと鳴る。本心では36歳になってまで大きなケーキを用意されたいのだろうか。なのに優秀な後輩に「だる(笑)」と思われることを恐れているのだろうか。

中高一貫の私立に通った。大学もそこそこの頑張りで大手の証券会社に就職した。起業ブームに乗っかりベンチャーを立ち上げて軌道に乗せ様々なビジネス媒体に顔と名前が載った。社内で度々起こる揉め事に疲れて就活を始めた。すぐに大手から採用された。人生はチョロかった。なのにこの虚しさは何だ。

後輩が飲み歌を入れ始めた。「イケナイ太陽」はサビのABCからアルフベット順に指を指されてUになった人がテキーラ。「世界に一つだけの花」は一画面ずつマイクを回して歌い歌詞に「花」が出てきたらテキーラ。……選曲に気を遣われている気がする。「新宝島」とか「前前前世」の飲み曲も分かるのだが。

みんながテキーラで泥酔してゆく。聴き覚えのあるイントロが流れ始めた。元カノが所属していたグループ。後輩が肩を抱いてる女の子が入れた曲だが僕は立ち上がりマイクをひったくる。みんなが眉をひそめる中、全力で画面のアイドルたちの振りを真似ながら歌い始める。元カノが歌うパートは少なかった。

飲みすぎてバーの床にうつ伏せに倒れていた彼女のことが好きだった。交際した後も毎晩のように経営者や俳優と西麻布で飲んでいてその行動を止めることはできなかった。だから西麻布に住み始めた。いつでも彼女のもとへ行けるように。彼女が帰れなくなるほど泥酔したときに僕の家が役に立つように。

交際から8ヶ月、彼女は僕よりもずっと稼いでいて僕よりも若い経営者のもとへ去った。「あっと驚く奇跡が起こる あなたとどこかで愛し合える予感〜♪」。この曲の歌詞のような奇跡も予感も僕にはなかった。6年間ずっと同じ西麻布のマンションで待っていても彼女が戻ってくることはなかったのだから。

気がつくと後輩が厭らしい笑いを浮かべて僕をムービーに収めている。明日の朝には社内でシェアされている光景が目に浮かぶ。曲が終わり歌い終わると「イェーイ!」と叫び胸の前でハートを作った。えぐー。それは草ー。先輩さいこー。みんなが笑っている。なのにどうしてこんなに虚しいのだろう。(完)

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